第42話 暗晦〈アンカイ〉
* * *
『お腹減ってきたなぁ。お昼、少ししか食べなかったのがいけなかったかも』
持田の囁き声が脳内で反響する。一番いけないのはお腹がすいていることってばっちゃんも言ってたからな、マジ名言だわ、思わず叫びながらエンターキーを押したくもなる。
『え、松前くんのおばあちゃんの名言?』
いや……それはない。うちのばあちゃんがその娘、すなわち我が母親にそんな名言を言い放ってしまった日には、母ちゃんは太りやすい体質を気にし始めて思わず喧嘩勃発なんてこともあり得る。ドメスティックウォーズに発展しかねないからね。
テレパシーは容赦なく続き、いつも通り適当なやりとりを繰り返しているとやがて中学校に辿り着いた。
校舎はすでに夜の闇に包まれている。建物自体の古さも
無事に校舎内へ入り込み三階の廊下まで来てみたものの、暗がりの中で小さな端末を探すとなると骨が折れる作業だな、と
『ここもダメかー。松前くんはどうしてるかなぁ……わわ、やば違う違う、どうしてるかなじゃなくて、そうじゃなくて』
持田は一人で慌てふためいているようだ。どうもこうもないんだよなぁ、探す前からすでに動きたくないとか思いはじめたし、まさに
「古い校舎っていってもそれなりに広いし、あいつ、かなりウロチョロと動き回ってたよな。ここでも二手に分かれて探すか?」
俺の言葉を聞いた上浮穴はぎょっとしたように肩を竦めた。月明りのおかげでなんとなく表情は
「い、いえ、一緒に探しましょう。そのほうが逆に効率的よ」
なぜそこで逆なのか、意味が分からない。
『わわわ、東雲さん……どうしよう。大丈夫だよ、絶対見つかる絶対見つかる』
東雲の身に何か起きたのだろうか。気になるけれど、東雲のことは持田に任せて俺は目の前の人間が発した意味深な言葉の解読を試みる。
考えあぐねているとちょうどそのとき、真横の窓ガラスがガタンッと音を立てた。おそらく突風に依るものだろう。暗がりと静寂の中で唐突に音がして驚いたものの、そんなことは今はどうでもいい。そう思って上浮穴のほうへ視線を向け直すと、俯いたまま肩を震わせていた。自分の腕の辺りに異変を感じて視線を移す。すると、月明りに照らされた色白な手が俺のシャツの袖をがっちりと握りしめていた。
「お、おい、風で窓が揺れただけだぞ」
「わわ、分かっているわよ。とにかく早急に探し回りましょう。二人で」
上浮穴は早口でまくし立て、最後の一句がやけに強調されていた。そんな様子を見て俺は、ははーんっと納得する。なるほど、そういうことか、と思わずメガネが白く光ったまである。メガネなんて生まれてこのかた、かけたことがないけれど。
どうやら上浮穴は今のこの環境、つまり夜の学校に恐怖しているらしい。普段の凛とした雰囲気からはあまり想像できない上浮穴の姿を垣間見てしまって呆気にとられつつも、スマートフォン探しへと意識を向けた。
三階から二階、一階と時間をかけて探してみたけれど全く見つからない。持田から東雲のスマートフォンに一定間隔でPINEを送ってもらっているけれど、光る物体すらも見当たらない。
ここに来てからすでに一時間が経とうとしている。その間、俺と上浮穴の物理的な距離は常に近かった。というか俺のシャツの後ろ
『お店にも交番にもなかったってことはやっぱり中学校なのかなぁ、わたしたちも行ってみようか』
どうやら持田と東雲はすべて確認し終えたようだ。俺はPINEの持田のトーク欄を開き、来るなら気を付けて来いよと一文だけ送った。
「あとは外か屋上だな」
「そういえば屋上へ続く階段で足を踏み外してなかったかしら、東雲さん」
上浮穴の言葉はプロジェクタの役目を果たすかのごとく、俺の眼球に薄暗がりの階段の光景を映し出した。
そうだ、その通りだ。
東雲はあの場所で滑っていた。なぜ忘れていたのか、自分の脳に問うてもその答えは記憶力の欠如としか返ってこない。
「おいおいおい、今思い出したわ、絶対そこじゃねぇか」
「絶対とは言えないけれど可能性は高いでしょうね……ただ」
歯切れの悪い上浮穴。月光が顔の表面に明暗を形成し、作り物めいた色白顔をさらに人間離れした美しさに変えている。一呼吸置いて上浮穴はさらに口を開いた。
「変な場所に潜り込んでいたら探し出すのに骨が折れそうね」
「かなり散らかってたからな。マジで気を付けねぇと骨折しそうだわ、二重の意味で」
そんな軽口を叩きつつ、俺と上浮穴は屋上への階段に向かった。
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