暮れ
物書きになりたいと言ったら、同期の白坂さんは鼻で笑った。でも、就活しないとかじゃないんでしょ、と、まるでお母さんのように釘を刺した。その釘が心にまで届いたことを、彼女は感じ取ることができただろうか。
書くことが、めっきり苦手になっていた。心の内を純白にぶつける作業に重みを感じるようになった。それでも、書きたくて、もがいた。なにも形にならぬうちに2017年が終わり、平成最後の年がやってきた。それから、暮れに、同居している祖母が死んだ。
深夜、家に帰って、扉を開けた時に、もう分かった。死者は、冗談みたいに、しん、と硬かった。救急車がやってきて、それから警官がたくさんやってきて、死体検案書をつくります、と言った。この国では、医者がいないところで死ぬと死体になる。狭い我が家に六人も警官が入って、写真を撮ったり代わりばんこに私を尋問したりした。「死体」を運びに来た葬儀屋だけが、この度はご愁傷様で、と言った。なんと言っていいか分からず、私はありがとうございますと返した。
祖母と、葬儀屋と、それから警官が帰って、私は本当に一人になった。同居する母はもう三か月も入院している。空っぽの家が、一つの時代の終わりをはっきりと語っていた。椅子に座って、ただ茫然とした。感情が何一つ湧かなかった。自分までががらんどうになってしまったみたいだった。
叔母が泣きながら駆け付けて、叔父も少し涙ぐんでいた。病院から一時帰宅した母は、葬儀費用や今後の心配をずっとしていた。私は、そのすべてに、どう対応しようか考え、気を使い、終焉だけをただ感じた。
翌朝、警察署で解剖が終了したと連絡が入り、久しぶりに七星家が一堂に会した。三十年以上前に祖母と離婚した、私の祖父も来ていた。四半世紀ぶりの、変わり果てた妻と再会して、いったい何を思っただろうか。彼の目元に私が見たのは、涙だったのだろうか。
死因は呼吸不全だと特定された。瞼の裏に出血がなく、それは苦しまなかった最期の証なのだそうだ。畳の上で逝ったのだ、幸せなもんだ、と叔父はなぜか茶化すように言った。何十年も務め、彼女が人生を捧げた南條産業を辞職してから、たった半年だ。「わたしは死ぬまで会社で働くから。」私も母も、まさか生前の口癖を本当にしてしまうとは思っていなかった。
霊安室で、「いつかちゃん」という声を聴いた気がした。感情は揺らがないのに、涙だけがこぼれた。
私は死ぬまで、モノを書いていたい。どんなに稚拙なものでもいい。それでもいいから、私は物書きになりたい。夢を持つことのばかばかしさなんて、十分すぎるほどに感じる。それでも私は死ぬまで物書きでいたい。祖母のように、大切なものに人生を捧げてから死にたい。
祖母には親しい友人がなかった。というよりも、われわれ家族が認知していなかった、と言ったほうがいい。お金もないし、葬儀は家族だけで行おうと決まった。年が明けてすぐに、火葬場に行った。人間が死ぬと結構お金がかかる。焼くだけなら数千円だが、霊柩車や骨壺など、結局合わせて四十万円近くかかってしまう。棺に入れる花も、近所の花屋で買った。白いアルストロメリアを、一本ずつ顔の周りに手向けた。花など、祖母は生前見向きもしなかったが、せめてあの世への旅路に彩くらいあってもいいでしょう、と思いながら、自分が死んだらどんな花を入れてほしいかを考えた。シロツメクサなんかを入れられないように、誠実に生きなければな、などと妙なことを思った。
私はおばあちゃん子だった。そして、初めての孫である私を、祖母は十分にかわいがってくれた。母と三人で、いろんなところへ連れて行ってくれた。毎月のようにバスツアーへ行き、夏が来れば避暑地に、冬になればスキーに出かけた。思い出を語ればきりがない。ただその一つ一つに、今ではリアリティがなかった。遺影にする写真を選んでいても、そこで笑っている私や祖母が、どこか別の家庭のようで、怖くなった。見ているうちに私は疲れてしまって、結局葬儀屋に写真を持っていくことができず、火葬に直接持参した。その写真は焼香炉の前に立てかけられ、叔母がそれを見てまた泣いていた。無感情の極致であった私は目の端に喫煙所の位置だけを捉えた。
家に帰って、相変わらず、書くことに気乗りはしなかったが、それでも小説投稿サイトを立ち上げて、キーボードをなんとなくたたいているうちに、これは形になりそうだ、と思ってきた。できたものは筆者の感情がほとんどない、事実の行列だったけれど、私は自由なのだと思った。何にも拘束されていない。なぜなら私は物書きではないからだ。「私は自分の楽しみのために小説を書く。それ以外のために書いているものがあるとすれば、そいつは大バカ者だ。」サマーセット・モームの言葉である。くびきなき表現が、いつか名作を生むかもしれない。笑いたければ笑うがいい。そんな考えを、いまだ大事にもっている真の阿呆者こそ、私だ。
七つの星に、いつか。 七星いつか @cassiopeia
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