第39話 陶酔〈トウスイ〉

 俺も後を追うように雑貨店へ足を踏み入れる。


 ガラス細工、食器、多種多様な生活用品をだらーっと眺めていると、右の太もも辺りからピコンッと電子音が鳴った。


 なに、何の音? 地球に来て三分経った? 聞き覚えのない音に何事かとスマートフォンを取り出すと、画面にはPINEのトーク通知が表示されていた。


 液晶パネルに表示された名前。これは何かの見間違いだろう、そう信じながら左手の親指と人差し指で両目の内眼角周辺を押さえる。


 瀬奈さんからPINEだと? ばかな。そんな面倒臭そうなことは起きるはずがない。もう一度、ぐっと眼球に力を込めてスマートフォンの画面を注視した。


 上浮穴かみうけな瀬奈せな。その五文字は無機質に光を放ったまま消えてくれない。


 これは未読スルー案件だな……名前と一緒にメッセージも表示されているけれど、俺は何も見ていない。写真とかプリーズとかよく分からない単語が表示されていたなんて、俺は知らない。


 スマートフォンを右ポケットに戻そうとした。けれど、次から次へと電子音が鳴り響き携帯端末が防犯ブザーに成り果てている。


 俺は降参し、PINEのトーク画面を開いた。


 八件のメッセージを要約すると今すぐ写真を撮って送ってこい、ということらしい。なにそれ、どこのスパイ映画だよ。


 画面から視線を外し女子三人のほうをちらっと見遣ると、被り物のような商品でなにやら盛り上がっているようだ。東雲は手に持っていたスマートフォンをわざわざ台の上に置き、大きなウサ耳を上浮穴に無理やり装着しようとしている。嫌がりながらもされるがままに頭をわしゃわしゃとかき乱される上浮穴と、すでに被害を受けたらしく棒立ちで放心している持田。そんな数歩先に広がっている混沌の図を、俺はパシャリと一枚の写真に収めた。


 普段からカメラ機能なんて使う機会はない。そのせいで、シャッター音がいやに響いた気がして決まりが悪くなった。きびすを返して店外へ出ると、通行人のざわめきが肥大化する。


 ボケーッと地蔵姿で突っ立っていると、十分ほどで女性トリオが出てきた。


「さくやん、なんで外に出てるの?」


「周りに女の人しかいなかったからな。浮いてる感じがして居心地が悪くなった」


 言い終わると上浮穴は、ふっと吐息を漏らした。


「中に女装グッズがあったわよ? 変装して紛れ込めばよかったのに」


「お前は俺に悪目立ちさせたいの? 女装なんかしたら可愛く変身しすぎて超目立つこと請け合いだぞ?」


 適当な真顔といい加減な棒読みのコラボレーションをお届けしてみると、三人は一斉に目を細めて顔を引きつらせていた。持田は終始無言で俺の顔をガン見し、上浮穴は胸の下あたりで腕を組みながら重々しいため息をついた。東雲はきもっ、と呟く。


 この空気、痺れるぜ。まさにウルトラ級のソウルだ。


 とかなんとか自分に酔いしれるのもこの辺で止めておこう。


「さっさと中学校に行こうぜ」


 三人の返答を聞く前に俺は歩き始めた。



    *     *     *



 想像していたものとは少し違う、それが真正面の建物を見た感想だ。


 パッと見た感じだと三階建てだろうか。上浮穴が通っていた中学校は特に変わったところもなく、校舎は古き良き風貌を感じさせた。


 私服姿の高校生連中が堂々と校門をくぐり、あれよあれよと職員室まで潜り込む。上浮穴が悠然と職員室の扉を開け、入ったかと思えばものの一分ほどで出てきた。


「なぁ、上浮穴。部外者がこんな易々やすやすと入っていいのか?」


「問題ないわ。三年生のときの担任に説明してきたから」


 なるほど。中で話していた相手はどうやら過去の担任だったらしい。


 おーんっと適当に相槌を打ちながら、持田と東雲につられてきょろきょろと内装を見渡した。


「この校舎って結構、年季が入ってそうだよね」


 持田はぐるりと周囲を見回しながらボソッと呟き、東雲は持田の言葉に対してうんっと軽く頷いた。さらに、上浮穴のほうに向いて問う。


「だよねー。窓の鍵の形とかおかしくない? なんなの、あれ?」


「ネジまりじょうよ。鍵穴がネジ穴になっていて鍵を回すと施錠できるのだけれど……もう絶滅危惧種ね」


 淡々と説明する上浮穴に対して、東雲はへぇっと関心があるのかないのかよく分からない返事をした。さらに言葉を続ける。


「それよりさ、面白いものとかないの? 思い出の場所とかさ!」


「一時間ぐらい前に、面白いものなんて何一つないと言ったはずよ? 記憶の鍵穴が壊れていて情報が漏れ出ているんじゃないかしら? あなたも古来の手法を見習って頭にネジ締まり錠を取り付けたほうがいいと思うのだけれど」


 上浮穴は怒涛どとうの勢いでまくし立てた。その圧力に圧倒されたのか、東雲は頬をぷくっと膨らませて唸っている。


「ね、ねぇ、上浮穴さんは何部だったの?」


 持田は睨み合っている二人の間で苦笑しながら上浮穴に尋ねる。


「茶道部よ。週に一回……それも一か月で行くのをやめたけれど」


「え? じゃあ、帰宅部ってやつじゃん」


 東雲は訝しむ視線で覚えたての言葉を発した。


「ええ、その通りね……三階から順に校舎を見て回りましょうか」


 上浮穴の提案に各人かくじん各種かくしゅの返事をして、俺たちは三階へと上った。

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