第38話 迂回〈ウカイ〉

 商店街に足を踏み入れると光景も騒音も香気こうきもがらりと変わり、別空間に飛び込んだかのような気がした。


 行き交う人たちでアーケード内が色めく中、東雲が明るい声を発する。


「はるるん、あれ見て!」


 東雲が指差す先には居酒屋らしき店の看板と人間の身長をはるかに上回る魚の模型があった。


「うわあ、おっきいねぇ」


「あの魚の目、ちょっとさくやんの目に似てない?」


 東雲はニヤッとした意地悪な笑みを向けてくる。


「なに? 褒めてんの? 超くりっとしてて可愛いじゃねぇか、あの目」


「光が宿っていないという点で似ているわね。模型の魚の目、あなたにぴったりだと思うわよ?」


「たしかに、上浮穴さんの言う通りかも」


 口元に手を当てながらふふっと微笑む持田。その横では上浮穴が冷笑を浮かべていた。


「俺の目って死んだ魚の目よりも死んでんだな、よく理解したわ」


 三対一の構図がいとも簡単に出来上がってしまって声が漏れてしまう。そんな俺の言葉を気にすることもなく東雲が再び腕を伸ばしてお店を指差した。


「およ!? メロンパンアイス!? なにあれー」


 言うが早いか、東雲は店内のカウンターへと走っていった。スタッと止まりこちらに振り向くと、大声で叫ぶ。


「ねえ! 買っていこうよー!」


「あいつ、電車の中で散々食ってたんだよな?」


「うん。東雲さん、お菓子は別腹って言ってたよ」


 別腹か。別の腹って、それはもう二段腹を暗に意味しているってことでいいんじゃないですかねぇ。つまり『自分へのご褒美! スイーツは別腹!』なんて言ってる女性は遠回しに太っているアピールを……やべぇな、こんなことを口にしたら世のオフィスレディに抹殺されるかもしれない。


「本人はもう買う気満々みたいだぞ」


「まぁ、いいんじゃないかしら。私は食べないけれど」


 でも美味しそうだね、と呟きながら持田も店内へと入っていった。それを見送り、俺と上浮穴は外で待つ。


 もう少しで陽が沈もうかという時間ではあるけれど、人通りは絶え間ない。家族連れやカップル、若者の集団など多種多様な人が行き交い、控えめながらもお洒落な装いの人が多いように思えた。


 綺麗な女性、可愛い子……幼女! 幼女はいねぇかー、と適当に見回していると、二人組の若い女の子が視界に入る。


 俺の視線に邪念が含まれていたからだろうか、なぜか目が合ってしまった。こそこそと何か話しながらちらちらとこちらに視線を向けてくる。右から徐々に近づいてきて俺と上浮穴の前を通り過ぎた。けれど、会話の内容なんて聞こえるはずもなく、後味の悪いねっとりとした視線の残像だけが脳裏に残った。


 横の上浮穴をちらっと見遣ると静かに俯いている。黒く艶やかな髪が顔を覆い隠していて表情は窺えない。


「視線を感じるな。いつもこんな感じなのか?」


「え? ええ、まぁ。取り繕う必要もないから言うけれど、見られることにはもう慣れたわね。見知らぬ人間を推しはかるものなんて外見以外にないのだから」


 そう言って、上浮穴は顔を上げた。先ほどの二人組が歩いて行ったほうへ顔を向けている。


「お待たせー、買ってきたよ!」


 振り向くと東雲がメロンパンのようなものを手に持ってニッコリ笑顔を浮かべていた。


 行こっか、という持田の言葉を皮切りに俺たちは歩みを進める。


「うわ! うまっ!」


 東雲の頬は膨らんでいて、メロンパンアイスとやらを味わっているようだ。


「はるるん、食べる?」


「あ、じゃあもらおっかな」


 はい、あーん、と東雲がメロンパンを持田の口へゆっくり運ぶ。かぶっと一口噛んだ持田の口の端には溶けかけのアイスが少し付着した。


「ほんとだ、美味しいね! メロンパンが意外とほかほかだぁ」


 持田はもぐもぐしながら口の端に付いたアイスを舌でぺろっとすくってみせる。それでも完全には取れなかったのか、人差し指でくいっとぬぐった。人のそういう所作はあまり見るものじゃないなと目を逸らし、左ポケットの中に手を突っ込んだ。


 ポケットティッシュを掴み、ほい、と差し出す。


「え? ポケットティシュ持ち歩いてたんだぁ。ありがとう、松前くん!」


 持田はティッシュを一枚抜き取り、えへへっとほほ笑んだ。俺は軽く相槌を打ち、顔を逸らす。すると視線の先では東雲が上浮穴のほうを向いていた。


「ねぇ、上浮穴さんもどう?」


「ごめんなさい、私は結構よ」


 聞いた方も聞かれた方も終始、真顔だった。


 そっ、と東雲は素っ気なく反応し上浮穴から顔を背ける。その結果、今度は俺のほうへと顔が向いた。


「あ、さくやん! はい!」


 欠けた月のようになっているメロンパンアイスが俺の口をめがけて迫ってくる。顔を後ろに背けながら、右手を手刀しゅとうの形にして東雲の頭に振りかざした。


「俺には食べるか食べないか、確認しねぇのかよ」


 東雲は、あいたっと声を漏らして左手で自分の頭を撫でている。


「もぅー。女の子がかじった後なんだから素直にかぶりつけばいいのに」


「俺に対する認識がひどすぎるんだよなぁ、お前」


 東雲はぶつぶつと文句を言いながら、結局一人で完食した。商店街の出口が見えてきたところで持田が口を開く。


「あ、あのクッション可愛い」


 ちらっと持田のほうを見遣ると、オレンジ色の電飾できらきらと輝きを放つ雑貨店に視線を奪われていた。


「始めて見る雑貨店ね、新しくできたのかしら。寄っていきましょうか」


「入ろ、入ろ! 面白いもの、あるかも!」


 上浮穴は持田に声を掛ける。それを見た東雲も張り切ったように声を上げた。三人は俺のほうを見向きもせず、店内へと入っていく。

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