第26話 失策〈シッサク〉

 俺も上浮穴かみうけなもただただ沈黙するしかなく、外からは微かにザッザッザッと足音が聞こえてくる。


 その音は次第に大きくなり、ちょうど扉の前で止まった。チクタクと動いていた時計の針が急に止まったかのように、物置の中が静まり返る。扉の向こう側に立っているのは持田か、それとも謎の男か。得体のしれない『そいつ』に対してただならぬ恐怖感が湧いてきたのは、このシチュエーションに問題があるのだろう。


 止まっていた時計の針が再び動き出す。


 ガラガラガラっとゆっくり扉が開けられ、物置の中に光が差し込んできた。首をひねりながら扉のほうを見ていると、徐々に体育館裏の風景が飛び込んでくる。何の種類か分からない大きな木や地面にところどころ生えている雑草、それらを背景にして中心には男子高校生が一人。


 彼は不信感をこれでもかというぐらいに放ちながら、馬糞ばふんを投げつけられたかのようにうしろへ飛び退いた。


「うおっ! びっくりした! ひ、ひと!?」


 ちゃっちゃら~ん、ドッキリ大・成・功~、みたいな雰囲気が周囲に漂う。依然いぜんとして背中に密着している人間の生身からは、ビクッと反応したのが伝わってきた。


 扉のほうへ向いていた首をさらに二十度ほどうしろへひねると、上浮穴かみうけなの顔が横目に入る。外からの光に照らされたきめ細かな頬は、心なしか淡く赤らんでいるような気がした。横から見ているからだろうか、瞳の水分量が多く、潤んでいるようにも感じられる。


 上浮穴の顔をずっと見ているわけにもいかず、俺は開いた扉のほうに再び視線を戻した。軽やかな足音とともに男子高校生の背後から姿を現したのは勿論、持田だ。


「え、あれ? 松前くん? とー、上浮穴かみうけなさんだっけ? なんでこんなところに?」


 一瞬、持田は目を大きく見開いた。けれどすぐに目を細め、口角を不自然に吊り上がらせる。訝しむ視線と作り物の笑顔が相乗効果を成して、不気味な表情になっていた。


「いや、たまたま俺たちも話があってここまで来たんだけど、持田の姿が見えたから咄嗟に隠れてしまったわけで、そのー、なんていうの? 別れちゃった恋人をたまたま見かけたときに逃げたくなる的な? まぁそういう感じだ、俺は何も悪くない」


「あーはいはい、そういう感じね」


「ねえ、童貞が妄想でもしているかのような言い訳はその辺にして、さっさと出てくれないかしら? 私から先に動くと、自分で胸を押し付けているようになってしまいそうで嫌なのだけれど」


 持田からは受け流しという名のボディーブローをもらい、上浮穴かみうけなからはパイ圧もとい威圧を受け取って、完全にノックアウト。俺は物置から出た。


 おおよそ五分ぶりに地面へ降り立つ。真正面には男子高校生が苦笑いを浮かべて立ち尽くしていた。のっぺりとした顔は物腰柔らかな雰囲気が感じられ、程よくワックスの塗られた長めの髪はなぜか清潔感で固められている。


「その……すみません、聞くつもりはなかったし聞こえてもこなかったんですけど」


「ああ、全く気にしなくていいよ。というかタメ口にしてくれよ、持田さんの友達なんだろ?」


「あ、いや、そんなんじゃ」


 俺は口ごもった。


 うーん。『友達なんだろ?』の言葉の裏に『彼氏じゃないよな?』が見え隠れしていて怖いんだが。


 お得意の必殺技、ジ・イシキカジョウを発動させながら男子高校生の微笑みに対して睨み返していると、背後から冷たい声音が投げかけられる。


「私、用事があるから。先に失礼するわ」


 返答の隙を与えない、と言わんばかりに上浮穴かみうけなはそそくさと歩いて行った。


 少しでもテレパシー現象の解決へ近づけると期待していたけれど、無駄だったな。今回も、何の情報も得られませんでしたぁ! とひざまずいてしまいそうなぐらい、落胆の気持ちが俺を襲う。結局、春休み最終日に起きた事故の記憶は俺にしか残っていないのだろう。


 解決までの道のりが果てしないことを再認識し、自暴自棄じぼうじき気味に口を開いた。


「すまん、持田。本当に内容は聞こえなかったから……。俺も教室に戻るわ、じゃあ」


「あ、うん」


 持田の声を背中で受け止め、俺は足早に立ち去った。しばらく歩いていると、後方から微かに持田と男子高校生の楽しそうな話し声が聞こえてくる。


 それによって湧いてきた感情はたった一つ。二人とも楽しそうで微笑ましい、ただそれだけだった。



    *     *     *



 昼休みの一波乱ひとはらんから約四時間が経過し、放課後のふわふわ時間タ〇ムへ突入していた。


「お前、バイト、何個ちしてんの?」


 『九十九里浜42』のメンバー写真集を求めて火乃海ひのうみ書店へやって来た俺は、書店員姿の上浮穴かみうけなと遭遇し、思わず声が漏れてしまう。からくれないのエプロンを身に纏い、文庫本の品出しをしているようだ。


「三つよ、悪いかしら?」


 上浮穴かみうけなは俺と鉢合はちあわせしたことに対して特に気にする様子もなく、作業を続けながら簡潔に一言だけ発した。


 東雲が見たというウェイトレス姿、モスドナルド店員、そして書店員……理数科の人間とは思えないぐらい、バイトけだな。


上浮穴かみうけなさんってそんなにバイトしてるんだぁ』


 上浮穴かみうけなの様子をぼーっと眺めていると、持田の声が聞こえてきた。勿論、鼓膜なんて介さずに脳内へ直接届いてくる。


『あれ、さっきの子猫、後ろからついてきちゃってる』


 ……猫とたわむれる持田って、なぜか絵になるな。母親の痩せた痩せた自慢ぐらいどうでもいいけれど。

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