第4話 ボウエンギョとメンダコは
ある日、部長が珍しく俺に話があるそうで、「屋上に来て欲しい」とだけ言われた。
突然の部長の呼び出しに面食らったものの、彼には多大な負い目があることもあり、
仕方なく俺は屋上に向かい――
「お前は弁論部を辞めた方が良いと思う」
そこで、部長にばっさりと切り捨てられた。
どうも彼の中で、俺が退部するのは確定事項のようだった。
「お前がこのまま部活に留まっても、お互いにとって不幸なだけだから」
部長はどこまでも大人で、声音はただただ真摯で、
その姿勢に俺の意地はぽっきりと折れた。
最初から、部活に残ったのはくだらない意地だと見抜かれていたのだ。
俺が部の皆に謝ったり、部長に助けを求めたりするのを、彼はずっと待っていてくれたのだろう。
だが、時間切れになった。
言いたいことは沢山あったはずなのに。
彼の大人びた決断の前にはその全てがガラクタじみていて、
俺は頷くより他なかった。
そうして俺は部活を辞め、何もない人間になった。
凡庸以下のガラクタに。
どうにもならない心持ちで、コンクリートの屋上に寝転んだ。
部長が去った後の、すこんと抜けた青空に怒鳴り付けたい気持ちになる。
寒い。空気が澄んでいるから、空が余計にくっきりと見えるのだろうか。
俺は部長に何一つ謝ることが出来なかった。
ただ残酷な約束が交わされただけの、辛く惨めな時間だった。
俺はただ、大したことのない奴だと思われたくなかっただけだ。
そんな簡単なことを気付くまでの間に、
取り返しのつかないものを本当にたくさん失ってしまった。
立ち上がる。
こんなことで死ぬのは馬鹿げている、と思いながら、
俺はゆっくりと手すりに手を掛け――
「ねぇ」
と、声が背後から耳に飛び込んでくる。
振り返ると、見知らぬ女子がいた。
肩口までふんわりと切り揃えた髪。
眠たげだがしかし鋭い、思わず萎縮してしまう三白眼と、垂れがちの眉に、何がおかしいのかうっすらと歪められた唇があった。
風貌は猫にも似ている。
俺よりも背は低かったが、上履きの色から上級生と知れた。
「なにか」
「相馬颯人くんだろう」
「そうですけれど」
「きみ、深海魚みたいだ」
少女はなぜか俺の名を知っていた。
そして俺を深海魚呼ばわりした。
「相馬くんのことは兄から、つまりは弁論部長から良く聞いている」
「部長から?」
俺は当惑した。
その言葉を信じるなら、この少女は部長の妹と言うことで、つまり俺と部長の確執も知っているはずだ。そんな人物が俺に何の用があると言うのだろう。
「きみにさ。深海同好会に入って欲しい」
最初、俺は言葉の意味を理解しかねた。
初対面の人物にいまさら部活の勧誘をされる覚えなどないし、(完全に八つ当たりだが)少女の横柄な物言いにも無性に腹が立った。
心はささくれていて、その棘を誰かに押し付けたい気分だった。
「なんでそんな得体の知れない部活に入らなきゃいけないんですか」
と、怒りをぶつけるように返す。
彼女はそれに眉一つ動かさず、
「兄も私もそれを望んでいるからだ」
「部長がですか?」
「兄はあなたが孤立していることをいつも心苦しく思っていたから」
「……部長が、ですか?」
彼女は今何と言った?
「だから、きみが合宿で取り残された時、密かに迎えを私たちの親に頼んでいたよ」
頭を殴られた心持ちがした。
部長は俺のことを疎んじていたはずだ。
「兄からの伝言だ。部長としてああするしかなかった、本当にすまなかったと」
「そんな、待って下さいよ」
「何が」
「部長がそんなことをする理由なんてない」
「だが、しない理由もないだろう。きみは兄を舐めすぎだ」
少女は吐き捨てる。
ここに来て、俺はようやく、自分がとんでもない思い違いをしていたことを知った。
「『有望な後輩がいるけど、弁論部は居心地が悪そうだ。お前のところで預かってくれないか』ってね」
先輩は指を立ててくすくすと笑う。
なら。
部長と先輩は――俺を助けてくれたのか。
深海に深く深く沈み、水圧で押し潰されそうだった心。
それが、彼女たちの善意にゆっくりと引き揚げられ、解き放たれてゆく。
「私はプレゼンとか下手なんだよ」
「俺は」
「兄は、あなたを嫌ってはいない」
先輩は初めて俺に笑みを見せた。
何かが自らの奥底で溢れるのを感じる。
俺はその場にくずおれて、嗚咽を漏らした。
ずっと一人ぼっちで、自らの不実が招いた孤立に押し潰されそうだったのを、彼らが救ってくれたのだ。
この優しい人たちを、けして裏切るまい。
俺は心に誓った。
先輩と部長に救われた心に誓った。
後日、先輩と共に部長に謝ったら、彼は
「頑張れよ、応援してる」
と言って、あっさりと許してくれた。
驚くほどだった。
そうして俺は深海同好会へ入り、先輩とブラックコーヒーを飲んだ。
砂糖をどばどば入れたはずだが、涙が出るほど苦くて甘かった。
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