第8話 戦いが、壮絶に終わる……
前沢課長は、過労により、真っ赤に充血した目で、常務を捉えながら指摘する。
「幕ノ内常務……何故、アナタは合併の話を知っていたんですか?」
「あ? 君は新入社員か? 己のビジネスを有利に進める為、社会の流れを知り、常に情報を集めるのは、会社員の常識だろ!?」
方眉をつる、中年太りした、てっぺんハゲの上司に、前沢課長は強く踏み込む。
「両企業の合併は、まだ、非公開のはず。
このバトルのルールでは、前年度より以前の、経済トピックスが、この異世界に反映される……だが、合併話は先週、発表されたばかりだ。
知っているのは、会社内部の人間のみ……社外のアンタが、知り得るはずがない」
「そ、それは君! たまたま、内部の情報が漏れて、私の耳に入ってきただけのことだよ――――」
幕ノ内常務は、思わず口にした、自らの言葉に
前沢課長は、相手の襟を、正すかのように、問い詰めた。
「例え、たまたま得た情報でも、それにより、アンタは現実世界で、不正な利益を得たはずだ……これは、金融商品取引法に違反する、明らかなインサイダー取引だ!
アンタは、この決闘に置いて、武道の精神に反する行いをした。これは許しがたい違反です!」
幕ノ内常務の顔が、みるみると、青ざめ、慌てふためく。
「な、何を言っている!? 負けが立て込んだからってぇ、言いがかりはよさんか!」
幕ノ内常務が平静を装うと、観客席から、矢で射抜くかのごとく、野次が放たれる。
常務の手札を、オーディエンスは許さなかった。
飛び交う罵詈雑言は、固い雹のように、冷たく当たる。
民衆の内に眠る正義は、スタンドアローンを起こし、波紋のように観客席へ広がる。
「おぉ……おぉぉおおお…………おおおおおおおおお!!?」
オーディエンスの鉄槌に、押し潰された常務は、手が震え、膝は彼の身体を支えきれなくなり、糸の切れたマリオネットのように崩れる。
かろうじて、両手を地に着け、身体を支えると、今度は頭が重力に逆らえなくなり、徐々に落ちていく。
「わ、私が……私が、負けたのか?」
綺麗に抜け落ち、中年油で輝く、てっぺんハゲは、眩しく光る、銀色の満月を思わせた。
不潔な中年満月は、ゆっくり、ゆっくりと地に落ち、沈んでゆく。
「……う、嘘だぁぁ……嘘だぁぁぁあああああ!!?」
幕ノ内常務はうつぶせり――――――――土下座した。
見苦しい……とても見苦しい姿だ。
出世欲を優先し、同期を踏み台にしたあげく、部下を使い捨てにした。
前沢課長が、異世界で勝負を挑まなくても、誰か別の部下が、彼に決闘を申し出ていただろう。
勝ちに、こだわり過ぎたせいで、己の策に溺れた。
自業自得とはいえ、自分も出世だけを考え、仕事をしていたら、目の前の強欲な男のようになっていただろう。
反面教師として、彼の惨めな姿は、目に焼き付けて置かなければならない――――。
常務の敗北に、コロシアムの観客は、歓声を上げる。
上司に反抗した会社員という、一人の勇者を皆、讃えた。
ここまでの賞賛は、若い頃、営業成績で1位になり、社長賞を贈呈され、同期や後輩、職場の女の子たちから喝采を貰って以来、久しい…………。
前沢課長は静かに勝利を噛みしめる。
この戦いで、彼が得た物は、プライドだけだ。
しかも、会社からすれば、つまらない小さなプライドだ。
何の利益も無い。
戦いを終え、明日から、彼の会社での立場が良くなることは、ないかもしれない。
いや、むしろ、上司に逆らった事で、彼は、これから苦難に立たされるだろう。
本当の戦いはこれからだ。
異世界から現実世界に戻り、企業戦士として、定年まで彼は、会社で戦い続ける。
唯一、これまでと違うのは、この勝ちにより彼は、胸を張り、これからも会社に出社できる。
これだけは言える――――――――プライドが無ければ、良い仕事は出来ない。
鳴り止まない歓声は、異世界の空気を伝い、夜空へ、高く、高く舞い上がる――――――――。
そして、この世界の外へ突き抜けて、空気が存在しない、どこまでも冷たい、広大な世界に飛び出した。
空気の無い世界で、歓声は、異世界が持つ、魔の力場を媒体にして、更に拡散していく。
歓声と魔の力が入り乱れる、微かな響きを、月は、全身で感じ取った。
月は、この冷たい世界に存在してから、40億年もの間、外周し、この異世界を見下ろし続けて来た。
ここまで、心躍るモノを見たのは何億年以来だろうか?
次も、このような、魂のぶつかり合いが、見れるだろうか?
異世界の月は、今宵も、心待ちにしながら、自ら放つ光で下界を照らしていた――――。
名刺バトル デュエル・オブ・トラバーユ ~異世界で、悪徳上司に倍返し!~ にのい・しち @ninoi7
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