第5話 リュウグウ・ガイダンス

夏休みに入った。

高校三年生はそろそろ受験勉強も本格的になってくるはずだが、そう言えば先輩は何処に進学するのだろう。

海洋学部なのか、水産学部なのか、いずれにせよ俺とは違う道を歩むに違いない。


それを思うと胸の奥に、小さな痛みが灯る。

俺はその痛みの出所を知っている。

けれど、それはきっと俺が名付ける資格のないものだ。

俺と先輩との関係は俺の過ちで始まったものなのに、彼らの許しを越えて、それ以上を求めるのはあまりにも図々しい。

それは俺の中に留めておけばいい。


鬱々とした思考を断ち切り、先輩からのLINEを見返す。


『先方から知らせが来た。

 めでたく二人でのバイトが決まったよ』


吉報にひとまず安堵する。

先輩に渡した履歴書があちらの眼鏡にかなったらしい。しかし俺はまだ、先輩からバイトの詳細を知らされていない。

そして不自然に高額な給料のわけも。


『そもそもどういうバイトなんですかね』


先輩はあまり頻繁に携帯をチェックする方ではないので、返信はすぐには来ないはずだ。

この間は一日中バットフィッシュの疑似餌についての考察中だったとか言っていたから。

しかし予想に反し、ぶぶ、という小気味良い振動が手に伝わる。


『そうだな、もう行くことも決まってるし、あなたになら話しても問題はないだろう』


語り口に違和感をおぼえる。


『話したらやばい様なことだったんですか』

『あまりよろしくないことではある』

『どんな』

『単刀直入に言うと、館内の展示説明をあなたで、説明内容の考案と、魚たちの飼育補助を私とで引き受けることになる』


数瞬考えた。

俺は水族館の経営事情など、とんと知らないけれど、こんな言い方をすると先輩は憤慨するだろうが、展示物...の説明は、水族館側としても重要な仕事のはずだ。

それをただのバイトに任せるのはおかしい。


『それは正規スタッフの仕事では?』

『そこなんだがな』

『はい』

『以前そこの館長と話をしていたら、バイトの後に正社員に昇格しないかと真面目に相談されたんだ』


先輩が気恥ずかしそうに頭を掻いている様子が、画面を通して見えるようだった。

確かにそれも頷ける話ではある。

先輩の深海魚への知識と情熱は並大抵の物ではない。学者にも近いかも知れない。

先輩との同好会での半年間で解ったことだ。


『凄いじゃないですか』

『ありがとう』

『でも、先輩は研究者になりたいのでは?』

『そうだな』

『経験を積むと言うことですか?』

『それもあるが...少し、電話で話そう』


先輩に会話を打ち切られた。

結局コネ、ということだろうか。

だが、その伝手は先輩の知識と情熱で勝ち取ったつながりだし、こずるいと言う印象は持ち得ない。むしろ賞賛されるべきことだ。

やはり先輩は凄い人なのか。


程なくして先輩から電話が来た。


「もしもし」

「ああ、話の続きだったな」

「ええ」

「その館長の方は...いやらしい話、深海界隈ではとても有名で、これはその人に力量を見せるチャンスなんだ、あの世界に誰よりも深く潜るために、なりふり構うわけにはいかないんだよ」


先輩は、軽蔑してくれても構わないと言ったが、そんな気分は当然全く湧かなかった。

何となくそうなのだろうな、と予測が立っていたからかも知れないが、それ以上に俺は、先輩の深海にかける思いを理解していたし、それを応援することを望んでもいた。

恐らくそのバイトも先輩と件の館長の間で成り立った、非公式な契約なのだろう。

でなければ先輩がオフレコを強調した理由が解らないし、バイト代のことも納得がゆく。

先輩はどこまでもしたたかで、行動は合理。

しかし、だからこそ解せないことがある。


「なら、なぜ俺を誘ったんです」

「あなたの作った茹で玉子が食べたかった」

「は?」

「冗談だ」

「先輩はあまりジョークが上手くない」

「面目ない」


電話越しに、こほんと咳払いが聞こえた。


「私はあまり喋るのが上手くないのは、あなたも知っているだろう」


そうなのだ。

先輩は、彼女自身の知見と熱情を些か迷惑なほど語り過ぎるきらいがあった。

相手が辟易し、苛立ちを露わにするほどに。

それは彼女自信も制御できないものらしく、それは例えるなら、

「暗い暗い深海の中で育った深海魚が、光を求めるあまりに視覚器官をデーモン族ばりに発達させてしまう、いわばデメニギスとかボウエンギョ的な現象」

だそうだ。

考えてみれば、彼女の嗜好は大多数の人間にとって無関心なものだから、話し相手に餓えるのは仕方ないのかも知れない。


俺や、その他の肉親...例えば部長だったり、他にも先輩の友人だったりには、ある程度落ち着いて話すことが出来るのだが、話が通じそうな知らない第三者を見付けると、状況がどうあれ光源に惹かれるダツの如く飛んでいき、無駄なレクチャーをおっ始めてしまう。

冗談抜きで迷惑なこともあるため、先輩自身もその悪癖をどうすべきかに腐心していた。


「だから俺が、先輩の口の代わりを果たせと言うことですか」

「ああ、そうだ」


だから、俺が先輩の考えや知識を上手くまとめて、効果的に伝えろと言うことなのだろう。今までのフィールドワークでも、そう言ったことは何度かあった。


「でも俺なんかで良かったんですか、大事なバイトなんでしょう」

「だからあなたじゃないとダメだ」

「おっ」

「あなたは、私の話をしっかり聞いてくれて、しっかり覚えていてくれるから」


予期しなかった不意打ちの言葉に、俺の心は大いに掻き乱された。

鼓動がうるさい。


先輩に想いを打ち明けることは許されない。

それは傲慢につながる。

けれど、嬉しかった。

先輩が、俺をたのみとしてくれている。

俺が先輩をたのんでいるのと同じように。

その気持ちが余計に動揺を加速させる。


「そっ...うですか、解りました改めてよろしくお願いしますねそれではさような」

「相馬くん」

「ハイっ」

「私は良い後輩を持ったよ」


そう言い残して、電話は切れた。

切ってくれて良かった。

後少しでも話していたら、きっと彼女への想いを打ち明けてしまっていただろうから。





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