第33話 行方〈ユクエ〉

 持田の微笑びしょうを見ていると先ほどの甘酸っぱい青春風景が脳裏を過った。


 聞いていいのだろうか。触れてもいいのだろうか。その答えはまだ出ていないのに口だけが先走る。


「さっきのって……」


「あ、見られちゃってたんだ」


 一瞬、持田の瞳孔が微かに開いた気がした。


「すまん、幼女を探してたらちょうど目に入って」


「んー、見られたことは全く気にしてないけど、松前くんの危なげな発言が気になって仕方ないよ」


 持田は目を細めて、んーっと小さくうなっている。棒人間というか死んだ魚というか、そのぐらいに生命力を失った目をしていた。


「幼女は目薬以上に疲労を浄化させてくれるからな」


「松前くん……この先、ワイドショーに出演しないことを願ってるよ」


 持田はむっとした小難しい表情を浮かべながら、前髪を整えている。


 ロリ三ヶ条『周囲に存在する幼女の姿は見逃さない、発見しても近づかない、遠目から眺めながら表情に出すことなく心の中で拝む』は徹底しているはずだから大丈夫だと思うんだけど……いや、やっぱり大丈夫ではないのか。


「お、おう。忠告、さんきゅーな」


 うんっと呟きながら微笑む持田。


 けれど、その微笑びしょうはすぐに消え失せ、黒く澄んだ瞳が一瞬、揺らぐ。


「ねぇ、松前くん。そのー……好きな人ってできたことある?」


「え? いや、急になに」


 突飛とっぴな質問に思わず質問で返してしまった。


「あ……やー、ごめん。ちょっと気になって」


「いや、別に隠すようなことはないし構わねえけど。んー、あるというか、恋に恋をしていただけというか」


 そうそう、倉木〇衣さんが小学生探偵のアニメ主題歌に二次元絵で登場しちゃうぐらいには恋に恋をしていたからな。なんかいろいろと混ざってる気がするけれど。


 持田は眉根を下げて、むぅと小さく唸っている。


「分かるような分からないような……物凄くかっこいい人を見つけて好きになったけど、その人の性格はよく知らないとかそういう感じかな?」


「あぁ、典型的なやつだな」


 持田の言葉に同意を示しながら、心なしか痛む胸をさすった。


 彼女がいる人ってなんか特別感あるし俺も彼女を作りたい、とかなんとか不純な思考をしていた過去の黒歴史を消し去りたい。作りたいって言葉が出てきてる時点で、それはもう工学部に進学しなさいという話になるんだよなぁ、機械的な意味で。


「だからまぁ、その……本当にす、好きになった人なんていないな」


 好きという二文字が自分の口から発せられて妙にむず痒くなる。恥ずかしさから逃げるように持田の顔から視線を逸らした。


「そう、なんだ……」


 ぴゅーっと突風が吹き抜け、辺りに生い茂った木々がざわめく。小さく呟かれた持田の声は静かな雑音の中でもはっきりと存在を主張していた。


 その声は乾いた空気の中に溶け込み、音の余韻を残すことなく消えようとする。けれど持田自身がそれを良しとはせず、空中のキャンバスに自分の声を上塗りした。


「わたしと一緒だね」


 持田の声音は普段のものと比較すると少し明るめに感じる。外していた視線を再び持田のほうへと戻すと、柔らかそうな頬っぺたが視界に入った。


「お、おう。……え?」


 適当な返答をしつつよく考えてみると疑問が浮かんでくる。


「さっきの男子はそういうのじゃないのか?」


 俺の曖昧な言葉に対して持田は一瞬考えるような間をとった。けれどすぐに持田は口を開く。


「告白……されたんだけどね。断ったよ」


 柔らかな表情からはなんとなく申し訳なさが伝わってくるけれど、吐き出された言葉からは後悔の念のようなものは感じられない。


「意外だな。昼休みに楽しそうに会話してたし、さっきまで一緒にいたみたいだからてっきり付き合い始めたのかと思った」


「話してると楽しいのは事実なんだけどね。あの人、菅生すごうくんっていうんだけどさ、一年生のころから仲良くて。一度遊んでみようと思って、今日一緒に過ごしたんだけどそれもめちゃくちゃ楽しかったよ」


 持田は胸の前で両手を合わせながら満足気な微笑を浮かべている。話を聞けば聞くほど困惑した。


「じゃあ、断らなくてもよかったんじゃないのか?」


「断らない以外の選択肢はなかったかな。友達っていう関係の先には何があるのか……わたしには何も見えなくて」


 一瞬、虚空こくう を見上げた持田は一呼吸置いて言葉を続ける。


「人を好きになるってどういうことなのか、わたしには分からないんだよね」


 毎回、と最後に弱弱しく呟かれた言葉に引っ掛かりを感じた。寂し気な表情を浮かべながら両腕を力なく体の側面に垂らし、こげ茶色のスカートを小さな拳でぎゅっと握っている。


 告白されたらとりあえず付き合う、そういう方法もあるだろうしそれが全く悪いことだとは思わない。けれど持田はそれをしなかった。その決断へ至るまでには持田なりの逡巡や葛藤があったのだろう。好きという感情が分からない、その本心から目を背けず自分の気持ちを偽らない持田の姿勢にはなんとなく誠実さが含まれているような気がした。


「この先、いつか分かるときが来るんじゃねぇのかな。自分の気持ちに正直なのは、そのー、なんていうか、まぁ……いいなって思う」


 持田の顔を直視できず空を見上げた。オレンジ色が広がる中で水色の部分もまだ少し残っている。


 持田はふふっと吐息を漏らし、さらに明るい口調で答えた。


「変態さんな感情に忠実な松前くんから言われるとちょっと身に染みるかも……ありがとね!」


「感謝されてるのかけなされてるのか分かんねぇな」


 薄暗がりの中でも持田の瞳は輝きを放っている。その目をまじまじと眺めていると、九十九里浜42の写真集の表紙を思い出した。


 あれ、そういえば……写真集、買い忘れてるじゃん、俺。

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