第9話 ルシタニアとの会談

 ハンニバル軍歩兵は騎兵が進軍するのを見守り、その場で待機している。一方のルシタニア軍歩兵は進軍しハンニバル軍歩兵との距離を詰めて行く。その間に両軍の騎兵は衝突し騎兵同士の戦闘が始まる。

 マーゴは初の互角の兵力で行われている戦争をひと時も見逃すものかと目を見開き戦場をずっと睨みつけている。先日の軍議で敬愛する兄ハンニバルはこう言っていた「此度こたびの戦いは華麗な戦術をもって敵を殲滅することが目的ではない。力を見せつけることが肝要だ」と。

 きっと兄は戦後を見据えて、勝ち方に拘っているのだろうとマーゴは考える。

 

 この戦に勝利すれば、ルシタニア領を占領しバルカ家の領土に組み込むはずだ。「勝ち方」に拘ることは統治を見据えた布石なのだろう。政治は政略に繋がり、政略は戦略に、戦略は戦術に……そして戦はまた政治に……と全ての事象は繋がりをもっている。

 兄は戦争だけ政治だけを見るのではなく、全てを含めて大局的な視点を持つことが大事だとマーゴに語っていた。

 

 マーゴは大柄で精悍な顔をした兄の莞爾かんじとした笑みを思い浮かべながら、彼の言葉を心の中で反芻していた。

 

「大局的な視点か……逃げることも恥ではない……兄上の見識は深いなあ……」


 マーゴは戦場から目を離さず独白する。

 両翼の騎兵は数的優位もあり、優勢に戦いを進めているようだ。ルシタニア歩兵はハンニバル軍歩兵に接し、こちらもようやく戦いが始まった。

 珍しいことに歩兵の両者は弓を射らずにがっぷり四つに組み合う。敵も「力を見せる」ことに拘っているのだろうか……とマーゴは推測する。


 マーゴの見たところ、騎兵も歩兵も敵軍よりこちらの方が練度が高いように思える。自軍は戦いのプロである傭兵で固められており、さらにこのうち五千はハンニバルが天塩にかけて手元に置いていた歴戦の傭兵たちで言わば精鋭揃いであった。

 対するルシタニアはルシタニア族の中で戦える者を集めた様子だが、軍としての足並みが揃っておらず個々人での戦闘が目立つ。組織だったハンニバル軍に対し攻めあぐねているように思える。

 

「マーゴよ。ルシタニアはここ十年ほど戦争をしておらぬ。兵が戦いに慣れておらぬようだな」


 いつのまにか横に馬を寄せていたハンニバルがマーゴの考えていることを読んだように語り掛けたくる。

 

「はい。私もそのように思えます」


「見ているがいい、マーゴよ。そのうち獰猛なヌミディア騎兵がまず敵軍を食い破るだろう」


 数で劣るハンニバル軍歩兵は防戦主体に戦い、ルシタニア軍歩兵を食い止めている間に、ハンニバルの言葉どおり左翼のヌミディア騎兵が敵軍右翼騎兵を打ち破ると、ルシタニア軍歩兵に横から食らいついた。

 ルシタニア軍歩兵はただでさえ練度が低く陣形を保ち辛い中、横からも攻められたため大きく陣を乱す。そうこうしているうちに、ハンニバル軍右翼騎兵も敵騎兵を討ち果たし反対側から攻め立てる。

 

 こうなるとルシタニア軍歩兵は組織だった戦いがまるでできなくなり、ただの烏合の衆と化してしまった。

 戦いの勝負がついたと判断したハンニバルはルシタニア軍へ降伏の使者を送ると、ほどなくしてルシタニア軍は降伏しハンニバルの勝利で戦いは幕を閉じた。

 

 ハンニバルが兵へ勝利の宣言を行うと、爆発的な歓声があがりカルタゴの神バール、カルタゴ、ハンニバルを称える声があちこちで湧き上がる。

 兵の声がまだ響き渡る中、ハンニバルはマーゴへ労いの声をかける。

 

「マーゴ、出陣ご苦労だったな」


「いえ、兄上。私はただ見ていただけです」


「見ること、考えることは肝要なことだぞ。マーゴ。常に頭を働かせろ。迷い苦しむこともこの先あるだろう。しかし考えを止めないことだ」


「はい。兄上」


「今晩は宴を用意する。お前も出席してくれ」


「宴ですか? 皆で喜びを分かち合いましょう!」


「兵たちには思う存分、飲ませるつもりだが、私とお前が出る宴は少し様相が違う。楽しみにしておくがいい」


「分かりました!」


 マーゴは朗らかにハンニバルに応じるが、開催された宴は彼の思惑と全く違う内容であった……

 


◇◇◇◇◇



――その日の晩

 夕方頃から小雨が降り続いていたため、布で屋根を作り、屋根の下で煮炊きを行って兵士たちの宴は催されていた。ハンニバルらは兵士たちと少し距離を取った位置に木の柱と布で出来た簡易的な建物に集合していた。

 出席するのはハンニバル、マーゴ、カドモスの三人に建物を取り囲む護衛の兵士が数十人といったところ……

 

 兵士たちはテーブルの上に食事を並べ、ワインを準備し、ハンニバルらは食事に手をつけず誰かを待っている様子……

 

「兄上、一体どなたを待っているのですか?」


 マーゴは宴のただならぬ様子に首を捻る。これは宴というよりは……会談前のようだと彼は感じたのだった。

 

「うむ。そろそろ来るはずだ」


 ハンニバルがマーゴへ呟くと、ちょうど兵が来客を告げた。

 ハンニバルが椅子から立ち上がると、マーゴとカドモスもそれに倣い来客を待ち構える。

 

 兵に促され入って来たのは、マーゴが見たことのない顔だった。

 

「ようこそおいでくださいました。ルシタニア族長殿」


 ハンニバルが笑顔で迎え入れた客とは、ルシタニアを率いる族長だったようだ。

 マーゴは内心驚きつつも顔に出さぬようギュっと拳を握りしめる。

 

「あなたがハンニバル殿ですかな? はじめまして、儂はルシタニア族の族長ルグと申します。お見知りおきを」


 ルシタニア族の族長は年のころが四十歳ほどの眼光するどい男で、言葉こそ柔らかいが表情は厳しいままであった。彼は二人の若い男を連れて来ていたが、その二人も族長と同じで警戒心を一切解いていない。

 

「ルグ殿、まずは敵軍の腹の中へ来ていただけた貴殿の勇気に賛辞を。私、ハンニバル・バルカはバールに誓い、貴殿を害さないことをここに誓おう」


 ハンニバルは彼の依頼に応じ、単身で敵軍の中へやって来たルシタニア族長らを称賛し、カルタゴの神バールに誓って身の安全を保障することでルシタニア族長らを安心させようと努める。

 神の名に誓ったハンニバルの言葉を聞き、少しだけ警戒心を解いたルシタニア族長ルグはハンニバルへ尋ねる。

 

「して、いかなる要件ですかな?」


「族長殿。私には構想があります。私はあなた方を奴隷に落とすつもりは一切ありません」


「ほう」


 戦争に敗れ、占領された民の行く末の多くは奴隷だ。勝利者より一段低い身分に置かれ、政治に関わることができなくなる。カルタゴの奴隷もローマと同じで、奴隷身分が固定されるわけではない。

 自身の功績やお金によって奴隷身分から市民の身分に繰り上がることは可能である。

 ハンニバルは此度のルシタニア族との戦いに勝利し、ルシタニアを占領下に置くことも可能だろう。そうなればルシタニアの民を奴隷として働かせることも不可能ではない。


「族長殿。イベリア半島の力を全て結集し、巨大な敵に対応しなければならぬと私は思うのです」


「……ローマかね?」


 ルシタニア族長はハンニバルの意図を何となくだが察する。ローマの噂は族長も伝え聞いている。カルタゴを破り、破竹の勢いで地中海に覇を唱えているという。

 

「その通りです。奴らは巨大に過ぎます。私はエブロ川より南の地域全ての力を結集させようと構想しているのです」


「ほう……ルシタニアの東……コンカを中心としたケルト諸部族をも取り込むつもりかね?」


「いかにも。コンカ地域を取り込み、ヒスパニアよりエブロ川へ向けて北上し勢力を拡大する予定です」


「面白い! しかし……コンカを真に服従させることができるのかね?」


「コンカへの対応策はあります」


「ほう……コンカを服従させることが出来たのならば……あなたの策に乗ろうじゃないか」


「その言葉……お忘れ無きように……ルシタニア自身もっと巨大になってもらわねばなりませぬから……内政改革も受けてもらいますぞ」


「乗ると言った限りはあなたの策に乗りますぞ」


 ハンニバルと族長は握手を交わし、宴が始まる……この後六人は思い思いに意見を交わしたという。


※当時の地図になります。

http://img1.mitemin.net/59/6x/4d06aacj8vi84sxhlzb930qxa42k_1813_sg_ee_2che.png

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