第0話その2 クライマックス
ドアを開くと、そこは質素な雰囲気のオフィスだった。
「着いたか?」と聞かれたので僕は「はい」と答えた。
入口付近から部屋の内装を見渡す。
片付いたデスク、向かい合って座れる黒いソファ、ぎっしりと本が詰まった本棚。本の内容はどれも法律関係のものである。ここは弁護士事務所なのだろう。
窓の外は少し曇り空になってきた。さっきまであれだけ天気が良かったのに。にわか雨でも降るのだろうか。
「ここは私が持っている事務所だ。遠慮する必要はないぞ」
6,7坪はあるだろうか、個人のオフィスだとすればかなり広い。
「豚なのになんでこんな事務所持ってるんですか?」
右手に乗っている彼に話しかけた。
「その言い方ひどくないか?」
「いや、だって今あなたは人間ではないでしょ、ジェーンさん」
「……まあ、詳しい話は今からする。とにかくそこにあるソファに座ってくれ」
言われた通りにソファに座り、そのブツを真ん中のテーブルに僕の方を向くように置いた。
あの不思議な出来事からもう3時間が経っていた。
僕はあの不思議な能力を目の当たりにした後、行ってほしいと言われたこの場所まで彼を連れてきた。その途中、彼は自分のことをただひたすらに喋ってくれた。
彼の愛称は「ジェーン」。本名は教えてくれなかった。年は30後半らしい。
彼がなぜ言葉を話せるかというと、元々人間だったが、ある能力者によって姿を変えられてしまったと言っていた。もうここまで来たら疑う方が真実から遠のくのではないかとすら思えてくる。
ちなみに、時間を戻す能力は彼が元から持っていた能力で、そのため貯金箱になった今でも能力を扱うことはできるということらしい。
「そういえば、自分の話ばかりしていて君のことを聞いていなかったな。名前はなんというんだ」
「角谷宏信(かくやひろのぶ)、ただの陰気な大学生だよ」
「角谷宏信……ヒロ君とでも呼べばいいかな?」
「なんでも構いませんよ」
「突然だが、ヒロ君はなぜ僕の依頼を引き受けてくれる気になったんだ? 普通こんな無茶な願いはそもそも聞き入れやしないと思うのだが……」
僕はあの河川敷で、過去へのタイムジャンプの依頼を引き受けたのだ。そ れも即 答で。
「最近になって分かったんですよ。僕って今まで何にも考えずに生きてきたんだなって。秀でた才能を伸ばそうともしなかったし、友達とそもそも遊ぶことすらあんまりやってこなかった。そんな過去をやり直せるなら、その方がいいんじゃないかなって」
「やり直すか……あまり期待させて悪いのだが、君はこれから”未来の現実”を見てもらわなくてはならない」
「未来の現実?」
「テレビをつけてみろ。そろそろ始まる」
「あっ、はい」
テーブルの上にあったリモコンを手に取り、テレビをつけた。
テレビではニュース番組がやっていた。だが、どうも様子が変だ。アナウンサーは顔を青ざめ、後ろで映っている番組スタッフは慌ただしい様子で動き回っている。
『新しい情報です、関西地方上空に新たなミサイルが出現しました。防衛省の発表では、発射場所はいまだ特定できておりません。関西地方の方々は一刻も早く、警官の指示に従って避難してください……』
ワイプで映った映像では既に地獄と化した街の様子が映し出されている。建物や公園は燃え上り、クレーターのような穴がそこらじゅうにあり、この世のものとはとても思えなかった。
「ど、どういうことだよ、これ」
そのおぞましい光景に絶句してしまう。恐怖のあまりリモコンを離すこともできない。
そして、ワイプの映像が切り替わった時、体中に人生で味わったことのない寒気が走った。
「こ、これ、俺が住んでた街か。う、嘘だろ! どうしてこんなことに!」
テレビに近づき確認する。間違いなくそれは僕が生まれ育った街だった。
「まずい! 父さんと母さんの命が!」
急いで部屋を飛び出そうとする。もう他のことは何も考えられなくなっていた。
「待て! 一体どこに行くつもりだ!」
僕を引き留めようとジェーンは今までよりもバカでかい声を出した。
「決まってるだろ。なんとしてでも助けなくちゃ、家族なんだから!」
ドアに近づき、慌てて鍵を開ける。
「お前一人で何ができる。それになんのために私がこれを見せたと思っているのだ」
僕は、はっと気づき、振り返った。
「あなたはこのことを知っていたのか?」
「ああ、とっくの前にな。そして、それを阻止しようとしてこんな姿になっている」
少し落ち着き、思考回路はだんだんと回復してきた。
「そうか、『時を遡れ』ってのはそういうことなんだな」
彼の依頼の意味がぼんやりと分かった気がした。
「察しがいいな。そうだ、この今起こっている事件、これの元凶を君には止めてもらいたいのだ」
僕は再びソファに戻り、彼を持ち上げた。
「一体何が起こっているのか、まずそこから説明しろ!」
さっきよりは落ち着いたものの不安はまだ拭いきれない。急かすように彼に問いかける。
落ちついた口調で彼は話し始めた。
「この事件の犯人、それは『クラミジア』と呼ばれる特殊警察組織だ。彼らは警察が解決できないような特殊な事件の捜査を専門とする秘密機関。だが、その実態は『クラミジア』のリーダー、先崎咢(せんざき あぎと)の野望を叶えるために作られた組織なのだ。彼は、この国を手に入れるために10年前に恐ろしい装置を開発した」
「その恐ろしい装置ってのは何なんだ?」
「空間転移装置、つまり物を通過させると、全く別の場所に移動させるものだ。あのミサイルは、その装置によって転移されている。だから、どうやってもミサイルの出どころを見つけることはできない」
「そんな……ん?」
だが、その時いくつかの疑問が生まれた。
「でも、それって10年前に開発されたってことは10年間そいつは何をしていたんだ?」
「あの装置には莫大な電力が必要なんだ。それを手に入れるため、彼らは10年かけて電力会社を買収するだけの権力と富を手に入れた。だが、そんな簡単にそんな大金は手に入らない。だから、秘密警察という普通の人間に解決不可能な事件を解決し、莫大な報酬を国から得る特殊組織を作り上げたんだ」
ジェーンの話は続く。
「彼らの組織はアギトと彼が集めた8人の能力者で構成されている。能力者は、それぞれが別の常人を超越した力を持っており、私がこんな姿に変えられたのもその中の一人の能力によるものだ」
「あんたも能力者だよな。ってことはあんたもその組織に……」
「ああ、”元”な」
「裏切ったのか?」
「そうだ。元々この組織に入ったのは金のためだった。だが、この計画を知ってなんとか阻止しようと他の メンバーに相談してこのざまだ。協力者さえいれば闘えたかもしれないがな……」
「さあ、そろそろ本題に入ろう。デスクの傍に置いてあるスーツケースを持ってきて中を見てくれ」
デスクの方を向くと、彼の言ったように黒い大きめのケースが床に立たせてあった。
持つとそれはかなりの重量だった。なんとかテーブルまで持ってきて中を開けると、そこには万札の束がぎっしりと詰められている。
「これは一体……」
「それは、私がその組織で稼いだお金の一部だ。銀行にはもっとあるのだが、もう口座は止められているに違いない。そこにあるのは、全部で3000万円だ」
「3000万!?」
そんな大金今まで目にしたことが無かった。金銭感覚がマヒしそうな光景だ。
「さっきも言ったが、私の能力は1秒につき1円が必要だ。3000万あったらどれくらい時間を遡れると思う?」
「え、えっと、1分で60円、1時間で3600だから、1日だと……864……9万円くらいか。一年だとえっと……」
「約3150万だ」
「3150万……あれっ、これじゃたった1年も戻れないですよ」
「そうだ。10年戻るためにはその十倍の約3億円……すぐにそんな大金手に入らないとして実質3.5億円くらいは必要だ。それを稼ぐのも君にお願いしたい」
唖然。唖然とした。開いた口を閉じようとして顎が外れかける。
「痛っ!」
あまりにも話が現実的じゃない。いや、今までの話も現実的ではないのだが、これを自分がするなんて、どう考えてもできる気がしない。
「そんな無茶な! できるはずがない! それにこんな恐ろしい組織に立ち向かうなんて僕にはできないですよ!」
「機械を止めてくれさえすればいいんだ。彼の機械は非常に繊細なつくりになっていて、完成さえしていなければ衝撃を与えると簡単に破壊できる。そんな難しいことじゃない」
「誰か、助けてくれるあてのある人はいるんですか?」
「いない、君自身の力でそこまで到達するんだ。それしかこの世界に希望はない」
「……」
僕は俯いたまま黙り込んでしまった。どうすればいいのか分からない。たとえ過去に戻ったとして僕に一体何ができるのだろう。何の取り柄もない僕に一体何ができるのだろうか。
その世界の命運は僕のちっぽけな器にはあまりにも大きすぎるのだ。未来にも過去にも押しつぶされそうになり僕の精神は極限状態だった。
「なんで、なんで僕なんですか。もっと適任はいるはずなのに」
「……正直に言ってこれはただの”偶然”だ。私は当然君を選んだわけじゃない。偶々君がそこにいた。だから、君にお願いしている。ただそれだけなのだ」
「誰かに、誰かにこの役目を変わって貰うことはできませんか……?」
彼は少し口調をきつくして答えた。
「今更それは不可能だ。時間もない。いいか、これは”偶然”であり、”運命”でもあるのだ。君だけがこの未 来を変えられる。君はこの世界から必要とされているんだ」
このとき、辛いという感情と共に今まで味わったことの無い感情が滲みでてきた。
必要されている? この僕が? 今まで社会から外れて生きてきてそれをよしとしたこの僕が必要とされているのか?
頭を抱えたものの答えはとうに決まっていた。それしか選択肢はないのだ。
お金を見つめる。
これは枷なんかじゃない。自分に与えられた使命なのだ。
自分に生きる意味を与えてくれているんじゃないか。
お金を手に取る。
家族、そしてこの世界を救えるのは自分だけなのだ。
僕を今突き動かそうとしているのは思考ではない。衝動だ。
テレビの方を向いた。ニュースはさっきと変わらず地獄の様子を全世界に映し出している。
「やるよ、やってやるよ。僕しかいないんだろ。必要とされてるなら、闘ってやるよ!」
それは決意に満ちた眼差しだった。
お金をケースに入れ、それをケースごと貯金箱の上に叩きつけようとした。彼は「よし!」と言い、叩きつけたケースは圧縮され、小さな穴の中に吸い込まれていく。
全て吸い込まれた所で僕は体が宙に浮くような感じがした。
ここ1年で経験してきたことが走馬灯のように頭を駆け巡り、浮いた僕の体は西へ、僕の生まれ育った街へ引き寄せられていく。
引き寄せられていく途中、僕はジェーンの語りかける声が聞こえた。
「ヒロ、ありがとう。本当に君には感謝しかない」
「君が私を拾ってくれて本当によかった。この運命にも感謝したい」
「これから君に訪れる運命は過酷なものになるだろう。それに対して君は最初は”一人”で立ち向かわなければならない」
「だが、忘れないでほしい。それは『一人で闘わなければならない』ということではないのだ。信頼できる仲間を見つけるんだ。君を助けてくれる人はきっといる。見つかるさ。君が諦めさえしなければ」
「短い間だったが、君と話せて楽しかったよ。最後に私の本当の名前を言っておこう。私の名は”赤羽 慈燕”(あかばね じえん)だ」
「また、いずれ会うこともあるかもしれない。その時まで今はお別れだ」
「信じているぞ、角谷宏信!」
声はいつの間にか消えていた。
目が覚めると、僕はベットで寝ていた。
時間はまだ夜中の3時だ。
どうやら悪い夢を見ていたらしい。
それもえらく怖い夢を。
不思議な夢だった、まるで現実のようで現実じゃないかのような。
だが、何か忘れてはならないことがあった……ように思える。
「そうだ!」
僕は自分の部屋の明かりをつけ、辺りを見渡す。
すると、いつも勉強しているデスクの上、そこに派手で汚らしいものが置いてあった。
ふとカレンダーを見た。そういうことだよな。僕は今”19歳”なのか。
その汚らしいピンクの物体を掴むと、それに向かって言った。
「着いたってことか。1年前に」
静寂が続いた。
「ジェーン?」
以降、”それ”から返事が返ってくることは無かった。
エスケープ・インテグラル ゴルゴ竹中 @gmtoboku
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