第29話 深刻〈シンコク〉

 瀬奈せなさんの眼差しからは、何かにすがりたいと願いながらもどこか諦めの気持ちが含まれているような、悲し気な感情が伝わってくる。


 あの時と同じ目だ。三年前、夕暮れ時の教室で長津ながつ加奈かなが残していったあの目の残像。そんなものがはえのように脳内を駆け巡り、いらつきがふつふつと湧いてくる。上浮穴かみうけなに対する怒りでも瀬奈せなさんに対する怒りでもない。もちろん長津ながつ加奈かなに対するものでもない。自分自身の力のちっぽけさ、俺なら何かやれるという根拠のない自信、勝手なおごり、そういう過去の自分の醜さに対する怒りだ。


 あの日から自分に期待するのはやめた。力もない。勇気もない。そんな俺にできるのは逃げることのみ。逃げて逃げて逃げて、行きつく先が地獄であればさらに逃げて、天国を探す。それが俺のやり方だ。


 波打つ鼓動が早まっているのは自分でも感じた。ほわっと上がった体温を分散させるように、目の前のパフェを一気に三口かき込む。


『っや、ちょっとくすぐったいかも……ひゃ!』


 持田の甲高い声音は俺の右手の神経を麻痺させた。思わず手放したロングマドラースプーンがグラスの中でカラン、カランッと音を立てて暴れている。


「ん? どうしたんだ、松前くん?」


「い、いえ、何でも」


 まずいな、意識しないようにしても体は反射的に反応する。この会話に集中が必要というわけではないけれど、持田の発言によって気が散ってしまうのは事実だ。聞こえてくるのはしょうがないとして、とにかく冷静を装わなければならない。……とは言ってもなぁ、無意識を意識している時点でちょっとアレなんだが。恋する乙女的な何かなの、これ?


 瀬奈せなさんの訝しむ視線を受け止めながらクリームが少しついたスプーンを右手でつまみ、口を開いた。


「まぁ、毎日のように姉から散々なことを言われてるので、罵りの言葉には慣れてますよ」


「ほ、ほぉ~、なるほど。お姉さんか。それは納得だ」


 そう言って瀬奈せなさんはずずっとホットコーヒーをすすり、コトンっとカップを置いた。口元をきゅっと引き締めて、コーヒーを味わっているようだ。オレンジ色の照明が瀬奈せなさんの顔面でほどよく明暗を作り、大人びた雰囲気を形成していた。


「少し閑話に入ろうか。弟から見た感想でいいんだけど……お姉さん、可愛い?」


「いや、真顔で何言ってるんですか。閑話に入ろうか、じゃないですよ」


 驚きのあまり、静かにまくし立ててしまった。


 俺の言葉にたじろぐこともなく、瀬奈さんはふっと軽く噴き出す。


「悪い悪い、冗談だよ。妹の同級生に嫌われたくはないからな」


「すみません、既にちょっとアレです」


「あ、あれ? 曖昧な言葉で隠しているぶん、余計に心をえぐってくるなぁ」


 瀬奈せなさんは目を丸くして大仰おおぎょうに驚くような表情をしている。


 何のためらいもなく口から出た言葉は本心以外の何物でもなかった。


 俺はこの人が苦手だ。


 高身長イケメンで社交的。その部分に限っていえば、はいはいリア充乙、はいはいパリピ乙と、特段興味を持たずに受け流せる。だから俺がみ嫌うのは、イケメンだとかチャラそうだとか、そういう誰が見てもわかるような表面的特徴ではない。偽物染みた明るさで外面そとづらを固め、そこまでして隠そうとしている裏の姿、そういった可視化できない部分だ。


「何考えてるかよく分からないその目。奥が深そうな感じでちょっと怖いっすよ」


「奥が深そう? 人間、みんなそんなもんだって。誰もが自分をよく見せようとして、本当の姿を心の奥に押し込む」


 だろ? と小さく呟いた瀬奈せなさんの視線は、俺の眼球に照準を定めて動かない。


 ニッコリ笑顔の形になっているのは頬から下の部分だけで、目元は一切変化することなく平然としていた。


「まぁ、たしかに。ただ、少なくとも俺には当てはまらないですね。嫌な状況になれば躊躇ためらいなく嫌ですオーラを出しますし、逃げるときは敵に背中を見せてでも逃げますから」


 瀬奈さんはふっと息を漏らし、顔をほころばせる。その表情は先ほどまでの薄ら寒いものではなく、自然な笑みだった。


「松前くんは最低だな。友達になりたくないタイプだ」


『やっぱり、友達のほうがしっくりくるなぁ』


 ……今日の持田はやけにシンクロ率が高いな。なんなの? 初号機? と、思ったけれどさすがに400%は大袈裟か。


 持田の声はさておき、俺は瀬奈せなさんの微笑みをあしらうかのように自嘲気味に笑った。


「ええ、誰もがそう思うみたいですよ。おかげさまで友達はゼロですから。ただ単に記憶を失ってるだけかもしれないですけど」


「記憶喪失であってほしいと、ほんの少し思ってしまったよ」


 瀬奈せなさんの笑顔は若干引きつっている。痛々しいものでも見るかのような視線を向けられていて、鬱陶しさが押し寄せてきた。


 友達。そういった関係を築くことに対して、軽蔑や反感の意を持っているわけではない。むしろ、ワイワイガヤガヤと騒ぎ立てる姿は、学生として正しい振舞いなのだとさえ思う。


 あらゆる場面で乱用される常套句『みんなちがってみんないい』はまさに真意を捉えているだろう。語尾に思わず平仮名でさくや、と付けたしたくなる。


 この世にはリア充もいれば孤独人間もいるのだ。


 面倒ごとを避けるために無闇な馴れ合いを好まない、そういう人間に対して『可哀想』みたいな視線を送るのは価値観の押し付けでしかなく、侮辱以外の何物でもないだろう。


 俺は極上の冷たさを眼球に込めて、瀬奈さんを睨んだ。

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