アジーズの正体
「みなさん、集まってるようですね」
ふいに、戸口から声がした。目を向けるとそこにはカイスがいた。しかしこれもまた、見たことのないカイスであった。彼は船乗り兼漁師の家の下働きの姿ではなく――宮中で働く人間の、それなりの身分があるであろうものの服装をしていたのだった。
「カイス!」
モナとアリーがびっくりして声を上げた。立ち上がった三人のほうに、カイスがゆっくりと近づいてきた。
「ターヒルといい、あなたもまあ……身元を偽っていたのね」
モナの言葉に、カイスがくすりと笑った。「申し訳ございません。これも今回の作戦のためでして……。いえ、それ以外でも私はしばしば町の下男となるのですよ。陛下のおんためにね。ああ、陛下といえば……」
「私の話をしているのか?」
また戸口で声がした。そして、ゆっくりと部屋に入ってきたのは――モナとアリーはまたもあっと言った。スフラブだけは驚いておらず、彼は既にその秘密を知っていたようだった。
悠然と姿を現したのはアジーズであった。あの船乗り兼漁師の、陽気で愉快なアジーズであった。けれどもそこにいるのは、船乗りでも漁師でもなさそうだった。身にまとう衣装や装身具は落ち着いた風合いではあるけれど十分に贅沢で、富と手間のかかったものであることが一目でわかり、このような身なりができるものが世の中にそんなにいるとは思えなかった。――王でもなければ――この国を、この広き国を治める王でなければ、このようないでたちができるとは思えなかったのだ。
「あの……アジーズ……。陛下ってまさか……」
アリーが気圧されながらも呟いた。アジーズは子どもたちににっこりと微笑んだ。
「陛下とは、私のことだよ。黙っててすまなかったね」
モナとアリーはぽかんとしてこの美しい青年を見つめた。青年の目はいたずらっ子のように輝いていた。アジーズの後から、もう一人、今度は豊かな髭の人物が入ってきた。アジーズはその人物を二人に紹介した。
「そして、この人は私の父だと言っていたが、本当は父ではないんだ。この国の偉い大臣なんだよ」
モナは言葉が出ず、そしてアリーはそっとモナに言った。「普通のおっさんじゃなかったんだな!」モナは思わず笑ってしまった。
「陛下、お忍びで町に出かけるのもほどほどにしてくださいませ。私はいつも寿命の縮まりそうな思いをしているのですよ」
大臣が横から苦言を呈した。アジーズは決まりの悪そうな顔をした。
「いや……すまない。どうもずっと王宮にいるのは窮屈でねえ。私はつい外へ遊びに出かけたくなってしまうのだ。で、こうして大臣に怒られているのだよ」
モナは笑い出した。この国王陛下も自分も同じで、お屋敷から抜け出すのが好きなのだ。そしてやっぱり叱られているのだ。国王陛下というとずいぶん偉く、雲の上の存在に思えるが、このアジーズは――そもそも船乗り兼漁師として会っているせいか――とても親しみやすい王様に思われた。
「でも、だったら、航海の話は? あれは嘘だったのかよ!」
アリーが抗議の声を上げた。アジーズは穏やかにそれを否定した。「いや、そうではないよ。私は王太子時代に船で旅をしたことがあってね。そこでターヒルやカイスともあったのだ」
「あ、あと、昨日、私の家でスフラブに跪いていたのはなんで?」
「あれを見られていたのか……」アジーズは言いよどみ、困った顔をして「まあ、あれはなんというか……」
「ただのおふざけでございましょう?」
そう声をかけたのはカイスだった。しれっとして言うのだった。
アジーズはその意見には反対のようで、たちまち否定した。
「いやそうではない……うん……まあそういう部分もあったのかもしれないが……。いや、やっぱりそうではないんだ。私はあの時この少年に、スフラブに感謝していた。我々のひどいともいえる提案を受けてくれたスフラブに感謝していたのだ。だから、跪いたのだよ。有難さで、頭を垂れたくなったのだ。――本当に、ありがとう」
最後の言葉はスフラブに向かって言ったのだった。スフラブは真っ赤になり、いえそんな……などと小さく言いながら俯いた。モナはそんなスフラブを優しく見ていた。
「ところで」ふいにアジーズが話題を変えた。「物語を読んでいると、よき王が出てきて登場人物たちに大盤振る舞いをするだろう? 私はあれをやりたいのだ。そう――私はよき王だから」アジーズが茶目っ気たっぷりに言った。「そこで私は今からこの勇敢な少年と、彼と同じくらい勇敢で心優しい少年と少女のために、盛大な宴をやりたいと思う」
「やったあ!」
それを聞いたアリーが喜んだ。アジーズはさらに言った。
「たっぷりの御馳走を用意してあるのだ。甘いものも辛いものも、北方のものも南方のものも、海のものも山のものも……。存分に食べるがよいぞ。飲み物もある。そうだ、美しい舞姫たちも呼ぼうか」
「……陛下。相手は子どもですぞ」
真面目な大臣がたしなめた。
「うんまあ、舞姫はともかく、ターヒルは来るぞ。用があって今は来ていないのだが、それを済ませてこちらに来るそうだ。ターヒルに踊らせるのも……楽しいかなあ……」
アジーズの声はいささか自信なさげであった。ターヒルの名前を聞き、モナはどきりとした。ターヒル。初恋の――昨夜はそう言ってしまったが――初恋かもしれないが、その時はそう思ったのだが、今ではターヒルに対する感情がなんであったのか、わからなくなってしまっていた。でも確かに特別な人、特別であった人として、これから先も記憶されるのではないかと思われた。
こうして一件は落着し、物語は結末を迎えたのだった。子どもらは、そして大人たちも大いに御馳走を楽しみ、幸福な一日を堪能したのであった。
星の都の子どもたち 原ねずみ @nezumihara
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