第6話 タルセッソス攻略

――紀元前227年 イベリア半島南部 タルセッソス

 ハンニバル率いる部隊一万五千がヒスパニアのカルタゴノヴァを出立して二週間、彼らはいよいよイベリア半島南部タルセッソスへ到着する。

 ヒスパニアを出た頃はまだ汗ばむくらいの陽気であったが、秋が深まってきており行軍を行うにはいい季節となっていた。

 

 事前にハンニバルが商人から集めた情報の通り、タルセッソスは三つの派閥に分かれ群雄割拠の時代を迎えていたようだ。ハンニバルらがタルセッソスに来たことをそれぞれの勢力へ使者を使い喧伝したところ、三つの派閥はそれぞれ異なる反応を見せる。

 タルセッソス東部……つまりヒスパニアに隣接する地域はカルタゴ派が支配勢力となっており、彼らは当然であるがハンニバルらを歓迎し協力体制を取ることを提案してくる。

 ハンニバルはこれに快諾し、こちらの指示があるまで動かず防衛に当たるよう使者を送る。

 

 タルセッソス西部は中心都市カディルこそカルタゴ派であったが、それ以外は独立派が支配的になっていた。カディルはハンニバルに協力する姿勢を見せたが、残る独立派はハンニバルの送った使者に対し、何ら返答を返さなかった。中央に位置するローマ派はカルタゴ本国の命を受けたハンニバルが自身を討伐しに来たものと思ったのか、迎撃の動きを見せる。

 その結果、ハンニバルらはタルセッソス東部を素通りし、中央部に位置するローマ派を撃滅することを決定する。

 

 タルセッソス東部では歓待を受けたハンニバルらの補給は充分で、一両日中にはローマ派が集めた軍隊と衝突する見込みとなっていた。彼らの集めた兵はハンニバルらと同じく傭兵であったが、イベリア半島に多く住むケルト人歩兵で構成されていることが分かる。

 その数は六千と報告にあがってきている。

 

 その日の夜ハンニバルたちは野営地を構築し、簡易的なやぐらを組んで見張りを立てると、軍団ごとに区画を作りそれぞれの中央にかがり火をたいた。

 野営の準備が整った後、彼らは煮炊きを行い、食事だけではなくワインも振る舞われた。そんな中ハンニバルは、司令官カドモスと弟のマーゴを呼びローマ派軍への対応について協議を始める。

 

「飲みながらでいい。カドモス、ローマ派軍について追加で情報が入ったか?」


 ハンニバルの問いかけに、二十代後半くらいに見える糸のように細い目をした男――カドモスが応じる。

 

「いえ、斥候より追加の情報は入っておりません。引き続き斥候は放っております」


「ふむ。敵兵は歩兵のみの六千。マーゴ。我が軍の陣容はどうなっている?」


 ハンニバルはワザとマーゴに自軍の構成を問いかける。ハンニバルの「過去」の記憶のマーゴは軍事にも政治にも才覚を示した。どちらかというと政治よりなのであるが、ハンニバルがヒスパニアに不在の際にマーゴにピスパニアの防衛を担ってもらおうと思っている。

 だからこそ、今回のタルセッソス遠征では常に傍につけ、軍を率いることを少しでも覚えさせたいというのがハンニバルの思惑であった。

 

「ヌミディア騎兵が三千、カルタゴ系騎兵が二千、ケルト歩兵が三千、ガリア歩兵が三千、カルタゴ系歩兵が四千です」


「その通りだ。マーゴ。同じ騎兵、歩兵でも性質が異なるから分けて考えることは重要だ」


「はい!」


 マーゴは真剣に頷き、ハンニバルの言葉を反芻しながら心に刻みつけている様子だった。


「では、マーゴよ。明日にはローマ派軍と激突するわけだが、お前ならいかにして勝つ?」


 ハンニバルはマーゴをしかと見つめると、ワインを口に含む。

 マーゴはしばらくじっと目を瞑り考えた後、自身の思いついた戦術を語り始める。

 

「兄上。此度こたびの戦い、敵兵は我が軍の半分以下で騎兵はいません。ですので、我が軍は歩兵のみで正面から敵兵に当たり、騎兵を後ろに回り込ませ撃滅すれば良いと思います」


「ほう。机上ではあるが、良く勉強しておるな。敵を包囲し殲滅する。我が軍は敵兵の倍以上だからな、容易く実行できるだろう。しかも奴らは烏合の衆に過ぎない。急きょ集めた兵だからな」


「ありがとうございます!」


 マーゴの顔がパアっと明るくなり、尻尾があればフリフリと振ってそうな勢いであった。

 そんな彼に水を差すように、ハンニバルが言葉を続ける。

 

「しかし、マーゴ。この戦に限ってはそれが必ずしも正解ではないのだ。カドモス」


 ハンニバルはカドモスに目をやると、彼は立ち上がり、敬礼する。

 

「ハッ」


「お前の考えを説明してみるがいい」


「ハンニバル様。恐れながら、タルセッソスは紛争状態ですが、今もカルタゴの領土となっております。敵味方に分かれているとはいえ、タルセッソス平定後のことも考慮すべきだと愚考いたします」


「さすがカドモスだな。マーゴ、今のカドモスの説明で理解したか?」


 ハンニバルはカドモスを座らせると、マーゴに答えを促す。

 

「はい。兄上」


 ローマ派軍との戦いは、圧迫し威圧するのみで敵兵が逃げ出してくれるのが最善。弓を射かけ、後ろを塞がずに左右から騎兵で追いたて降伏を促してみるか……ハンニバルは頭の中で作戦を練り上げていくのだった。

 


◇◇◇◇◇



 ハンニバル軍とタルセッソスのローマ派軍はタルセッソス中央にある平原で対峙する。ハンニバル軍は歩兵九千、騎兵六千に対しローマ派軍は歩兵六千。対峙した時点で戦いがどちらに優位かは明らかな様相を呈していた。

 ハンニバルは対峙する敵軍に向けて改めて降伏の使者を送るが、ローマ派軍は降伏を拒否したため交戦が始まる。

 

 ローマ派軍は三角形の中央が突出した陣形を取り、ハンニバル軍の中央を突破する心づもりのようで、対するハンニバル軍は歩兵のみで弓型の陣形を取り中央の突出した部分を少し薄めにしその分、両脇へ厚めに人員を割いている。

 騎兵は歩兵の裏側に位置しているが、戦いが始まれば機動力を生かし左右から突撃できる体勢である。

 

「皆の者、此度こたびいくさは、既に勝敗は決まっている! バールに栄光あれ!」


「バールに栄光あれ!」

「カルタゴに栄光あれ!」

「バルカ家に勝利を!」


 ハンニバルが主神バールへ祈りを捧げると、兵たちは思い思いの勝鬨かちどきをあげ、「グリフォン」の絵が描かれた旗を振るいながら歩兵が前へ突進して行く。

 「グリフォン」はバルカ家の家紋で、その姿はライオンの体にわしの頭と翼をもつ姿で描かれる。勇壮な歩兵たちはここにバルカ家在りと示しながら進んでいるというわけだ。

 ハンニバル軍の歩兵たちが弓の射程距離に入ると、大盾を構え敵兵の弓を待つ。

 

 ローマ派軍から一斉に弓が射かけられるが、ハンニバル軍は歩兵が大盾で凌ぎつつ逆に矢を射返すと、両翼後方に控えた騎兵が、それぞれ側面から襲い掛かる。

 矢に手を取られている間に騎兵が敵兵に到達し攻撃を始めると、ハンニバル軍の歩兵も突撃を開始しあっさりとローマ派軍は崩れ去っていく。

 

 兵の練度、騎兵の数、軍団の総数……全てにおいて勝るハンニバル軍は策を弄する必要もなく、ただ突進するだけで勝敗は決する。

 戦いが開始して一時間もたたないうちに、ローマ派軍はなすすべもなく降伏しハンニバルの勝利でこの戦いは幕を閉じる。

 

 この戦いの結果、タルセッソスのローマ派は交戦能力を喪失し、タルセッソス中央部はハンニバルの手に落ちた。タルセッソス中央部の占領のために歩兵二千を残し、タルセッソス東部のカルタゴ派へ使者を送り彼らにも占領政策に助力してもらうこととした。

 ハンニバルらはそのまま、タルセッソス西部へと進軍を続けると共に、タルセッソス西部において唯一のカルタゴ派である中心都市カディルに中央のローマ派を殲滅した知らせを伝えるために、使者を送る。

 

 ハンニバルらがタルセッソス西部に到着する頃にはカディルが挙兵し独立派は左右から挟まれる形となる。ハンニバルの圧倒的な兵力だけでも反抗の気力を削がれていた独立派はカディルの挙兵を見て戦わずして降伏することになった。

 こうして、タルセッソスはハンニバルの手に落ちたのだった。ハンニバルは合計五千の兵をタルセッソス安定のために残し、兵一万を引き連れ、タルセッソス西部から北上しイベリア半島西部のルシタニアに向かう。


※当時の地図になります。

http://img1.mitemin.net/59/6x/4d06aacj8vi84sxhlzb930qxa42k_1813_sg_ee_2che.png

 

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