第23話 懐疑〈カイギ〉

 冷酷れいこくさがにじみ出ている大きな瞳がかすかに動き、上浮穴かみうけなは口を開いた。


「いらっしゃいませ」


 そんな空虚な声を合図にして、俺はうしろを振り返る。


 ワイワイガヤガヤとにぎやかな様子の女子高生集団がこちらに向かって歩いてきていた。ざっと見た感じだと十人ぐらいだろうか。


 この数を一気に相手にするとなると店側も大変だろうなぁ、と少しの手助けにもならない同情が頭をよぎる。


 俺は視線を上浮穴かみうけなのほうに戻し、小声で呟いた。


「昼休みでいいか?」


「ええ、構わないわ」


「よし。体育館の裏に集合で」


 俺は早口で言い残してカウンターに背を向け、足早に歩き始めた。


 手に持っているトレイの上で、紙コップに注がれた水がゆらゆらと揺れている。その様子は、期待とあきらめの間で彷徨さまよう俺の思考を体現しているかのようだった。


 東雲と持田のいるボックス席まで戻ってくると、二人の楽しそうな会話が耳に入ってきた。


 俺の存在に気づいたのか、二人同時に俺のほうへ顔を向ける。


「あ、さくやん、遅かったね!」


「おかえりー、松前くん」


 東雲の溌剌はつらつとした声に続けて持田の平然とした声が届いてきた。


 俺と持田の視線がぶつかった瞬間、持田は手元のスマートフォンに顔を向ける。その目の逸らし方が心なしか不自然に感じられて、妙な違和感が俺の脳内にはてなマークを形作かたちづくった。


 どうしたのだろうか、と一瞬気になったけれど、ただ単にタイミングの問題だろう。俺は特に詮索せんさくすることもなく椅子に腰かける。


「水、飲んだら、そろそろ出ようぜ。女子高生の集団が入ってきてたし、長居するのも迷惑だろうし」


「そうだね。東雲さん、申請書は結構進んだ?」


「うん、ばっちり! 活動内容は書けたし、顧問も斎院さや先生にしたし、あとは四人目を見つけるぐらいだねー」


 いや、聞いた感じだと顧問に関しては全然ばっちりじゃないぞ。斎院先生、とばっちり食らってるじゃねぇか。


 俺はわずかに残っていたポテトを食べ終え、水をごくごく飲みながら東雲を見遣みやった。東雲も勢いよく水を飲んでいる。


「斎院先生ってこれまで、部活の顧問になるのを何が何でも拒否してたらしいし……たぶん逆上するぞ、あの人」


「……ぷはっ、まぁそのときは適当になんとかするよ」


 相変わらずの能天気具合にあきれたけれど、東雲が『なんとかする』と言えば本当になんとかなってしまいそうだな、ともかすかに思った。


 東雲は紙コップをトレイの上に置き、満足そうな笑みを浮かべている。俺もすべての水を飲み終えて、口を開いた。


「よし、帰るか」


 持田はうん、と軽く呟き、東雲はんんっと背伸びをする。テーブルの上のゴミをすべてトレイに載せて手に持ち、ボックス席をあとにした。


 トレイとゴミを片付け、出入り口までたどり着く。ちらっとカウンターに視線を向けると、上浮穴かみうけながお客さんの対応をしているところだった。前を歩いている東雲と持田は上浮穴かみうけなに気付いている様子がなく、楽しそうに会話をしている。


 俺たち三人は出入り口の透明なドアをくぐり抜けた。


 ファストフード店のジャンクな匂いが消え、入れ替わるようにショッピングモールの雑多ざったな香りが全身を包む。う人々の香水やそれぞれのフロアの商品から放たれる香り、建物自体の無機質な匂いなどが嗅覚を刺激した。


 俺の一歩先では、相変わらず東雲と持田が楽しそうに会話を続けている。


「東雲さんってやっぱり、ロンドンのビッグベンとかよく見てたの?」


「ま、まぁ、みみ、見てたよ! あ、あと、あの時計台ってなしくずし的にビッグベンって呼ばれてるけど、本来ならあの時計台の中にある鐘のことだからね、ビッグベンって」


 早口でまくし立てるように東雲は言った。なんでこいつ、こんなに口元がおぼついてるんだ? ビッグなバーガーで顎をやってしまったのだろうか。


「あ、そうだよね、わたしもいつの間にか勘違いしてたかも。たしか……クロックタワーだっけ? あの時計台」


「前まではそうだね! 今はエリザベスタワーに変わったけど」


 俺も何かのテレビ番組で聞いたことはあった。この命名の仕方はどうなんだろうか……まぁ固有名詞とタワーを組み合わせているという点では、わが国でいう東京タワーみたいなものか。天下の東京タワーさんはどうやらスカイツリーの登場で頭が上がらないみたいっすね。俺はいいと思いますよ、その……赤色! 超かっこいいじゃないっすか。あとは……そのー……えとー……フォルム! な、なんかいいっすよ、その形、うん。


 脳内で東京タワーのことを適当にフォローしていると、持田が不意に振り向いた。


 俺と持田の瞳が重なる。


 物寂ものさびし気な垂れ目からはなんとなく哀愁あいしゅうが伝わってきた。俺の視線は黒々とした瞳に吸い込まれていて、なぜか逸らすことができない。


 みょうなにらめっこに嫌気がさし、俺は口を開こうとした。けれど、俺が言葉を発する前に持田は東雲のほうへと向き直る。そんなちょっとした所作しょさが、なんとなく俺の言葉を封じるためのもであるかのように感じられた。


 持田の横顔は先ほどまでの物寂ものさびし気な雰囲気が消え失せ、普段通りの自然な表情に戻っている。


 はっきりと認識できるその変化によって、俺の脳内にはもくもくと暗雲が立ち込めた。


 持田の様子が心なしかおかしい気がする。


 こちらからあれやこれやと詮索することはないけれど、だからといって全く気にならないというわけではない。持田がかもし出す雰囲気のかすかな違いに何かしらの意味を見出したくなるのは、通常状態の持田の表情があまりにも変化しないからだろう。

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