第1話
少年はドアの前に立っていた。看板には「カバのたまりば」と女性が書いたであろう可愛らしい書体で書かれていた。
聞きたいことは色々とある。なぜカバなのか、それに便利屋という怪しいお店なのにたまり場になっても良いのか、少年の頭にハテナマークが次々と現れるが、間違いない。教えてもらった情報と照らし合わせて見ても、ここ意外に考えられない。少年はドアノブに手をかけ、ゆっくりと押した。
入って少年が見たもの。円形の大きいテーブルが部屋の中心にに二つずつ、壁際に長方形の小さい机が二つ。それに可愛らしいカバのイラストが描かれた椅子が円形のテーブルにそれぞれ四つずつ、長方形のテーブルに二つずつ。そして中央奥にはカウンターがあり、そこではボブカットの髪型をした女性が何か取っ手のついた器具を猛烈な勢いで回していた。
「喫茶店?」それが少年の抱いた第一印象であった。
「いらっしゃい...ま.......」
手を止めた女性が少年の方を振り向き、姿を見て笑顔を見せ、その後彼の後ろにいるソレを見て、頰をひきつらせる。
「でかっ!!」
少年の後ろには、体高だけで彼の頭と同じくらいの巨大な真っ白い犬が立っていた。両方の耳はピンと立ち、両頬は極端に垂れていて、そこからヨダレがダラダラと滴り落ちている。
女性はその犬の大きさとある種の威厳に少しの間目を点にしていたが、落ち着きを取り戻すと少年へと向かった。
「このワンちゃん?君の?」
女性が座って少年の頭の高さまで目線を落として聞くと、少年は小さく頷いた。
「ごめんね、お部屋の中に動物は入れてあげられないんだ。だから外で待たせてもらえるかな?」
女性がお願いをすると、少年は巨大な犬の方を向き、出口の方へとビシッ!!という効果音でも出そうなくらいの勢いとキレで人差し指を指した。すると犬はのそっと動き出し、出口の方へと向かっていく。そしてドアの外へ行くと、老人が休憩するかのような緩慢な動きで座り込んだ。
「それで通じるんだ.......。いや今はそうじゃなくて」
女性は気を取り直して、少年に尋ねる。
「君、名前は?」
「............」
少年は口をパクパクと動かして何かを話そうとするが、出てくるのは言葉ではなく空気だけ。
「うん?どうしたの?」
女性は少年に優しく尋ねるが、少年は先ほどからずっと同じことを繰り返すばかり。
「......もしかして、喋れないの?」
女性がそう尋ねると、少年は一回り背丈が小さくなったように萎縮し、頷いた。
「そうなんだ......。どうしようかな」
女性はしばしの間頰に手を当てて考えていたが、ふと、思いついた。
「君、文字は書ける?」
少年は、安心した表情で頷く。
「よし!ちょっと待っててね、君はそこの椅子に座ってて!」
女性は、そう言うとカウンターの奥の方へ行き、何か騒がしい音を立てながら何かを探し始め、少年が自分の瞬きの数を二十まで数えた頃に、メモ用紙のような紙と鉛筆を持ってこちらに向かってくる。椅子に座りながら少年は初めて来た時には気づかなかったが、女性の大きなくりくりとした目とふさふさと歩くたびに揺れる胸に目をやり少し頰を赤らめた。
「よし!じゃあお姉さんが聞いたことを、これに書いてくれる?」
女性がそう言ってメモ用紙の一番上を破り、鉛筆と一緒に少年へ手渡す。
「じゃあ君、名前は?」
女性が尋ねると、少年は左手に鉛筆を持ち、紙の上に走らせる。
「フラン」
「フラン?女の子なの?」
女性が尋ねると、少年は少し頬を膨らませながら、ブンブンと首を横に振る。
「ごめんごめん、可愛い名前だったし、君も見た目どっちかわからないから、てっきりね。そっか、フランくんね。私はユズハって言うんだ。」
ユズハはそう言うと、目の前に座っているフランの頭を優しく撫でる。お母さん以外の女性に触られるのは初めてかもしれない。そう思ったフランはくすぐったそうにしながら、嬉しそうにしていた。
「じゃあ可愛いフランくん、歳はいくつ?」
フランは、少し照れながら書いていく。
「へえ、確かにその歳じゃまだ見た目男の子かどうか分かんないよね。それにフランくん、声高いし。」
フランは、女性の優しい語り口にニコリと笑い、少しずつ緊張が和らいでいた。ただ、これから彼女に言わないといけないことを考えると、心の底の温度は氷点下のままだった。
「じゃあこれから、大事なことを聞くね?」
ユズハはそう言うと、優しい笑みは崩さず、姿勢を正してフランの真意を探るように彼の瞳を見つめた。
「ここへは何をしに来たの?」
その問いにフランは真剣な顔つきになり、こう書いた。
「おねがいをきいてほしい」
その文字を見て、ユズハはやはり優しい雰囲気は崩さぬまま、彼に対する警戒を強める。
「「こんな小さな子が、なんでここの事知ってるのかしら......ただ、彼の表情、仕草、心臓の鼓動の早さ、瞳孔の開き具合からして、確信を持ってここに来た事は間違いない。ごまかしても無駄ね。」」
ユズハはそう考え、質問する。
「どんなお願いかしら?」
その問いにフランは、しばらくの間鉛筆を持たず、ユズハの瞳を見ていた。ここまでやっとの思いでたどり着いた。少年ながら神にもすがる思いで鉛筆を滑らせ書いた答えに、ユズハは思わず動揺した。
「ひとをころしてほしい」
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