ある秋の日の混沌

@Sakura0601

第1話

厳しい残暑と、これまた厳しい定期テストと、その上生徒に襲い掛かるは大量の課題。

覚悟はしていたが耐えきれず逃避する者、定期的に発狂し変人に成り果てる者、現実を見失う者。ほぼ全ての生徒が、この三つのうち孰れかに当てはまっている…少なくともこのクラスでは。一に勉強二に勉強、三にカフェイン四に睡眠。それがこの学校の暗黙の了解だ。

このクラスの生徒の一部にとっては、五に「混沌(カオス)と呼ぶ相応しい放課後」、またの名を「自分達の唯一の青春(仮)」。


後期中間テスト最終日の放課後。

久々の部活に散っていくクラスメートの瞼はどれも重そうに見えたが、その下の目は嬉しそうに見える。

そうして部活へ行く生徒、図書館で勉強する生徒、ほんわか担任が廊下へ消えていって、やっと彼等の放課後がやってくる。


清掃後の美しいまでにまっさらだった黒板は、「数学部の変人女子」こと奏 未音によって数式で埋め尽くされていた。彼女の手から逃れた僅かな隙間さえ、「頭の中を見たくないランキングNo.1」こと紺野 優の描く意味不明な図形にその深緑を奪われる。

このクラスがチョーク消費量が異常値である原因は、主にこの二人である。そして二人の描く数式と図形を理解できる者は、この学年には最早いなかった。数式なら、少しは理解できる数学教師はいるだろうが。

やっと冷たくなり始めた風に、紙飛行機が一つ乗った。それが未音の「芸術の爆発(物理)」な髪に刺さり、証明は終わらないままに放置される。

「…いたい」

未音は振り返って、紙飛行機の作り手である男子生徒、「黙ってればいけめそ」こと有賀 春樹へチョークを投げた。

「有賀は部活行かないの?」

春樹はそのチョークを右手でキャッチしてから、未音に答えた。

「分かって言ってるろ、英語部は部活ない日の方が多いんだよ、お前と同じで」

軽々とチョークをキャッチされた未音は口の中で「顔に喰らえばよかったのに」とぼそっと呟き、別のチョークを手に取った。

「ねえ、紺野もそうなの?」

未音は黄色いチョークを手で弄びつつ、隣でタージマハルの上のやつみたいな何かを書き始めている優に聞いた。赤色の曲線を描く手が止まり、彼は振り返る。

「僕は幽霊部員だし、まあいつもあってないようなものだよ」

その言葉に、一年生ながらに人数不足のために部長である「黙ってれば美人」こと七瀬 茜が鋭いツッコミを入れる。

「あるよ!ちゃんとあるもん!今日はないだけだしっ!」

「ふーん」

チョークだらけの未音の手から救い出された紙飛行機は、今度は黙りこくっている「唯一の特徴:黒縁メガネ(つまり特筆すべき特徴がないのが特徴)」こと谷野 颯の眼鏡に向けて飛ばされた。

「パソコン部はどうなの?メガネ」

颯が慌てる様子を見て浮かぶ未音の笑みは、なんとも性悪なものである。

「たっ、たた…っ多分…ない、です」

ずれた眼鏡を押し上げた颯の手元にあるのは、これまた意味不明な記号やら数字やら言語やらで埋め尽くされたルーズリーフだ。これを理解できる者は確実にこの世に存在しない。

未音は黄色いチョークで証明の続きをしようとしたが、優によって描かれたタージマハルの上のやつみたいな図形により先程までの式が既に亡き者にされていた。

がたんと音を立てて春樹は立ち上がり、教室を見回して、言った。

「やっぱ、この五人になっちゃうんだよなあ」

茜も立ち上がり、けらけらと笑う。

「テスト終わったんだもん、みんな今日くらい遊びたいんだよねー」

「遊ぶっつっても、それぞれが変なことしてるだけだよなあ」

「まあそうだねどね」

高身長二人組の会話はいつだってお似合いのカップルそのものにしか見えない…というのは優の見解だが、きっと他の誰がみてもそうなのだろう。優の手はまた動き出し、今度は五重の塔の重なってるやつみたいなものを書き始めた。リア充滅びろ、と心の中で毒を吐いて。

「ねえ奏さん」

呼ばれた未音はびくりと肩を震わせ、チョークを床に落とした。

「心臓に悪いなあ、なに」

「奏さんの名前ってなんだっけ」

「いま10月だからね。高校入って半年経ってるからね。ひょっとして他の人も覚えてないの?未音ですよ。はい。」

「へえ、綺麗な名前してるんだね。他の人は名字も危ういかな」

「紺野は人に興味なさそうだね、もうすでに自我が完成されてるみたいだもん」

「奏さんに言われたくないね」

「えっ」

優はそれに返事をするわけでもなく、緑のチョークを手に取った。DNAの二重螺旋構造のようなものを描いて、言った。

「これが奏さん」

「ああ、ねじれた親とねじれた親からできた子供だから二重にねじれてんだね、上手いこと言う」

「…そっか、親か」

「そう言う意味じゃなかったの」

「じゃあ」

紺野は迷いもなく黒板にそれを走らせた。描かれたのはタンパク質の分子構造モデル図に似たものだ。

「これが僕」

「私の寝癖みたい」

「異論はないかな」

…理解できない…颯は心の中でため息をついた。実際にもしていたかもしれない。あの二人はいつだってああなのだ。根っこは同じ人種だから、話してることはいつだって二人だけの世界で成り立っている…決してそれは恋愛フラグではないのだが。

颯は手元に新しいルーズリーフを置いた。

『10/19 今日も黒板はカラフルな粉に埋め尽くされて、元の板の色は確認できない。描かれている図形を理解できる人はこの世にいて欲しくない。数式くらいならぼくは理解できるけれど。背の高い二人組は下敷きでテニスを始めた。何故運動部に入っていないのか不思議なところだ。今日もこのクラスは平和である。』

そのルーズリーフの行き場は、誰も知る由もない。

長々しいテスト後の午後はこうして過ぎていき、やがて夜七時を迎える頃にはぱらぱらと散って行くのだった。

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