第30話 仮面〈カメン〉

「俺のことはどうでもいいですけど、妹さんについてはどうでもいいの一言で片づけられないんじゃないですか? お兄さん的に」


 ありったけの嫌味を含めて瀬奈さんに投げかける。


 瀬奈さんの眉が一瞬ピクッと反応し、ふっと乾いた笑いが小さな口から漏れ出ていた。


「棘のある言い方だな」


「ええ、まあ。単に妹さんと会話してただけで『物好き』なんて言われれば、棘を含みたくもなりますよ」


 書店からここまでずっと引っかかっていた言葉を、これ見よがしにというか、これ聞けよがしにぶつけた。


「へ? 物好き? 誰にそんなことを言われたんだ?」


 あんただよ! と食い気味に言いかけたけれど、とりあえず抑え込む。


 瀬奈せなさんは眉間に皺を寄せて、とぼけた表情を浮かべていた。本当に忘れているのか、わざと忘れた振りをしているのか、それについて言及する気はない。けれど、捨て台詞のようなものは残しておくだけ残しておこう。


「たしか、瀬奈せなさんみたいな黒色のミディアムヘアーをしていて、瀬奈せなさんのような顔のパーツ配置で、瀬奈せなさんのそのイヤリングみたいなものをつけていた、瀬奈せなさんのような人でしたね」


「なるほど、俺ではなさそうだな」


 お、おう……あくまで自分ではないというスタンスを貫くつもりなのだろうか。


「まぁ、物好きって言葉は言い得て妙だと思いますけど」


「お? 松前くんはそう思うのか」


 瀬奈せなさんの目は少し見開いていて、興味津々な様子が窺える。無理やりつり上げたような口角からは、無邪気な子供を彷彿とさせた。


「失礼な言い方ですけど、妹さんに話しかける人間なんて爬虫はちゅう類が好きな人とかそういう類と同じでしょうし、見た目とか溢れ出る雰囲気とかは人形みたいで作り物めいている。そういうのを含めて物好きとか言ったんじゃないですかね、瀬奈せなさんみたいな人は」


「へぇ、俺に似ているその人はなかなか面白いことを言うな。惚れちまうぜ」


 う、うわぁー。俺の背中に悪寒が走った。首筋に氷を当てられたかのように身を震わせる。


『人間ってなんで尻尾がないんだろう』


 生物学の謎へ踏み入るような持田の問いが、唐突に脳内をかけ巡った。きゅ、急になぜそんなことを……いや、知らねえよ、としか反応できない。


 胎児の時点では人間にも尻尾があるようだけれど、生まれるときにはその部分が体に吸収される。その名残が尾てい骨であるらしい。正確には全く理解していないけれど、体に吸収されるという過程が『人間の神秘』みたいな一言で片づけられるならば、胸が小さいというのも神秘的ってことでいいんですよね? ようするに、ちっぱいは神秘……違うか。


『松前くんの変態さん思考で救われる人がいるかもしれないね』


 持田の反応はいつも通りだ。どんな表情を浮かべているかもおおよそ想像できる。おそらくは真顔。圧倒的なまでに変化のない面持おももちだろう。


 尻尾から胸へと無理やりこじつけたような持論が馬鹿ばかしくて、はあっと重々しい吐息が漏れ出た。それと同時に、張り巡らしていた緊張の糸がほどけていくような感覚に陥る。


 俺は瀬奈さんの手元にあるコーヒーカップをちらっと見遣みやった。ここからの角度では黒々とした液体が確認できず、真っ白なカップの内側には薄茶色のシミが出来上がっている。


「とりあえず閑話休題、茶番はこのぐらいにしておこう」


 瀬奈せなさんは口角を下げて真剣なまなざしを向けてきた。


 ……これまでの会話は閑話だったといえるのだろうか。この場の緊張状態は全く緩和されていないのだけれど。


「閑話休題って……まだ何か話題でもあるんですか?」


「ああ、まぁ……」


 瀬奈せなさんの回答は歯切れの悪さが前面に押し出されていた。拍子抜けした俺の心持ちを表現してくれたかのように、店内の奥のほうからガシャンと騒音が響く。音がしたほうへ視線を向けても様子は窺えず、再び瀬奈せなさんのほうへ向き直った。


 そろそろ面倒になってきたな。引き上げるならこのタイミングがベストか。『物好き』という言葉には、俺の考えている以上のことは含まれていないようだし、もう聞き出すことはないように思う。結局、上浮穴かみうけなに近づく奴は自分から罵声を浴びせられにいくような変わった人間だと、それだけのことだろう。


 俺はテレパシー問題を解決するためだけに上浮穴と会話した。書店でのやり取りも、偶然出くわした勢いで挨拶を交わしただけだ。だから、瀬奈せなさんの言う『物好き』には当てはまらない。俺は瀬奈せなさんの小馬鹿にしたような言い回しをかわした。それが分かった以上、もう話すことはないだろう。


「すみません、俺、そろそろ帰りますね」


 椅子を軽く下げ、横に置いていた鞄へ手を伸ばす。そのとき、瀬奈さんの冷静な声音が正面から飛んできた。


「松前くん」


 まだ何かあるのだろうかと、俺は伸ばしていた手を戻す。瀬奈せなさんの顔を見遣みやると、真っすぐな視線が俺の視線とぶつかった。


「どうしたんですか?」


「ちょっとしたお願いというか……任せたいことがあるんだ」


 瀬奈せなさんの言葉は熱のこもった、真っすぐなもののように感じる。一瞬、その裏に禍々まがまがしい何かが隠されているのではないかといぶかしんでしまった。そんな自分を少し戒めた。

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