旅立ち

 たなびいた煙を断ち切るように、新津意次にいつおきつぐは煙草を灰皿に押しつけた。薄茶色の巻紙が折れ曲がり仄かな明かりと甘い臭いがたちこめる。燐寸がなくなった。日焼けて黄色くなった畳はちくちくと彼の足を刺す。万年筆も藁半紙も入れ替えたばかりで、出かけるには理由が少し薄弱だったが、どうにか外へ出かけたくて彼は身支度をした。


 新津は小説家である。彼には書けるものが皆無であるかわりに、書けないものが山とあり、それを彼自身がもっとも鮮明に自覚しているという点において、小説家と自称するに足る最低限度の素養を擁していた。ただし、それはあくまで彼の自己および身内に限られた認識であって、当然ながらそこから離れた人間にとって知られたものではなかった。そして、未だに小説を発表していない彼は誰かに知られる術すら持ちえずにいた。

 戸籍に刻まれた名前で、「彼」は生まれ、働き、何かを食べ、気まぐれに何処かに行き、特段誰とも交わることなく一命を終える。その総てが浦安で完結する環の中に「彼」はいた。自らの生が、浦安から出ない可能性とその閉塞に気づいたとき、打開策として「彼」の中に天啓のごとく生まれたのが、別の自分を作り上げることであった。別の名、別の住処、別の寝床、別の仕事、そして別の生活。自分とは全く別の生活を考え、想い、耽る。もし、自分が今とは異なる生活をしていたらどうなるだろうか。問いを端緒に「彼」は思索した。「彼」は幼い頃から小説をよく読んでいた。周囲から文学青年と揶揄からかわれながらも、いわゆる文豪と呼ばれる小説家たちの作品を読み、やはりその生活に、情緒に、空気に思いを馳せた。別の名を持つ自分はせめて、小説家になっていたい。純粋で他愛もない願いから、「新津意次」という小説家は生み出された。


 しかし、新津は小説の書き方がわからなかった。様々な小説を読んではいたものの、小説をどのようにして書くか考えたことすらなかったのである。音楽などのほかの多くの学問と異なり、文学というものは誰でも簡単に始められるように見えて、その実入口は極めて解りにくい場所にある。随分と小説を読んできた筈なのに、新津は小説がいかなるものであるのかを知らなかった。思うがままに書き綴れば登場人物不在の書状になってしまうし、かといって登場人物の会話を意識すれば今度は場面の情景が不自然だ。工場の中なのか外なのか、海の上なのか下なのか右なのか左なのかてんで判らない場面ばかりで、万年筆と藁半紙は徒に消えていった。新津意次はれっきとした小説家であったが、であるが故に彼は小説を書くことが出来なかった。一旦筆を置いて、周囲を散歩することにした。

 空を見上げた。代わり映えのしない薄曇りの空は都市の煤煙で真昼でも仄かに暗い。遠くには急行列車の轟音が聞こえ、貸間屋の売り文句だった潮の音は常に鴎の鳴き声に消されている。新津にとって浦安という街は生まれ故郷でもあり、同時にいずれ離れる土地だろうと予感している場所でもあった。陸の孤島、僻地、閉塞した漁村――かつて軽蔑の目で語られたそれらは、広大な東京湾埋め立て事業と帝国鉄道千葉湾岸線の誘致により返上され、今や浦安は帝国有数の鉄加工の街――そして、帝国最大の遊郭がある街――として帝国中にその名を知られるまでになった。取れなくなった海苔や浅蜊は魚河岸から仕入れればよく、古くからその人口に比して著しく多い寿司屋はむしろ人口の増加により繁盛を極めた。屋台雑誌や飲食店特集で東京湾岸が上がれば、船橋の麺麭屋や津田沼の蕎麦屋などに混ざって浦安の寿司屋のいくつかが掲載されるほどだった。新津の目の前で、浦安は急激な発展を遂げていた。その果てが煤煙まみれの風景であることに、彼はふと気づいた。

 煤煙で汚れた風景も、いつかは綺麗になるのだろうか、それとも、さらに汚れていってしまうのだろうか。

 新津は街の行く末に興味を持った。やがては離れる身の上であったとしても、彼が生きた僅か三十年の間にこうも風景が変わり、なおもそれを残していないとなれば、自分が今見ているこの風景を思い起こすことは誰にも出来なくなってしまうのではないか。彼の見た景色が残されずに消滅してしまうことに、悲しさと恐怖、そして無常を覚えた。

 思えば、小説には景色がつきものであった。彼にとって小説で想起されるのは登場人物や舞台の雰囲気であり、身を纏った空気であった。であるならば、それを文章に顕現させるべきではなかろうか。そうして「彼」は新津を描き始めたのである。

 地平線と水平線しかない街を想像できる人間は実のところそれほど多くはない。しかし、新津はむしろ、視界の何処かに山がある風景を想起することが出来なかった。畢竟、彼の万年筆から語られるものはひらけた港街で起こるそれでしかなかった。新津は気に入らなかった。彼には山が判らない。森が判らない。鬱蒼とした、などと書くことは容易であるが、読み手に真に判りやすく、ありありとその情景を詳らかにすることがどうしても出来なかった。そこに漂う「空気」を知らなければ書き表すことはなかった。彼の想像力ではそれが限界であった。六畳一間から出られなければ、万年筆は空を滑り、薄青色と灰色が混じった浦安の四角く切り取られた空をただ写すだけに過ぎなかった。

 旅に出よう。

 新津は思い立った。あてのない、誰にも知られることのない旅で、彼は彼にしか見えない景色を、空気を感じるために旅立とうと決意した。四季折々、様々な場所を巡っていけば、そのうち小説を書いていくことが出来るかもしれない。小説は人と景色とを描くことだとするならば、とにかく多くの人と、多くの景色に出会うことで、自分の小説が「完成」するかもしれないのだ。たとえ、その先に逆説的な孤独が待っていようとも。

 新津は歩きだした。あてもなく、しっかりとした足取りで、船底通りへと歩いて行く。


 孤独な「彼」に、旅の道連れが加わった。

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煤けた海苔屋から見える空 ひざのうらはやお/新津意次 @hizanourahayao

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