第19話

「これは、これは。珍しい客人が来たものじゃ」


 楽しげな口調で宣湘は目を細める。

 彼の屋敷の四阿あずまやで、相対に座る来訪者たちを順々に見つめた。


「臙景殿。行方知れずであった我が子らをよう見つけて下された」


 玉兎から景に移った老爺の目が最後に金烏を映す。


「そなたが姿を消して、蔡家の方々もいたく心配されておる。早う戻りなさい」

「……」


 これ以上自分の顔に泥を塗るなと宣湘の言外の圧力を受けて、金烏の表情が硬くなる。知らずに握りこまれていた膝の上の拳にそっと大きな掌が重ねられる。


「おや? 私は彼女たちを引き渡しに来たとは、一言も言ってはいないのですが」


 その不可視の力を打ち消したのは景だった。この場の空気に逆らうようなのんびりとした声で告げる。 宣湘も好々爺然とした態度を崩さずにゆっくりと問い返す。


「はて。では、いかなる用件だと?」

「この二人のお別れをお手伝いにしに」


 宣湘の片眉がピクリと動いた。それに対し景はにこにこと笑みを絶やさない。

 しばしの沈黙の後、宣湘はさきほどとは比べものにならないほどの鋭さを伴って金烏を見る。冷たい空気を纏って口を開いた。


「この男に取りこまれたか。使える駒に化けるかどころか、とんだ期待外れじゃわ」


 嘲りと蔑みが込められた言葉が金烏に刺さる。

 姉を侮辱されて頬に朱が差す玉兎が何かを言うより、景がにこやかに口を挟む方が早かった。


「期待外れ? 違うでしょう? あなたは彼女を持て余しただけだ。廉宰相ともあろう方が、自分の無能を他人に転嫁するのはいただけませんね」

「ほう?」


 景の煽りに却って面白がるように宣湘は余裕を見せて続きを促す。


「寛大なる廉宰相ならば、使えぬ駒の一つや二つ、誰ぞ拾い上げたとしても気にはいたしませんでしょう?」

「よう言いおるわ。そなたなら使いこなせると?」

「さあ? 冥泉府の頂きたるあなたを前にしてそのような大それたことは言えませんが、信頼関係程度なら築けるのではないかと」


 穏やかな声音で棘を包んだ言葉の応酬に、当事者である金烏と玉兎は口を挟む余地がない。

 しかし、ここで玉兎が動いた。わざと音を立てて弟は立ち上がる。庭園に響いたそれに景と宣湘の視線が集まる。

 玉兎は今まで見た中で最も恭しく拱手をし、頭を垂れる。次に顔を上げた玉兎の顔は晴れやかだった。


「今まで大変お世話になりました。僕としても心苦しいのですが、大切な”家族”を傷つける場所にこれ以上留まるわけにもいきませんので、どうかご理解ください」


 先ほどの景を彷彿とさせる柔らかさで離別を宣言する玉兎。その口ぶりは淀みない滑らかさで、彼の内にあった積年の想いをぶつけたものだと分かる。

 玉兎からの反撃はさすがに虚を突かれたらしく、宣湘は押し黙った。


「ほら、宣湘殿、ここで大器を見せずしていつ見せるというのです。さすがは廷原衆よ、というところを見せていただかないと私のような木っ端役人にはその偉大さが伝わりませんよ?」

「そうですね、僕もたまにしか拝見したことがないので、ぜひ」


 慇懃無礼ここに極まれり、と言った風情の男二人。遠慮も何もあったものではない。

 金烏は思わずふっと笑った。自分が何を恐れていたのか分からなくなる。おかげで楽になった。


 さて、先を越されたが自分も決別を告げねばなるまい。


「今までご期待に沿えず申し訳ありませんでした。今後も義父上様の望む者には成れませんので、大恩をお返しせずに御許を離れる不孝を何卒お許しくださいますよう」


 少女らしい声は震えることもなく優雅に響く。陽光を反射した金色の髪が風に遊ばれてゆるやかにそよめく。


「そんな言葉で許しを与えると思うておるのか」


 低く唸る宣湘の詰問にも、もう動じない。小首を傾げて愛らしい鈴の声を作る。


「無能と評する子飼いに未練を見せるなど、御身らしくもない。さっさと切り捨ててくださいませんか?」

「それは、この儂を敵に回すということが何を意味するかを分かった上での言動であろうな?」

「まさか。私たち如きが貴方の敵足りうるなどと、恐れ多いことでございます」


 景と玉兎に倣って一見謙遜した態度を保つ。笑みすら含んだ物言いに宣湘は鼻を鳴らす。


「そこまで申すなら好きにせよ。どこまで踏み止まれるか見物じゃわ」


 姉と弟は顔を見合わせると義理の父親「だった男」に向き直る。


「寛大な御処置痛み入ります」

「それでは義父上様。御機嫌よう」


 **


「これで終わった、のか」


 宣湘邸を離れると、どっと疲れが押し寄せてきた。何となく膝に力が入らない。

 だが、気分は実に清々しい。息を吸いこむ度肺に満たされる空気が今までよりずっと美味なものに感じる。

 三人は昌との待ち合わせ場所である茶房に向かう。市場にほど近いそこの戸をくぐると、喧騒と活気が金烏たちを出迎えた。

 さて、昌はどこかと視線を巡らせると少し離れた席で手招きしている。


「首尾よくいったようだな」

「まあ、ね」


 手ごろな椅子に座りながら金烏は曖昧に返事をした。

 確かに、宣湘の支配からは解き放たれたが、問題がすべて解決したわけではない。

 姉の隣に陣取った玉兎も同様の考えだったらしく、少々難しい顔をしている。


「これで僕たちは自由の身な訳ですが……」

「ああ。当面の生活はどうしたものか」


 二人とも本当に着の身着のままで、新しい生活の元手になるようなものはほとんどない。それに、先立つものがあったとしても、生活力という点で大いに不安が残る。

 今後どうやって身を立てていくかその見通しがつかない現状では、偏った知識しかないことが悔やまれた。

 とりあえず、景か昌にいくらか都合してもらい何とか生計を――


「あー、真剣に悩んでいるところ悪いのですけどね」


 少し前に聞いたことのある言い回しだなと、考えごとに気を取られていた彼女は素通りしそうになった。

「そもそも、私は玉兎を匿った時点で、うちで面倒を見るつもりだったんですが」


 一瞬であれほどやかましかった喧騒が消え失せた。


「へっ?」


 景がそんな予想外な言葉を投げつけてくるものだから、金烏が上げた声も間の抜けたものになる。玉兎も初耳だったのか目を丸くして、驚きが声にならないようだ。


「自分で引き取る覚悟もなしに、廉宣湘の屋敷に殴り込みになど行きませんよ」


 別に私は反骨精神あふれる性質たちでもありませんし、と景は付け加えた。

 深緑の瞳が茶目っ気たっぷりに金烏を見遣る。


「手を差し伸べることもなく口だけ出すなとあなたに叱られましたしね」

「ですが、そんな何から何まで世話になる訳には……」


 躊躇いがちに玉兎が言うと、景は穏やかに笑って首を振る。


「もちろん私にも打算もありますよ? 賽の河原を預かる河原守といたしましては万年人手不足な職場に、優秀な人材がぜひとも欲しいところでして」


 そううそぶく景の隣で昌もまた愉快そうに目を細めていた。


「さて、どうする? この申し出が気に入らないというのなら、俺の方でも当面の金銭と働き口くらいは用意してやれるが」


 理知的な藍色の瞳は、何を選ぶ? と問い掛けている。


「多分こいつの元は退屈しないぞ。せいぜい小遣いでもせびってやれ」

「おや。清貧に喘ぐ我が家にそんな余裕はありませんよ」


 この人の元なら退屈しないというのは本当だろう。きっと自分も弟も自分らしく生きられる気がする。 そんな確信が芽生えつつあった。

 金烏はまっすぐ景の目を見る。


「そこまで言うのならお世話になりましょう。受けた恩はこれからの働きで返します。それでいいか、玉兎?」


 金烏が隣を向くと、玉兎は即座に頷いた。


「姉さんが納得して決めたことなら、僕に否やはありません。これからよろしくお願いします」


 笑顔で頭を下げる金烏たちに景は満足げにうなずくと、のんびりと口を開く。


「さて、問題解決に至ったところでお腹が空きましたね。昼食をいただきましょうか。ここの肉料理は絶品ですよ! 支払いはもちろんあなたですよね、昌」

「まったく本当にちゃっかりしている……」


 呆れと笑いを多分に含んだ声で昌が応える。

 二人の軽妙なやり取りがいやにおかしくなって、金烏は久しぶりに声を上げて笑った。





 かくして、少女はまた一つ運命の分かれ道を進んだ


 己を覆い隠さんとする殻を破りようやく蒼穹そら


 導き手を得た彼女がどこまで羽ばたいてゆくのか、はたして何者になれるのか



 物語の結末はただ天のみぞ知る

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金色烏は冥府を翔ける 水居舞 @mizui-mai

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