第46話 過怠〈カタイ〉

 路面電車はけたたましい騒音を鳴らしながら目的地へと着実に向かっている。やがて車掌さんの好青年を彷彿とさせる透き通ったアナウンスが松山駅到着を知らせた。


 スマートフォンの画面を確認し、改めて切羽詰まった状況なのを認識する。


「おい、時間やべぇぞ」


「走りましょう。乗り遅れるのは何としても避けないと」


 言い終わるのと同時に路面電車が停車し、俺たち四人は猛ダッシュで駅舎へと向かう。


 岡山行きの特急が発車するまでおおよそ一分。雨粒が顔面にぶち当たるのも気にせず走り、改札を目の前にしたちょうどそのときだった。


 背後からあっ! という甲高い声を投げかけられる。爆発音にも似たうるさい声音を聞いて、俺は振り向かざるを得なかった。


「おい東雲。走れ走れ、間に合わねえぞ」


 秒針は休まず動き続けているというのに東雲は立ち止まっている。横の二人も息を切らしながら東雲のほうに体を向けた。上浮穴は息が上がっているせいでもはや声も出ないという感じではあるけれど、持田はかろうじて口を開く。


「どう……どうしたの、東雲……さん」


「ごめん、絶対に買わなきゃいけないものがあったんだ。はるるんとれなれなは先に乗ってて! さくやん、来て!」


 言うや否や、東雲は俺の腕をこれでもかというぐらいに力強く握り、無理くり引っ張る。


「は!? お、おい、ばか、もう一分もねぇぞ。ちょ、おまっ」


「分かってるから、早く早く。はるるん、れなれな、ごめん二人分の席空いてたら確保しといて!」


 怪力娘と呼ぶに値するほどの馬鹿力。俺はなす術もなく、というか意味も分からず東雲に引きずられていく。上浮穴と持田も当然、困惑した表情を浮かべていた。膝に手をついて呼吸を整えつつ、微かにポカーンと口を開けている持田。腹のあたりに両手を添えて眉をひそめる上浮穴。そんな二人にとりあえず声を掛けるしかなかった。


「悪い、すぐに戻るから先に乗っててくれ」


「え、ちょ、松前くん」


 持田の声を背中で受け止めつつ、物思いにふける。


 なぁ、東雲。


 お前、いきの電車でフラグの意味、分かってなかったよな。


 まさにこれだよ。フラグって。



    *     *     *



「瀬奈さんにどう言い訳すればいいんだ、これ。指定席分のお金が無駄になっちまったぞ」


「ふっふっふ、これで二人きりだぁ」


『やっちゃったねー松前くん。上浮穴さんと岡山で待ってるから』


 横の金髪横暴娘は俺の沈鬱な声をまるで気にする様子がない。


 上浮穴も東雲も、言ってしまえば瀬奈さんに対しても、俺たちが乗り遅れたことによってもたらされる害はほぼないに等しいのかもしれない。持田や上浮穴のご両親に比べればの話だが。


『上浮穴さんから柔軟剤の香りが……いい匂い』


 持田と上浮穴を乗せた特急はすでに海岸沿いを走っているだろう。次の岡山行きは約一時間後、すなわち乗り継ぎの新幹線における指定席にはもう乗れない。


 さらにこれから約四時間半、テレパシーが続く。長時間のテレパシーがかなり深刻だというのは休日が訪れる度に体感していた。持田の生の声を聞くのは意外と慣れてきつつあるけれど、長時間となるとやはり精神的に苦しくなる。


 ちらっと横を見遣みやると、東雲はふふふーんっと謎のリズムを奏でていた。


「なんでわざと乗り遅れるようなことをしたんだ? 理解不能を通り越して思考停止してるんだが」


「へ? わ、わわ、わざとじゃないよー」


 東雲はぷいっと視線を逸らし、異様な速度で瞬きをしている。おそらくドライアイ患者なんて比較にならない速さだ。


「いや、そういうのはいいから。バレバレだから」


 白けた視線を意識的に向けると、東雲はくっと息を詰まらせて観念したかのように俯いた。


「……二人がいいから」


 俺のほうに体を向けながらボソッと呟き、上目遣いで見つめてくる東雲。紺のショートパンツと白を基調としたボーダーのゆるゆるニット、その境界あたりで両手の指を絡ませる仕草は天変地異でも起きたのかと思わせるぐらいに普段の元気溌剌とした様子とは違っていた。花葉色はなばいろの麦わら帽子から覗かせるくりっとした瞳と艶めかしく光っている桜色の唇は、普段からよく目にしているはずなのに今この瞬間だけ美しさが数段増しているような気がする。


『わっ、上浮穴さんの寝息……可愛いなぁ』


「いや、まじでそういう冗談はいらない、似合わない、笑えないの三拍子だわ」


「はあ? 素直にうれしいって言えばいいのにー」


 持田の声を聞くだけで上浮穴が眠りこけている光景が浮かんできた。そんなことも気にならないほどにニヤッと口角をつり上げた嫌な微笑みが俺のほうへ向けられている。そうそう、そっちのほうがザ・東雲って感じがして自然だぜ。と思いながら久しぶりに我が必殺技デコ・ピンを東雲のおでこにお見舞いした。


 いつものように互いが互いを罵倒し、時には沈黙も挟みながら待つこと一時間。ようやく、俺と東雲は特急に乗り込んだ。


 車内はゴールデンウィーク真っ最中とは思えないほどに閑散としている。ふと親子連れのお客さんを見遣みやると座席を進行方向とは逆向きにくるっと回転させていた。その瞬間をちょうど目撃したのだろう、前を歩いていた東雲が突然振り向いて目を見開く。


「さくやん! わたしたちもやろうよ、あれ!」


「あほか、二人なのに四人分の席とってどうすんだよ」


「えー。空いてるし、混んできたら戻せばいいじゃん。ね!」


 言うが早いか、東雲はすでに二人掛けの席を回転させて、進行方向とは逆に向いたほうの席を陣取った。まぁ東雲の言う通り、混んできたら無理やりにでも引き剥がせばいいかと納得しながら俺も着席する。


 停車中の車窓から見えるのは駅の裏に広がる荒廃した土地だ。曇天からの雨脚は一時間前よりも強まっている。じめっとした空気が窓越しからでも感じられて、まとわりつく湿気がまるで俺をこの地にとどめようとしているかのようだ。そんなことをぼやっと考えていると、やがて電車が動き出した。


「ねぇ、さくやん。トランプしようよ!」


「おお、トランプか。いいぜ、何のゲームだ?」


 松山駅を出て二時間が経過した頃、東雲が右手でトランプの入ったケースを持ちながら誘ってきた。もうすでに香川県に入っているけれど眠気が襲ってくることもなく、正直暇を持て余していた。俺は東雲の問いに意欲的な回答を示す。


『二日ぶりの岡山だぁ。上浮穴さんとデートっデートっ……へへっ』


 二人はどうやら岡山に到着したらしい。珍しくテンション上げ上げな雰囲気の持田はさて置いて、東雲のどや顔を眺めていた。


「ふっふっふ、わたしが考案した闇のゲーム。その名も……命運はいつも闇の中」


 お、おう。大丈夫かそのゲーム、すげえ中二臭いぞ。

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