第7話 幼生二匹の奮闘

「先輩、ここ最終的に何言いたいのかが解りにくいです。後、主語明確にした方が良いですね、出典はもう張りました?」

「了解した、そして張った」

「しかし、説明文の製作って思ったよりも難しいな」

「相馬くんのお陰で助かっているよ」

「いえ、そんなこと...テンプレート事前に作って貰えなきゃどうなってたか恐ろしい」

「石黒さんはこちらの予想の遥か上を行く、有能な変人だからな」


先輩がどこか楽しそうにぼやいた。

大概先輩と言い、石黒さんと言い、頭の良い人は何かしら奇妙だ。

それとも深海に心を囚われた人は皆こうなのだろうか。詮無い共通項探しに考えを巡らせるも、解ったことと言えばやはり先輩が一番おかしいという、誇らしい事実だった。


俺の考えが伝わったのかどうかは知らないが、先輩と俺は顔を見合わせ、どちらからともなく共犯者めいた、たのしげな笑みを浮かべて、また作業に戻る。 

やはり先輩と共に働くと言うのは俺にとってとても幸福で、かけがえの無い時間だった。だから、その幸せが自分の中からあふれて、破顔となって顔を出したのだ、きっと。


密かに、先輩もそうであったら良いと願う。


俺たちは今、仕事の一環としてこの水族館のオリジナル書籍『深海オペラ』の執筆を任されていた。

土産ブースで販売されているそうで、本来水族館自体が独自の書籍を出版するのはかなり珍しいことであると先輩が語っていた。

確かに言われてみればそんな気もする。

それでもなお販売されているのは、『深海オペラ』の好調な売れ行きの証左に他ならない。発行部数を問うたら、俺が予想していたよりゼロが二つ三つ多かった。

先輩曰く、

「学術面と娯楽面との両立が素晴らしく、私が深海を好いた理由の一端はこの本にあるんだ。アンソロジー形式で綴られるライターと学者の視点の違いも興味深いし、特にこの部分の深海魚の高水圧適応の為の分子構造とαアクチンの関係についての論説が素晴らしいんだよ、なぁ、解るか」

と、やや興奮した様子で魅力を力説してくれた。俺はこの『深海オペラ』の存在を知らなかったけれど、彼女の話し振りから、俺達が今関わっているのは、ひょっとしたらとても大きく深いことなのかも知れないと思案する。

先輩が以前言った『展示説明』とはこのことだったのか。どことなくニュアンスが違う気もするが、これがやはり主な仕事の一つだそうだ。ちなみに先輩は、明日は飼育補助の為に、俺とは別行動を取るらしい。

明日は俺一人でこの『深海オペラ』の執筆を仕上げるそうだ。校正やら何やらはまた別の人が担当するらしいが、俺達の書いた記事があまりにも酷かったら、最悪載らないこともある、と渡された書類には書いてあった。


俺はただの高校生だが、全く望ましい形ではなかったとは言え、一応、強豪の弁論部に在籍はしていた。

何かできることがあるかも知れない。

先輩の助けになりたい。

俺が先輩の夢の枷になるわけにはいかない。

心の中でそれだけを唱えながら、キーを叩き続ける。


蛇尾類、テヅルモヅルの編纂が一段落した。

俺と先輩は思いの外こういった作業をする上での相性が良かったらしく、慣れぬ初めての「仕事」でも、てきぱきと片付けることができていた。

先輩のくれる大量のデータを整理してから、センテンスの粗筋を俺が組んで、先輩が文章を回して、また俺がそれを監督して、を繰り返し、開始三時間で十匹程度の解説を書き上げた。

先輩のくれる情報は全て面白いものだったが、あくまでそれらはデータの羅列に過ぎない。従って俺は、先輩の持ってきためくるめく深海の世界を、一本の、筋の通った文章として編む必要があった。

そして幸運なことに、俺には先輩の話を理解し、枝葉を切り落とし、それなりに解りやすい文に仕上げる才、と言うか特技のようなものがあったらしい。

弁論部の時分にこのことに気付けていたらと悔やむが、先輩が見付けてくれたも同然なので、諦めよう。


先輩との同好会の日々で、似たようなことを幾度か経験しているというのもあるだろう。

俺と先輩の間には確かな信頼と連携が醸成されていた。

資料が少ない魚は、構成との兼ね合いを考えつつ先輩のコラムや考察で穴埋めする。

ブロブフィッシュ、ヨロイザメ、ハチェットフイッシュ、その他諸々の化け物じみた魚が、先輩のありがたい解説付きでパソコンの画面から俺を睨んでいた。

館長の指示で紹介するのは何故か、悪魔的な風貌の魚ばかりだったが、それが逆に先輩の琴線に触れたらしい。

彼女は嬉々として、自らの総知識を説明書きに叩き込んでいた。


まだ見ぬ深海に向け、知識の海をひたすらに潜っていく先輩と、それを不格好に追いかけて、見よう見まねでどうにか沈む俺。

俺達の集中力は、未だ切れない。


しかし時間と言うものはあまねく無情で、人の体は不都合だ。

先輩の腹がぐるると鳴った。

頭を使うと腹が減るらしいから、きっと俺達は生産的な作業をしていたのだ。


「お腹がすいた」

「もうすぐ昼休みですよ、飯いけますよ」

「深海魚のレストランとか無いかなぁ」

「そう言うと思って調べてたんですけど、残念ながらバイトがてらにちゃちゃっと食べに行くにはちと遠いですね」

「あるのか、そして遠いのか」

「ええ、自転車で大体二十分位の所に。でも深海魚食べるって怖くないですか」

「魚たちに不敬だぞ、謝れ」

「すみません、代わりに温泉卵なら買ってきてるので」


先輩が珍しく驚いた顔をした。

三白眼が見開かれたのを見て、してやったりと言う心持ちを抱く。


「覚えていてくれたのか」

「近くのコンビニで買ったやつですけどね、コーヒーとおにぎりもありますよ」

「そうか、一緒に食べようか」

「はい」


時が経って、昼休みになる。

パソコンに持参したUSBメモリを突き刺して、二人で食堂に向かった。

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