第44話 落着〈ラクチャク〉

    *     *     *



 校舎から出るとすぐに持田と東雲にった。顔を合わせるや否や東雲が興奮気味にまくし立てる。


「見つかったの!?」


 俺は無言で頷き、横に立っている上浮穴はええ、と呟きながら薄っぺらな端末を差し出した。


「屋上へ続く階段に落ちてたわ。結構大変だったのよ?」


 上浮穴はことの顛末てんまつを冷然と語る。短い言葉にはいつも通りの冷たさをはらんでいながら、見つかったことに対する安堵あんど感と東雲に対する優しさが含まれているような、そんな気がした。


 東雲は一瞬硬直し、すぐに上浮穴の胸元へと飛びつく。


「うぅー、ありがどー! おんどにありがどー!」


 東雲は上浮穴の豊満な胸にゴソゴソと顔を押し付けながら涙ぐんだ声で叫んだ。


「ち、近い」


 喜びを爆発させている東雲とは対照的に、上浮穴は顔を後ろに引いて苦笑を浮かべる。どうやらガッチリと体が固定されているようで、身をよじっても東雲は離れようとしない。


 戦隊ヒーローものにおける終盤の合体シーンにも負けず劣らない密着っぷり。そんな二人を見ていると、スマホ捜索中の上浮穴の様子を思い返さずにはいられなかった。


 『東雲さん、本当に困っていた』そんなニュアンスの言葉をしきりに繰り返しながら、ほこりにまみれた空間で膝をついて物をかき分ける上浮穴の姿は、俺の脳にしっかりと刻み込まれている。


「かなり奥に入り込んでたからな。それにしても上浮穴があそこまで必死に探すとは思わなかったわ」


「松前くん」


 名前を呼ばれただけなのに、こちらを向いている上浮穴の眼球はそれ以上のことを語っている。余計なことを喋るな、と自動的に上浮穴の声が脳内再生された。なにそれ、ヘイ! シリ! 並みに高性能じゃねぇか。


 なるほど、これが眼で語る戦いか、と人差し指と中指で上瞼うえまぶたの辺りを押さえてみたけれど、そんなことはどうだっていい。そう思って上浮穴と東雲の様子をじっと眺めていると、持田の顔がゆっくりと接近してきた。


 耳の辺りでピタッと止まり、甘い香水の香りが鼻にすっと入ってくる。ゆらゆらと揺れる髪が横目に入り、筆で首元を撫でられるかのごとく寒気が背中をぞわっと這っていった。持田の吐息が右耳に覆いかぶさる。


「東雲さん、ずっと浮かない顔してたから本当によかった。上浮穴さんも一生懸命だったんだね」


 それだけささやいてゆっくりと持田の顔が離れていく。持田の柔和な微笑みは月光に照らされていた。それを見るとようやく自分の鼓動が異様な速度で跳ねていることに気づく。


 おう、と一言だけ残して気を紛らわすように持田から視線を逸らすと、東雲が上浮穴の胸元からパッと離れる瞬間を視界に捉えた。


「何かお礼させてよ! あ、そうだそうだ。ジュース奢ってあげるよ、れなれな!」


 んー、最後に付け加えられた頭痛が痛い的な二重ワードは上浮穴の名前という認識でいいのだろうか。俺には最早もはや、女性のみが扱うことを許されるソーシャルネットワークサービスにしか思えないのだが。マジ、ルナルナ。


「上から目線で振舞われるほど屈辱的なことはないわね。それとその呼び方……」


「はるるんも! れなれなの半額ぐらいは奢るよー!」


「え? それって喜んでいいのかなー、チロットチョコ七個分だよねたぶん」


 上浮穴の声は尻すぼみになる。顔をすっと下に傾けながら、恥ずかしいと弱弱しく呟いた。そんな上浮穴の様子を気にすることなく東雲は持田と楽しそうに談笑している。


 あぁ、東雲の天真爛漫な言動に振り回される被害者がまた一人増えたらしい。


 やる事なす事全てが滅茶苦茶で傍にいると勝手に面倒ごとが迷い込んできそうな、それなのに突き放す必要はないと思わせるほどに濁りのない存在。そんな東雲が上浮穴にもたらす影響なんて俺には知り得ない。上浮穴が思い描く関係性を東雲や持田は許容するのか、それは彼女らが判断することだ。


 俺はただ外野から眺めていればいい、そう思って東雲の顔を見遣みやると微かな違和感が俺の脳に電気信号を送った。


 スマートフォンを失くしたことに気づいたときのあの慌て方と深刻な表情……涙を流すほどのことじゃないよなぁ。やましい画像が保存されているとかそういうことですかそうですか。


 ふとスマートフォンの画面を見ると時刻はすでに九時前を示していた。与太話もほどほどにして俺たちは中学校を後にする。


 遠足は帰るまでが遠足、帰宅してからが事情聴取。この流れは上浮穴家においても例外ではないらしい。東雲のスマートフォン探しを終えて上浮穴の家に戻ってきた俺たちは、言い訳をする間もなく上浮穴の両親に連行された。


 持田と東雲と上浮穴は母親と一緒に客間へ入り、俺は上浮穴の父親に導かれて謎の和室に入る。客間ほどの広さはないものの畳や床柱の香りに包まれた綺麗な和室になっていて、室内の至るところに賞状やトロフィーが飾られていた。


 上浮穴の父親は仁侠映画に出演していてもおかしくないような風貌をしている。少し見上げてしまうほどの高身長、骨太な体、きりっとした鋭い目つきと顔に刻まれた謎の切り傷、内側がぷくっと腫れている耳、それらすべてが威圧感として遺憾なく発揮されていた。


 顔が強張ってしまうぐらいに緊張していたけれど、会話を始めてからは印象ががらりと変わった。終始ゆっくりとした穏やかな口調で語りかけられ、異様なギャップのせいでマジで恋をしてしまいそうだった。五秒前に迫っていたまである。


 こんな時間まで何をやっていたのか? 君は怜奈の何なのか? 神奈川はどんな場所なのか? 君は怜奈のなんなんだ? てか、野球は好きか? 前シーズンのベイスタ、強かったな? で、君は怜奈の何なの? という感じの質問に淡々と答え、ひと段落ついたところでリビングへ通された。

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