はじめてのお茶漬け

水木レナ

はじめてのお茶漬け

 幾度もノブを回そうとする音がする。

 実際見ると、鍵がかかっているため、半分も回しきれずいつまでも表で、「おっかしいなあ」の声がしている。

 ミカは豊満な胸の下で腕を組み、しばらくそうしていた。

 気絶した妻を放って仕事なんかに行くからそうなるんですわ! 鍵を内側からかけたのは私ですけど、当然ですわ。

 仕方のないアキオ。鍵を持ってでなかったのかしら? そんなはずありませんわね。鍵はいつも小銭入れのキーホルダーに……。そう、そうでしたわ。腹いせに外側から開けられない鍵を閉めたのでしたわ。ふふっ。


「あら、おかえりなさいませ」

 ミカはツーンとしてドアを開ける。アキオの顔をみるものかとそっぽを向いている。

「た……ただいま。もう、大丈夫なの?」

 ミカはつん! として一声。

「大丈夫なわけ、ありませんでしょ? 目が覚めたらたった一人でしたのよ!?」

「ああ、ごめんごめん。はりきりすぎちゃったよね、今度からちゃんと手加減するよ」

「……! 大きなお世話ですわ!」

 アキオはきまり悪げに後頭部をひっかいた。

「で、夕飯は食べた?」

「まだ……」

「じゃ、じゃあいいもの買ってきたから、食べようよ。一緒に、どう?」

「よくってよ。さあ、その買ってきたものというのを出しなさい!」

「え? これは……その」

「いいから出しなさい!」

「……」

 ごそごそ、と小さなレジ袋を探り、中から四角いビニールのパックをとり出す。ミカはしばらく見つめて逆さにふってみたりと考えているようだったが、やがて音を立ててパックを引き破いた。

「なんですの? これ!」

 しゃしゃ! と擦過音がして、平たい袋がアキオの目の前に差し出される。

「あれ? お茶漬けのもと、知らなかった?」

「オチャヅケってなんですの?」

 だと思った。やっぱりこういう感じか。ミカさんは。

「こう――ご飯の上にふりかけて湯を注ぐんだ。簡単だよ?」

「ふーん。なら、私がつくりますから、アキオはリビングでお休みになってくださいますこと?」

 つーんと山葵のように目に沁みるまなざしだった。

「大丈夫かい? 手伝わなくても――」

「私をなんだと思ってますの? アキオの妻! ですのよ? これくらい、できますわ!」

「じゃ、じゃあ頼むよ」

「わかりましたわ」

 前代未聞のものわかりのよさだ。アキオはしばらく放心した。

 あの、湯の沸かし方すら知らなかったミカさんが……。独りでキッチンに立つだなんて。

 

 でもなんだか、いつも通りの態度だ。もしかしたら、朝の事、許してくれるかも……。

「ほわ……」あくびが出た。

 朝から張りつめ切って、仕事場でもミカのことが気にかかり、フォークリフトを工場内の線路に乗り上げて周囲に迷惑と心配をかけた。今日の仕事はもう、早く上がれと言われて断れなかった。

 なんて情けないんだ。

 凹んでいると同僚が

「嫁さんのことか? 怒ってるんならうまいものを食べさせるといい」

 と入れ知恵してくれたので、極力メジャーかつ、お嬢様育ちのミカが知らなさそうな、もとい珍しがるであろうものを買った。庶民の暮らしもたまにはいいところがあると、教えてあげなくちゃ。


 のほほん、としてドアを開けると、リビングに明かりがついていなかった。不思議に思っていると、キッチンからなにやら格闘する音がする。

 やれやれ、こないだ教えた電子ジャーの使い方、忘れたのかな?

 アキオはくすりと笑みをこぼす。

 少し気が楽になったや。ミカさんはいつものミカさんのようだ。

 アキオは靴下を履き替え、スリッパをひっかけてペルシャじゅうたんの端を踏まないようによけてTVの前を行きすぎ、テーブルについた。


 依然、格闘音は止まない。いったいどうやったら、お茶漬けのもとを開けて飯にかけるだけで、フライパンをひっくり返したりできるのだ。

 ご飯、今朝炊いておいたんだけど……。

 アキオはそれ以上のぞくのをやめた。なんだか世間知らずな子供のようでミカをほほえましく見ているが、それ以上見ていたら、放っておけずに手伝ってしまいそうだ。

 いや、それ以前にミカが自分でしたがっていることを遮って自前で夕食をそろえてしまいそう。だから。

 時間がかかっても、ミカさんのやりたいようにさせてあげるんだ。そのくらいの心意気ってもんぐらいはあるんだ。

 自分はのほほんと構えて待っていればいいのだ。


「ちょっとお、なんですの、これ。どこから開けますの? 専用の機器はどこにありますの?」

 説明書きを、読んでいなかった。ミカのつくったお茶漬けは、湯を注いだだけの白飯に、お茶漬けのもとが袋ごと乗せてあった。

 こうきたか! 

 アキオは笑って、

「食べやすくていいね!」

 と、自分で袋を破いてやった。


 うーん、結婚前の姑さんみたく、異物混入とかの心配はないな。よかった。これなら安心して食べられる。

 アキオはミカが持ってきたスプーンで飯をかき混ぜ、まごうことなき『お茶漬け』を楽しむ。心から。

 不思議そうに見ていたミカも、袋を破り、二つ三つは無駄に散らばしながらも、初めてのお茶漬けに口をつけ、

「熱ッ! 出来立てで食べられませんわ! ふーふーして冷ましてちょうだい!」

 などというアキオにとっての萌えワードを発しながらも、二人で楽しい食事を終えた。


 幸せな空気が、二人を包んでいた。


「もう、怒ってない?」

「なにがですの?」

「今朝調子に乗ってやりすぎちゃったこと」

「……」

「あ、やっぱりダメ?」

「別に、私はアキオの妻ですもの! 夫婦の営みくらい、ちゃんと心得てますわ! ただ、その……」

「ん? よすぎて意識がふっとんじゃったのは不可抗力だから、気にすることないよ」

 ハッ! とミカは顔をあげ、頬を紅潮させて抗議した。

「だからといって、妻をそのままにして出かけたのは許せませんわ!」

「おいおい、仕事だったんだって」

「一緒に朝ごはんが食べたかったんですのよ! 一人でなんか、食事が喉を通らなかったんですもの!」

「あー。それは……悪かった。もうしないよ、朝には」

「へ?」

「朝は一緒にコーヒーとサンドイッチ、もしくはベーグルパンを焼いて生ハムを挟んで食べよう」

 ミカがそうやって市井に憧れてきたように。彼女は目をキラキラさせて胸の前で手を握りしめた。

「絶対ですわよ!」

「ああ、絶対の絶対」

「アキオが朝食を作ってくれたら、夜は私がお茶漬けをつくってあげますわ!」

「ああ! たのむな」

「アキオ、許してあげますわ!」


               END

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