パパ、小指が痛いの

いすみ 静江

パパ、小指が痛いの

「痛いの……」


 真白小雪ましろ こゆきは、一人、台所で小指を見つめていた。

 洗い物をして、ジンと来ていた。


「小指が痛いの……」


 もう直ぐ、夏休みに入るのに、急に雷が近くの公園に落ちる等、不穏であった。


 子供達が小学校へ行っている間に、つまらない転た寝をした。


「ママ、久し振りに、コーヒーを飲もうか。一緒に……。ドリップする?」


「パパ、今夜はどうしたの? とっても嬉しいんですけど……」


 頬にキスを貰いながら、私は、涙で頬を濡らした。


  * *


 暑かった。

 なんつー、猛暑ですか。


「お兄ちゃーん。お天気を見るのが好きでしょう? 一緒に雲を眺めない?」

「うん、いいよ。ママ」

 ここは、団地の三階、手前の部屋。

 そこへ、お兄ちゃん大好きっも来た。

「お兄ちゃんだけ、ずるいー! 私も見たかった……!」

「今から、一緒に眺めようよ。ね?」

「マーマー。雲がハートに見えるよ」

「どこどこ? ああ……。そうだね! 可愛いね」


 指差した手も小さくて可愛らしかったな。

 そんな訳で、この三人で、夏は麦茶をガンガン消費した。

 私だけ、麦茶ばかりでお腹を冷やしてしまった。

 そこで、今夜は、リッチにフリーズドライのスティック・コーヒーにお湯を注いだ。


「パパ、一本増量キャンペーンだって。奮発しちゃった。一緒にコーヒーブレイクしない? カモン、カモン!」


 甘えてみた。

 私のピーターうさぎさんの今年限定マグカップに彼の青いマグカップも並べてあった。


 パパの佐助さすけはと言えば、湯上がりに、ガラリと冷蔵庫から宝物を手にし、畳にあぐらをかいた。

 缶ビールをプッシュッと片手で開けて、さくさくとつまみの支度をしていた。

 我が家には、ちゃぶ台があったが、子供部屋に運んでしまった。

 よって、ビールやつまみは畳に置かれる。

 家賃三万の東京の物件。

 網戸もないのに、暑いから、窓を開けている。


「コーヒーは、今はいい」


 ……そう言われると、寂しいのですが。

 呑兵衛は面倒だと思いながらも、眠れないらしいので、致し方ないと思う事にした。

 二十余年色々あった。

 でも、時折、昔みたいに、一緒に何でもいいから同じ物を同じ空気で楽しみたいとは思っているよ。


  * *


「痛いの……」


 そうパパに話しても余り聞いてくれなかった。


「小指が痛いの……」


 左手をパパに差し出した。

 そう、左手の小指だけが痛かった。


「俺が診ても何も分からんよ」


 うーん、つれないなあ。


「ねえ、病院に行こうか?」


 変に痛くなって来て、心配していた。


「サロンパスとかじゃ駄目なの? 冷やすと良いよ。その辺で売っている物の方が楽だよ。病院のお金は、いくらするか分からないし、今は待って欲しい」


 パパは、やっと耳を傾けてくれた。

 私は関心を買いたいから、小指が痛いと詐病を働いている訳ではないよ。


  * *


「うーん、流石に、病院に行ってみようかな?」


 一月は経ってもまだ痛かった。

 私は、ポーションタイプのアイスコーヒーを贅沢にも氷を入れていただいていた。

 パパは、プッシュッまんである。

 ビールも安くないんだけどな。


「行きたかったら行っても構わないと思うよ。自分で決めていいんじゃない?」

「そう? いいの?」


 やっぱり、自分で決めるんだ。

 絵のタイトルが決まらなくて相談しても、自分で納得する迄、熟考しなさいと言われる。

 アイスコーヒーの一口目はヒヤッと喉を潤した。

 ビールはどうなんかね?


「必要経費は出すよ」

 今夜もニュースを見ながらのながら星人である。

「食費もギリギリで。良かった……」

「俺もギリギリだよ。財布に五千円しかなくても油入れて現場に行かないといけないのに、立替金は三万、先月の給料が、会社が黒いから七万円も来月迄ないんだよ」

 悪かった。

 悪い会社で、悪かった。

 黒いもんな。

「娘の眼鏡も買えないのは、気にしているよ」

 支援金待ちだと、後で知った。

「俺だってそうだよ」 

「すまない。今度、病院に行かせてください」

 ぺこりとした。


  * *


 そうして、私は、整形外科に行った。

 既に七月十八日になっていた。

 受付で、直ぐに小さな紙に氏名と現住所だけを書いて、保険証を出すと、間もなく呼ばれた。


「どうされましたか?」


 ご年配の医師だった。


「左手の小指が痛いのですが」

「どこ?」

「この、ピンポイントで言うと、外側です」

「レントゲンを撮りましょう」


 最初は、両手をパーにして、二度目は、弥勒菩薩の様に手で輪を作って、あっという間に終わった。

 暫くして、呼ばれた。


「これは、ヘバーデン結節です」


 図を見せられた。

 指が曲がっていた。


「薬で治りますから」


 そう、医師は仰ったが、それ以上は語られなかった。

 忘れない内にさっさとスマホで調べると、ブツブツができたり、指の第一関節が曲がるらしい。

 更年期に見られ、原因は不明とあった。

 そうか、更年期も何も、子宮は剥がしちゃったからな。

 閉経ではある。


 受付をした所で、会計と薬局も兼ねていた。

 お支払をして、薬を手にして帰った。


 真白小雪様と書いた外用薬の袋を開けてみる。


「インドメタシンゲル1%がどどーんと入っているではないか……! ガガーン!」


 主成分:1g中インドメタシン10mgを含有。

 貯法:気密容器・室温保存。

 そう本体に書いてある。


「サロンパスではなかった……」


 私の求めていた物は、サロンパスではなかった。

 インドメタシンであった。


「ついに見つけたんだね」


 そう言って欲しくて、パパに報告した。

 大抵の物は見せても数秒な速読派のパパはつまらないからな。

 今度こそ、病気だったと認めて欲しいし、サロンパスでは効かない事を伝えたかった。


 ――所で、このゲル状の薬を使用すると、変態の館のお友達に教わった、スマホで使えるワイヤレス・スタンド・キーボードが使いにくくなる。

 何故なら、小指のポジションの特にA等が、インドメタシンに苛められる。

 Aのキーはもう油っぽい面をしているのだ。

 更に、ついでながら、小指が痛い。


 小指が痛いのだ。


「そうか、何の病気か早く分かって良かったよ……。一緒に治そうな」

 読んでいた本を置いて、聞いてくれた。

 私の話を聞いてくれた。

「パパ、ありがとう……。今夜はコーヒー飲まない?」

「あちーけど、温かいコーヒーもいいな。今日は、休肝日だ……」


 私の代わりにコーヒーを淹れてくれた。


 熱くなくて、心がほっとするコーヒーだった。





 Fin

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