第37話 他行〈タコウ〉
「
「いえ、お誘いいただいたうえに電車の手配までしていただいてありがとうございました。
軽く頭を下げると、持田も口を開いた。
「
「
それぞれの一言挨拶を聞いた上浮穴の母親はニッコリ笑顔で答えた。
「咲夜くんに遥ちゃんと芽々埜ちゃん、ゆっくりくつろいでいってね! 怜奈、客間まで案内してあげて」
上浮穴は母親の言葉を受けて、ええ、と返事をした。俺たちのほうへ顔だけ向けたかと思うと、ついてきて、と軽く呟く。
ひっそりと設けられた扉から店舗の裏へと入った。玄関のような空間までたどり着くと、上がり
目先にちょうど部屋があった。着いたかーと思ったけれど、どうやらここではないらしく、上浮穴はさらに廊下を進んでいく。長く伸びた廊下は電球色の照明によって温もりを感じさせた。
「へぇ、お店の裏とは思えない広さだぁ」
持田がきょろきょろと見回しながらボソッと呟く。
「一階は居住空間と客間があるのよ」
上浮穴は言い終わると同時にピタッと歩みを止め、目の前のふすまに手を掛けた。スススッと横にスライドさせながら口を開く。
「ここが客間だから、自由に使ってもらって構わないわ」
目の前に広がっているのは旅館の部屋と言ってしまっても差し支えのないほどに綺麗な和室だった。パッと見た感じだと九畳か十二畳だろうか。部屋の中央に置かれているこげ茶色のテーブルと緑色をベースにした二つの座椅子が和の雰囲気を数段、底上げしている。横目に入った掛け軸には達筆で『甘味処』と書かれていた……書いた人もきっとこう思っただろう、なぜ甘味処? と。
「にしても広いし綺麗だし、すげぇな」
手に持っていた荷物を下ろすと同時に自然と声も漏れてしまった。
「下手に旅館とか泊まるよりも落ち着ける気がするよー。上浮穴さん、改めてお邪魔します」
持田はえへへっと微笑みを浮かべている。自分のかしこまった態度が恥ずかしかったのか、それともメイクによるものなのか分からないけれど、頬が微かにピンク色に色づいている。
「え、ええ。私もこういうのは初めてだから、その……ゆっくりしていってちょうだい」
上浮穴のイメージにそぐわないもにょもにょとした声音が周囲を包む。黒く澄んだ瞳はほんのわずかに泳ぎ、体の前で組まれていた両手の指が忙しなく動いている。
「ねぇねぇ、観光しようよ! 観光!」
背負っていたリュックを下ろしながら東雲は明るい声で言った。スマートフォンの画面を見ると、表示されていた時刻は五時前だ。
「この時間だしあまり遠くには行けねぇな。上浮穴、近場で楽しめる場所ってあるか?」
俺の問いに反応した上浮穴は顎に右手を当てて、そうね、と呟いた。
「エンターテインメントな場所……松山にはないわね」
「え? ないのかよ」
俺の驚きを察したように上浮穴は言葉を続けた。
「松山の観光地は歴史的な建物ばかりだから、都会のような派手なものはないのよ」
「んー、そういう観光地は明日行くつもりだしね」
持田が虚空を見上げながら呟く。ほんの僅かに生まれた沈黙を持田が崩すように再び口を開いた。
「あ、上浮穴さんが通ってた中学校って近くなの?」
「中学校? ええ、まぁ、歩いて行けない距離ではないけれど」
「へぇ、中学校か……行ってみたーい!」
中学の話題が突然出てきて困惑気味の表情を浮かべている上浮穴。そんな様子もお構いなしと言わんばかりの東雲の張り切り声が部屋中を駆け巡る。
「おそらく、面白いものなんて何一つないわよ?」
「そんなの分からないよ、もしかしたら何かあるかもしれないじゃん!」
東雲は手をブランブランさせながら目を大きく見開いている。持田も軽く二回頷くと、それを見ていた上浮穴がはぁっとため息をついた。
「まぁ、そうね。夕飯まで時間はあるし構わないわ」
上浮穴が言い終わるや否や女性陣、三人の視線が俺に集中した。きらきらと輝いている目、困り果てたように細められている目、普段と何ら変わらない普通の目。文字通りの三者三様な目を見て、ふっと吐息が漏れた。
「あぁ、行くか」
* * *
スクランブル交差点が目の前に広がり、国道の真ん中を路面電車が走っている。俺たち四人の向かい側には真っすぐと続く幅広な商店街が見え、その入口の真上には『大街道』という文字のオブジェクトが飾り付けられていた。
「おお、上浮穴の家に向かう途中で電車から見えた商店街か」
「ゴールデンウィークだから人は少し多めね」
上浮穴が言い終わるのと同時に、信号が青へと変わる。
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