第31話 意外〈イガイ〉

「お願い? 任せたいこと?」


 今日会ったばかりの人間に頼むことなんて、詐欺のたぐいかなにかだろうか。


 瀬奈せなさんの黒々とした瞳におくすることなく俺は視線を交錯させ、目だけで続きを促した。


「ああ。こんなことは口にするのも気恥ずかしいんだけど……」


 言葉の終わりを迎えることなく、瀬奈せなさんの声は一旦静止した。視線を落としてうつむきがちになった瀬奈せなさんの表情は、照明の当たり具合によって少し暗く見える。


 静寂はそう長くも続かず、瀬奈せなさんはすぐさま顔を上げた。真剣な面持ちが俺の視界を支配する。


怜奈れなと仲良くしてやってくれないか?」


「え?」


 想像もしていなかった言葉に思わず疑問符が口から漏れ出た。


 な、なんだ? 娘を思う父親のセリフを聞いたかのような感覚だ。うまるーん、みたいな感じで瀬奈せなさんがお父さんに変化したのだろうか。なにそれ、干物父ひもうとうさんかよ。


 瀬奈せなさんの言葉は一言一句、理解できない。


「いや、俺に頼むようなことじゃないと思いますよ。それ」


 この人は自分で言った言葉を覚えていないのだろうか。友達になりたくないタイプとかなんとか言っちゃってたはずなんだが……そういう評価を下した相手に頼む内容ではないだろう。


 要領を得ない気持ちが表情に出ていたのかもしれない。瀬奈せなさんはキリッとした真剣な眼差しで俺をとらえたまま離さなかった。


「松前くんの考え方が独特だから頼んでるんだけどな、俺は」


「独特ですか……けなされているとしか思えないですね」


 瀬奈さんの口元が少し緩まる。ふっと軽く微笑んでいるものの、目はまったく変化していない。


「まぁ、めが八割、けなしが二割って感じか」


「嫌味ですか?」


「褒めが八割だぞ? 高く見積もってるだろー」


 八対二。それを聞いて真っ先に思い浮かんだのはパレートの法則だ。経験則で語られる曖昧な理論だと勝手に思っているし、今この場合には全く当てはまらないだろう。けれど、そんな法則を連想させる時点で瀬奈さんの発言はやはり憎らしいと感じてしまった。


「今は比率なんてどうでもいいですよ。妹さんと仲良くなんて……万が一に俺が承諾したとしても、当の本人にその気がなければ意味ないじゃないですか」


「ああ、それは多分問題ないんだよ」


 多分なと、念を押すように、けれど覇気のない声で瀬奈せなさんは呟いた。全く的を射ない発言。曇ったような表情。その二つが俺をさらに困惑へといざなう。


「問題ないってどういうことですか。妹さんが友達を作りたい、と?」


 言い終えて、なんだかよく分からない恥ずかしさが湧いてきた。むずかゆい感覚に襲われて、じわっと体が熱を帯びていく。


 そもそも、あれほど冷酷な雰囲気を醸し出していて、口から出る言葉は攻撃性のあるものばかり、そんな上浮穴かみうけなが友達を欲しているなんて到底思えなかった。


「いや、まぁ、友達を作りたい! なんて実際に口にしたわけじゃないけどな。あいつがそんなことを言った日には、ギャップ萌えでもだえ死ぬ自信があるぞ」


 ……典型的なシスコン属性だな、この人。いもうとあいが強すぎるし、もういっそのこと、神奈川の中心で愛を叫んだほうがいいのではないだろうか。


瀬奈せなさんが悶え死ぬかどうかなんてどうでもいいですけど、口には出していないだけで、心の中では思っているとかそういう話ですか? テレパシーとか笑えないですよ」


 いや、マジで笑えないからね。


「別に笑ってもらわなくていいよ。あと、どうでもいいってひどくね? ま、まぁいいか」


 うわぁ、最初の返しは上浮穴がゴリ先生に言ってたのと似ている気がするな、さすがは兄妹といったところか。


 瀬奈さんはふっと軽く一呼吸吐くと、さらに言葉を続けた。


「まぁ兄妹だし、いろいろな姿を見てきたからな。言葉にしなくても察することは結構あったりして、友達が欲しいっていうのもその中のほんの一つに過ぎねぇよ。ただ、まぁ、勝手に察しただけだから本当に思っているのかどうか確証はないけどな」


 瀬奈さんのまぶたかすかに下がっていて、どこか物寂し気な雰囲気が感じられる。


「友達が欲しい、ですか……」


「ああ、簡単に解釈するならそれでいいだろう。もう少し踏み込んだことを言うと、友達を作りたいという願い、それ自体に重点を置く必要はないと思う。もっと大切な本質があって、怜奈れな自身も大事にしているもの。それを尊重したい」


 本質、大事にしているもの、それらが何を示すものなのか俺には全く分からない。疑念にも似た困惑はそのまま言葉として出てしまった。


「かなり曖昧な言い方ですし、意味が分かりませんね。俺にはとらえきれませんよ」


 俺の言葉を聞いた瀬奈せなさんは、嫌な作り笑いとはかけ離れた自然な笑みを浮かべた。


「その答えは怜奈れなと話していれば勝手に見つかるんじゃないのかな」


 俺は反応に困って視線を外し、温かな光を放つ電球を直視する。


 少しして瀬奈せなさんのほうに視線を戻すと、視界の中心が薄暗くぼやけていた。



    *     *     *



 夕焼け空の元、舗装された道を一人で歩く。右手に持っているスマートフォンにはPINEのトーク画面が映し出されていて、画面上部に表示されている名前が俺を辟易へきえきさせた。


 上浮穴かみうけな瀬奈せな。あの人と連絡を取り合うぐらいなら、定期的に送られてくるマナミさんとかユウナさんのような危険な香りのする女性と連絡を交わしたほうが幾分かましに思える……まぁ、それはさすがに誇張しすぎか。『久しぶりだねー、覚えてる?』とか送られてきても覚えてるわけないんだよなあ、親しかった女子なんて皆無なんだから。というか女子に限らず、男子もなんだが。


 両親と姉貴の名前しか表示されていなかった『友達』の欄に異様な存在が加わり、改めて面倒な状況になってしまったと、実感した。上浮穴かみうけな怜奈れなと距離を詰める、そのお願いの付属品としてついてきたあの招待が面倒臭さの根源といえる。


 ――ゴールデンウィーク、よかったら愛媛に遊びに来ないか?


 瀬奈せなさんの声音が頭の中で消えずにもやもやと残っていた。

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