第6話 ボウエンギョとミュージック

「先輩、何聞いてるんですか?」

「『若者のすべて』と言う曲らしい」

「伝聞形?」

「今度あなたと一緒にバイトに行くと言ったら、兄からニヤニヤしながら勧められた」

「俺も聞いてみようかな」

「だめだ」

「なんで」

「だめなものはだめだ」


絶対に聞くなよ、こっそり歌詞を調べるのもダメだぞ、と釘を刺された。

不承不承といった感じで頷く。

先輩と俺は、沼津の深海水族館へ向かう電車に揺られていた。


水族館に着いた。

受付にバイトに来た旨を告げ、渡された紺のスタッフTシャツに袖を通して、館長への挨拶に向かう。

道中、ゆうに俺二人分、つまりは横幅三メートルほどもあるシーラカンスの剥製が見えて、先輩にシーラカンス呼ばわりされている手前、複雑な気分になる。

先輩が言うには、あの剥製は今から出会う館長が、館の目玉にと辣腕を奮って手配した物だそうだ。


館長は石黒さんと言う、気の良い人だった。

「こんにちは、深巳くん」

「ご無沙汰しております」

「この間メールで送ってくれた深海曳航体の観測上有用性の質問、中々鋭かったよ」

「本当ですかっ、ありがとうございます」

「ただあれらはランチャー等の工夫で曳航速度がどうにかならんこともないから、そこら辺はもう少し勉強が必要だな」

「解りました、精進します」

「よし」


『唖然』を辞書で引けば、憎たらしいことに今の俺の状況を例じているに違いない。

俺はただただ、二人の話をぽかんと聞くことしか出来なかった。

こんなに無教養な俺が先輩の助けになれるものだろうか。焦燥がチェシャ猫みたいに、意地悪くにやついている。


「君が相馬颯人くんだね?」


石黒館長の呼び掛けにはっと気が付き、


「あっ、はい。短い間のアルバイトですが、よろしくお願いします」

「いやぁ、深巳くんがここに来るたびにいつも君のことを話すから、履歴書を見ただけですぐにこれが例の彼かと解ったよ」

「そうだったんですか」

「深巳くんの助けになってやってくれ、彼女は可愛い弟子のようなものだからね」

「館長、そろそろバイトの説明を」

「ああ、すまん」


先輩にたしなめられた館長は、苦笑いしながらも、二、三枚の書類を俺達に手渡した。


「一応、目を通しておいてくれ。颯人くんは慣れていないだろうからしっかりとな」

「どうも、館長」

「あっ、ありがとうございます」


石黒さんは微笑んで、部屋から立ち去るかにも見えた。しかし、その歩みがふと止まる。


「ああ、最後に」

「何か?」

「もう一度言っておくけれど、これは正規のアルバイトではない。いわば深巳くんの実力試験のようなものだ。だから、相馬くんには荷が重い、大変な仕事になると思う」

「館長」

「君に深巳くんを支えることが出来るか」


先輩が諌めるも、石黒さんは言を止めない。当たり前だ。彼からしたら、俺は先輩の紹介でたまたま滑り込んで来た異邦人、どこの誰とも知れぬ馬の骨だ。

しかし、それでも俺は退けない。

俺は先輩に自らの想いを告げることはしないけれど、せめて自分の心の為に抗うくらいのことは許されて然るべきだ。


「やります」

「ふむ」


俺は、小笠原先輩にもっと潜りたい。

例え先輩との遠さに、ぐしゃぐしゃに押し潰されるとしても、それでも尚、深く。


「人の話を纏めるのには、自信があります」

「確か弁論部だったかな」

「ええ、そして尊敬に足る人にそう言って貰ったんです」

「よし」


館長は、満足そうな顔をするでもなく、かといって不満そうな顔をするでもなく、ただ小さく頷いた。

ひょっとしたら、俺も試されているのかも知れない。この大一番で、良くも悪くも俺の人生はそっくり変わってゆく。


俺と先輩は、去り行く石黒さんの背中を、それぞれの思惑を噛み締めながら、じっと見つめていた。


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