☆六色の夢、あるいは、ぼくたちが生きる場所としての世界★

 それは修学旅行を一ヶ月後に控えた秋のこと。教室から見える景色はずいぶんと変わっていた。


 葉っぱが赤や黄色に色づいて、なんだかおしゃれにしている。空気は乾燥し、リップクリームなんてテカテカしたものを口元に塗る人たちも多くなってきた。


 そろそろ男子は学ランを着たり、女子はセーラー服のうえにカーディガンやパーカーを羽織っても良い時期がやってくる。


 朝がちょっとずつ冷えこんで、つらくなる季節だ。


            ☆


「はあ、なんでここで因数分解するのかな」


 僕は自分の浅はかさを棚にあげ、数学のプリントに文句をつけていた。僕が馬鹿なんじゃなくて、この問題が難しすぎるんだ。


 だけど昼休みにハカセに聞ねてみたら「普通だ」と一蹴された。


 普通。普通ってなんなんだよ。僕は憤慨した。


「颯太、待たせたな」


 悩める僕のところに、口を尖らせ、肩を怒らせる透が戻ってきた。部活を見に行くって言ったきり、二時間も待たされていた。


「遅い!まさかその膝で練習をしてたんじゃないよね」


「違げぇよ、暇な奴らにからまれていたんだよ」


 透は唾を飛ばすようにして、事情を説明し始める。どうやらたまたま練習に顔を出してくれた三年の元レギュラー組に遭遇して、いつものように冷やかされたらしい。


「あいつらさ、俺を校舎や体育館で見つけるたびにいじってくんだよ。『お前がいなかったから全国四位になれた』って。知るかってんだ」


 そうなんだ。夏休みに入った八月、負傷した透のポジションに剣持先輩が入り、秀和高校バスケ部は全国大会へ出場した。


 透が欠けていたものの、僕たちの学校は県予選のときのように快進撃を続け、そして結果はなんと、堂々の全国四位を勝ち取ったんだ。


 それは僕たちのバスケ部始まって以来の偉業で、地方の新聞にもデカデカと掲示された。


『廃部の危機を乗り越えた、秀和高校バスケ部の奇跡』という見出しだった。


「そんなの冗談に決まっているよ。僕は透が出ていたら、もっと上に行けたと思うよ」


「当たりまえだ。俺がいたら全国制覇していたに決まっている。誰があんな、根暗陰険野郎の剣持に負けるってんだ」


 透は顔を真っ赤にして、先輩の呼び捨ても気にしなかった。そしてことさらに、このまま腑抜けた練習をしていたら、先輩たちが抜けた次の大会で痛い目にあうとまくし立てる。


 こうなったらもう駄目だ。大人しく聞くしかない。


「はいはい、愚痴なら帰りながら聞くよ」


「それにさ、誠の奴もキャプテンなんか引き受けやがって。偉そうにしてさ」


 そのあとも、透はぶつぶつと文句を言いたい放題だった。だけどその顔は嬉しそうでもあって、やっぱり若松くんのことを信頼しているって感じだ。


 透は今でも、あの決勝戦の事故で負った、前十字靱帯のリハビリをしている最中だ。


 なんとか装具が外れ、普通の生活は出来るものの、激しい運動は厳しく制限されていた。ウズウズして仕方ない透でも、動いたらその分だけ治癒が遅れてしまうので、じっと膝まわりの筋肉を鍛えるリハビリを続けていた。


 修学旅行のあとで手術をする計画もあるらしい。まだまだ復帰までの道のりは険しい。


 それでもやっぱり、透の中のバスケ魂が体育館の空気を欲するのか、こうやって練習を覗きにいっては、大抵不機嫌になって戻ってくる。


 それなら行かないほうがいいじゃん、とはさすがに言えない。


 透はよく耐えている。きっと透はあのコートに戻るために、歯を食いしばって耐えているんだ。


 僕たちは靴箱に向かいながら話を続ける。話題は尽きない。


 なんでこう、透といると会話がどんどん泉のように沸くのかな。


「僕さ、国立医学部って書いて進路調査の紙を出したんだよ。そしたらさ、細貝先生に職員室に呼び出されて、『これ、理沙の間違いだよな』っ尋ねられてさ。傷ついたよ」


 いきなり成績が平凡だった生徒が「医師になります」って言い出したら、そりゃあ驚くかもしれないけど、素直に応援してほしかった。


「まじか、あの細貝。あのクソ先公、颯太の夢を馬鹿にするなんて許さん」


「でもさ、透も笑ったじゃん。病院で伝えたとき」


「俺はいいんだよ、俺は」


 おそるべき俺様主義を振りかざしながら、透はさもありなんといった感じだ。僕はそんな透に、いやがると分かっていて、ある提案を持ちかける。


「それでさぁ、透。これからは一緒に勉強しようよ。たまには勉強するのも悪くないよ」


 しかし透は、急に耳が遠くなったように反応を示さない。


「透、聞こえないふりとかいいから」


 透はいやいやと、子供みたいに頭を振る。


「だって俺、高校卒業したら就職だし。勉強する意味ねぇもん」


「そういう問題じゃない。僕は理沙の彼氏がお馬鹿さんなんていやだ」


 階段をさきに降りていた透は「なんだよ、それ」としかめっ面だ。


「理沙の彼氏なら、勉強から逃げたりしないよね。そんな軟弱な奴なら理沙は渡せないよ」


 うっと透は表情を曇らせる。これは僕なりの愛のムチだ。いくら就職するからって、学業を怠けているのはいただけない。


 だって透は理沙の彼氏なのだ。


 生半可な気持ちで、理沙と付き合ってほしくない。透は「颯太は厳しいなぁ」と腰に手を当て、観念したように唸った。


「仕方ねぇなぁ、勉強もすっかなぁ」


 そのまま人がすくない靴箱に行こうとしたとき、透が僕に肩を組みながらニヤニヤ顔で尋ねてきた。


「そういえばさ、おまえと亜弥っていい感じなの」


「え、なんだよいきなり」


 僕はしどろもどろになる。


 実はここ最近、僕と亜弥はいい感じだと教室で噂されている。亜弥と仲良しの理沙には、告白してみたらとまで言われていた。


 理沙は絶対大丈夫だって背中を押してくれている。それでも渋っていると、理沙が「もし告白が上手くいかなかったら、あの真っ白なパズル、私一人で完成してあげる」とまで言い出したんだ。


「おい、実際のところはどうなんだよ。俺たちのことはからかうくせに、自分だけ秘密なんて卑怯じゃん」


 透は僕の反応を面白がっている。僕は照れと恥じらいで頬を掻く。


「卑怯って言われてもなぁ」


「どうなんだよ」


「それは」


 そこで後ろから同学年の女子や男子たちが靴箱になだれ込んできた。どうやらほかのクラスのホームルームがいま終わったらしい。僕は自分の靴を取りながら、ほかの人に聞こえないくらいのちいさな声で透に囁いた。


「その話はまた、べつのところでね」


            ☆

 

 僕たちは一日の終わりに、校舎から出て自転車小屋へと向かう。僕は自転車通学じゃないけれど、透が駄々をこねたからだ。いつもの流れだね。


「でなぁ、木室さん。俺たちの全国予選決勝に感動しすぎたみたいで、今から先生になるって言い出したんだ。工学部をやめて教育学部に入りなおすって。一時のテンションに身を任せすぎだよな」


 なんだかんだで、透は嬉しそうに鼻を啜った。校舎の向こう側にあるグランドからは運動部の掛け声が聞こえてくる。まだ部活動は続いている時間だけど、あたりは暗くなり始めていた。もうそろそろ下校時間が繰りあがるころだ。


「木室さんって熱い人だね」


「なんだかんだ言って、バスケ大好きだしな」


 僕はその話をしながら、ずっと聞くに聞けなかったことを今日尋ねようと思っていた。


「なあ、透。ちょっといい」


「ああ、どうした」


 透は自分の自転車の鍵を外し、勢いよくスタンドを蹴る。僕はこのまえ理沙に聞いたことが頭から離れない。


「透と理沙はさ、高校を卒業したら、この街を出ていくんだろう」


 透はしばし黙ったあと、ペチャンコの鞄を前のカゴに投げた。


「ああ、理沙が喋ったのか。卒業するまで黙っているつもりだったんだけどな」


 透はツンツンした頭のうしろに両手を組んで、あっけらかんとしている。


「たぶん、そうなるだろうよ」


「さみしいよ、透も理沙もいなくなるなんて」


 みんなそれぞれの道に進もうとしているんだ。僕はうつむくしかなった。それは二人だけじゃない。


 冷もよその県の大学に行くとのことだった。そこはサッカーで有名なところで、スポーツ推薦をもらっているらしい。


 一気に僕のまわりから友達がいなくなる。


 だけど透はまったく悲しそうな顔をしなかった。むしろ楽しみでしょうがないって、笑顔には書いてある。


「大丈夫だよ、颯太にはハカセも亜弥もいるじゃん」


「でも」


「颯太」


 透は屈託なく笑っていた。その笑顔は過ぎた青い夏のひまわりみたいだ。僕の脳裏をよぎる、祖母が教えてくれた花言葉。


 ひまわりの花言葉。それは『尊敬』だ。


「うしろに乗るか」


 透はまえを向いたまま背中を親指で指差す。なんだろうと思って、荷台を指差していることに気づく。僕は昔の自分と決別する。


 これからは男らしくなるんだ。


「乗る!」


 僕は勢いよく荷台にまたがる。このまえとは反対に、背中同士を合わせるように勢いよく座ってみた。そしてすっかり忘れていた。お尻に金属がぐいっと食いこんで思わず飛びあがる。


「勢いつけるからだよ」


 ふりむいた透は片方の眉をもちあげていた。素直に指示に従った僕が意外そうだった。


            ☆


「膝、大丈夫なの」


「平気平気、リハビリみたいなもんだよ」


 僕たちを乗せた自転車は校訓の書かれた石碑を通り過ぎ、校門へと向かう。こうやって透に背を向けて座っていると、色々な風景が眼に飛びこんでくる。


 東の空にかかるやわらかな茜空。そこを渡るカラスの群れ。


 徒歩で帰る人たちは、僕たちが二ケツしているのを見てびっくりしつつも、いい度胸だなってニヤけてくれる。なんだか自分がこんなことをしているなんて不思議な気分。


 吹き抜ける風はすこし冷たい。キンモクセイの匂いを含んだ秋の匂い。


 この初夏から秋を彩った、いろいろなことが胸に浮かんでくる。


「ねえ、透。透には好きなもの、いくつくらいある」


「なんだよ、その質問」透は匂やかな風のなかで笑う。「わかんねぇよ」


「僕はさ、今もいっぱいあるんだ」僕はしずかに自分と向きあう。

「だけどこれからも、一杯見つけるだろうと思うんだ。それを大切に握っていこうと思う。この手でね」


 僕はじっと手を見つめる。この手で大切なものをつかんで、もう離さない。そう決めたんだ。


「そうだろうなぁ、お前は好きなものを見つけるっていう点では、一級品だからな」


 呆れると尊敬の中間くらいの感情がこもっていた。すこし笑っているように、終わりの声はふるえていた。


「僕さぁ、思うんだけど」


 ハカセに言ったら、笑われるかもしれない。だけど真剣に考えたことだ。


「僕たちにはさ、それぞれ好きな人がいる。そしてその人が好きなるものを、僕たち人間は好きになると思うんだ。だからさ、きっとそれって無限大なんだ。ずっと世界を飽きずに好きでいられるんだよ」


「無限大って、大きく出たな」


「だけど本当だよ。だってそれには終わりはないんだ。好きなものでつながる幸せの輪だよ」


 共感覚。


 それはもう失われてしまったけれど、それで終わりじゃなかったんだ。共感覚がなくなった場所を覗いてみたら、だれもが持っているあたたかい感覚が芽生えて大輪の花を綻ばせている。それはなにかって。


 それはね、共感だよ。


 好きな人の笑顔でほっこりし、大切な人の涙でうるっとする、あの感覚だ。なかなか厄介な代物だけど、これがあるから、僕たち人間はほかの人たちを好きになれるって気づいた。


 だから人は、一人ぼっちじゃない。


 共感覚がなくなって不安だったけれど、なんてことはないんだ。共感さえあれば、色々な人と上手くやっていけるんだから。それに理沙とも、ずっと特別な双子の兄妹のままだしね。


 いつか僕と理沙が共感覚でつながっていたこと、透に話そう。透はどんな表情をするかな。ちょっと今から楽しみだ。


「透」


「なんだ」


 僕はうしろに体を傾けて、透の厚い背中にもたれる。


 まだまだゆらいでばかりの自分。だけどさ、まえよりきらいじゃないんだ。自分のこと。


 まぶたの裏に浮かぶ大切な人が増えていくだけ、僕は自分を好きになれる。僕はだれかの涙を止められる人でありたいんだ。


 ここが僕のスタート地点。ここから、新しい石川 颯太が始まる。


「僕はお医者さんになるよ。君が遠くでボロボロになっても、一番に駆けつけられるように。困っている人に手を差しのべられるように。だからさ、信じていてよ」


 人を想う心は、立ちはだかる困難や絶望に屈することなく、どんな夢や希望よりも強いんだ。


 透は頷いた。それが背中越しにでも分かった。


「信じているに決まっている。おまえの姿が見えなくても、たとえどれだけ時間が経っても。おまえはそれをやり遂げるよ。だってさ、これからは俺と一緒に生きてくれるんだろう」


 僕は透の背中で微笑んだ。


 ああやっぱり。僕はやっぱり透に支えられている。そして支えてもらう。これからもずっと。


「そうだよ。たとえ体は離れても、心は一緒だ。どこにいてもね」


「いいんじゃねぇの、そういうのも。走り出す最初の一歩目は、かならず向かい風だ。それを切り裂いて進める奇跡が、俺たちにはあるわけよ。だから俺は走り続ける。たとえそれが、ほかの奴らにみっともねぇって笑われようとな」


 透の言葉は、僕のざわついた心を落ちつかせるほどに力強い。やっぱり透はひまわりだ。


 そして今度は僕も、そんな透を支えるようになるんだ。君がずっと全速力で走っていられるように。


 景色が流れ、校門が近づいてくる。


 そこにはやっぱり見回りの生徒指導の先生が立っていたのか、いつかのように透が優しさを見せつける。


「颯太、顔を下げな」


 僕はその言葉に首を横に振る。もうその必要はないんだ。


「いい。このままで」


「いいって、お前」


 透の心配した声が空に拡散されていく。僕は想いっきり自分の背中を透の背中に押しつけて言う。


「いいんだ。怒られるときは、一緒に怒られよう」


 すると風紀指導の先生が二ケツしている僕たちに気づいて「透、颯太、止まれ」といつかのように叫ぶ。僕は遠ざかっていく先生を見ながら、透と一緒に笑う。


 これからはさ、対等でいよう。透。


「さすがは」大声で叫ぶ先生を無視しながら、透は言う。「俺の相棒だ」


 だれにも止められない無敵の僕たちは、そのままの速度で校門をくぐった。


 どこまでも続く道を同じ自転車にまたがって、二人で声を出して、いつまでもいつまでも笑い続けた。


            ☆ ★



 それから一年くらいさきのこと。


 僕は夢を見た。以前見た夢とすごく似ている。


 いつもの仲良し六人が、ふたたび真っ白な部屋にいた。僕たち六人は、やっぱりペンキを持っていた。ハカセは青、冷は橙、透は紫、亜弥が赤だ。


 僕たちはそれぞれの色のペンキを持って、その白い部屋を塗っていく。


 僕と透と冷はまたしてもせっかちで、ペンキの入ったバケツごと部屋に投げつける。


 慎重なハカセと亜弥と理沙の三人も、変わらずヘラを使って丁寧に部屋の隅とか、僕たちが立っている床とかを塗っていく。もちろんバケツ組が塗り忘れた壁も。


 あらかた塗り終わって、僕たちは以前と同じように部屋を見渡した。


 だけど違いがあった。


 白い壁はどこへやら、部屋は六色の色でキレイに塗られていた。


 僕と理沙の色は、別々の色になっていた。僕たちはそこでおたがいの空いている手を握っていた。ちいさいころにしていたようなつなぎ方でもあるし、握手するようでもあった。


 理沙は僕が塗った色を見ながら眼を細めた。


「颯太は、その色なんだ」


「そう、これが僕の色だよ」


 五色に加わった色。僕が塗った色。


 それはね、白色だったんだ。


 みんなが塗った色にグラデーションを与えながら、その色はしっかりと自分の個性を放っている。


「どうかな、理沙」


「うん。颯太らしい色だね。ほかの色に染まることが出来て、それでいて自分をしっかり持っている色」


 理沙はそう呟くと、僕の胸に向かってまっすぐ手を伸ばしてきたんだ。びっくりしたけど、理沙は僕の胸辺りで外れたボタンを留めようとしてくれたんだ。


「ありがとう」


「どういたしまして。でも汚れちゃったね、白衣」


「しょうがないよ」


 そうは言うものの、白衣についた六色はなんとなく誇らしかった。僕は理沙の顔の高さで手を構える。理沙とハイタッチするためだ。理沙はハイタッチしようとして、手を引っ込めた。


「颯太の身長、私よりずっと高くなったね」


「言ったでしょう、成長期が来てないだけだって」


 身長を追い越されて、ちょっと悔しそうな理沙とハイタッチすると、ほかの色を持つみんながどこからか現れた。みんなすこしだけ大人になっているけれど、高校二年生の面影を残している。


「なにやってんだよ」と、なんの装具もなく走ってくる透。着ているジャージの色は紫。


「透。ごめん、ちょっと遅くなったね」


「おいおい、早く行こうぜ。サッカーが始まっちまうよ」と、筋肉隆々で前髪の長い冷。そのスパイクは橙。


「お待たせしちゃったね。冷はサッカーが好きだもんね」


「颯太は勉強しないとな。医者は死ぬまで勉強だ」と、勉強の虫のハカセ。掛けられた眼鏡の色は青。


「ハカセ、うう。帰ったら勉強します」


「まあまあ。一緒に復習から始めましょう」と、さらにうるわしの亜弥。その髪留めの色は赤。


「亜弥。君が一緒にいてくれて助かったよ」


 そうして僕たちは、六色の部屋から出ていこうとする。


 だけどそこには出口がなく、すべての壁が取り払われていたんだ。その向こうには幾重もの色が塗られている。だけどそこに、僕たちが持っている色はない。


「どうせならさ、みんなで一緒に出ようよ」と、大人っぽくなった理沙。首にぶらさがるマフラーの色は黄。


 理沙の提案に、みんなが横一列に並んだ。みんな腕の長さも、てのひらの大きさも違う。これから僕たちは、自分の欲しいものに手をのばしていくことなるんだ。


「右足から、それとも左足から」あいかわらずな僕。羽織っている裾の長い白衣は、五色をまとった白。


「右足からでしょう、お兄ちゃん」


「ごめんごめん」


 そうして靴の爪先を揃え、僕たちは横一列に並ぶ。すこしだけ後ろが気になって振り返ってもみた。


 するとそこは六色の部屋ではなくて、黒板や時計、机や椅子、それからロッカーにお掃除箱といった、見慣れたものが一杯置いてある場所に変わっていた。


 そう、僕たちが色を塗っていた真っ白な部屋は、じつは教室だったんだ。


 僕の胸に駆け巡る想い。僕たちはたしかにここにいたよ。間違いなくね。


「おい、颯太。余所見すんな」


「ごめん、透」


「よし、行くぞ」精悍な顔立ちになった冷が音頭おんどを取る。「せぇの」


 そうして制服を脱ぎ捨てた僕たちは、みんなで一緒に、教室から外の世界へ向けて一歩を踏み出す。


 僕たちがこれから踏み出す世界。世界はいつだって待ってくれている。


 僕たち一人一人だけが持つ、たった一色の色を塗りにきてくれるのを――

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のばしたこの手をつかんでくれ 神乃木 俊 @Kaminogi-syun

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