4. キライ・イライ
第25話 隠伏〈インプク〉
暗がりから牛、ということわざがある。暗いところに黒い牛がいてもはっきりわからないという様子から、物の区別がつかないたとえとして用いられることわざだ。
リア充のイチャコラ言動が夜になるにつれて活発化するという光景はこれの良い例だろう。明るいうちは恥ずかしさが邪魔をするアクションも、暗闇の中では思い切って踏み切ることができる。暗がりによって恥ずかしさの区別が
今この瞬間、真っ暗な物置の中にいる俺もそれは例外ではなく、今の状況が善なのか悪なのか判断に困っていた。
「ねぇ、妙な吐息が漏れているようだけれど、私の胸に触れることで興奮しているのかしら? ひどく不愉快だわ」
「興奮? そんな二文字では形容できないぐらいに
「はぁ……そこまで開き直って言われると、いっそ清々しいわね」
体育館裏にポツリと
背中に同い年の女の子の体が密着している、そんなイレギュラーな状況が心臓の鼓動をより早く、より強くする。
下半身がかなり危険の状態に陥っていて、俺は苦し紛れに口を開いた。
「お、おい。もう少し後ろに下がれねぇのか?」
「無理よ。何に使うかもわからない装置が場所を取っていて下がれないわ。あなたこそ、前に移動できないの? 故意に移動しない態度を取っているとしか思えないのだけれど」
お、おう。
両肘を少し動かすだけでもコンッと何かしらにぶつかってしまうぐらい狭い空間で、移動できるスペースなんてあるはずもなく、俺は口を開いた。
「マジで動けねぇよ。なんでこんなに物がつまってんだ? うちの体育教師はもったいない病にでもかかってんのか?」
「独り言は好きなだけ言ってもらって構わないけれど、少しボリュームを落としたほうがいいわよ? 気づかれたくないのでしょう?」
この物置の外では今まさに、持田が真剣な話をしている最中だろう。扉を開けるわけにはいかないので様子は
「ああ、状況が異常すぎて声量の調整に支障をきたしてるな」
「支障をきたしてるのは喉とか腹筋だけではなくて、脳内もじゃないからしら? たった一人の女性がやって来ただけでこんなところに隠れるなんて、その発想がわたしには理解不能ね」
「しゃーねぇだろ、
「別々に行動して他の場所に集合すればいいだけじゃない。まぁ、何を言っても後の祭りだからこれ以上は責め立てないけれど」
言葉を言い終わるや否や
じめっとした空気中に沈黙が流れた。
俺と
「とりあえず頃合いを見計らって出るしかないな。待つのも面倒だからここで本題に入ってもいいか?」
「ええ。むしろそうしてくれるかしら? やることが山ほどあって暇というわけではないから」
「春休みの最終日、17時半ぐらいに渋谷駅に
「春休み最後の日? 渋谷駅……。ええ、居たけれど……なぜそれを? 私のことを見張ってたの? それならそうと、あの場で言ってくれればよかったじゃない。
上浮穴は冷然とした声音でまくし立ててくる。
「通報してくださいって声を掛ける不審者はまずいないと思うけどな。この際、俺が不審者かどうかなんてどっちだっていい。電車待ちしている間になんか変なこととか起きなかったか?」
「ひどく抽象的な
あの日のあのホームで見た景色が脳内に浮かび上がってくる。持田と何者かが衝突した瞬間に、俺が目視していたのは持田の白いニットであって、ぶつかった被疑者の顔を確認していたわけではない。けれど、男二人の言い争いが原因であるのは一つの可能性として考えられるだろう。
「他に何か――うっおわ!」
なかったか? と言おうとしたところで、カサカサカサと不気味な音が耳に入ってきた。俺は反射的に且つ静かに声を荒げる。
「おいおいおい、なんか今、やばい音がしたぞ、Gじゃねぇか?」
「は? G? 重力加速度?」
「いや、9.8メートル毎秒毎秒の話なんかしてねぇよ。ゴキブリだ、ゴキブリ」
「ゴキブリ!?」
アルファベット一文字では反応せず具体的な名称で反応したのは、Gがゴキブリを差すものであると知らなかったからだろう。何はともあれ、上浮穴の悲鳴にも似た叫び声を聞いて、俺は一瞬で確信した。
「……おい、今の声、たぶん外に漏れたぞ」
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