第22話 接触〈セッショク〉

 持田はモッスシェイクをすすりながらスマートフォンの画面を睨み、俺は黙々とポテトに手を伸ばす。東雲はビッグなバーガーをペロッとたいらげ、部活新設しんせつ申請書を記入していた。


 多量の塩分を摂取していくうちに俺の舌は水分不足へと陥り、口の中は完全に砂漠地帯としている。生憎あいにく、オラ・オーラは飲み干してしまったので、俺の口内をうるおすオアシスはここには存在しない。


「ちょっと水、もらってくるわ」


 俺は立ちながら言い、ついでに食べ終わった残骸ざんがいをトレイに乗せて手に持った。


「あ、さくやん、わたしのもおねがーい」


「へいへい。持田はいいか?」


「わたしは大丈夫だよー」


 おーけーと、棒読みで言い残し、カウンターへと向かう。持田は棒読み使いのスペシャリストだからな。目には目を、棒読みには棒読みを、だ。


 店内は相変わらず喧噪けんそうに包まれている。女子高生集団の下品な笑い声や、主婦と思われる二人組の高らかな『やっだぁ~』が耳に入ってきた。鼓膜を揺らした空気がそのまま口から出たかのように、はっ、とスカスカなため息をく。


 手に持っていたトレイとゴミを処理し、悠然ゆうぜんと歩いているとカウンターが視界に入った。


 入り口のドアからカウンターまでの広々とした空間には人が一切らず、まるでその場所だけ時間が止まっているかのような感覚に襲われた。店内はあれだけ騒々しいのに、出入口は静寂に包まれている。その様子が空間のゆがみみたいなものを連想させて、なんとなくおもしろ可笑おかしかった。


 俺はカウンター前に立ち、背中を向けている女性店員に声を掛ける。


「すみません」


「っあ、はい!」


 店員さんにしては少し冷たさをはらんだ声音が周囲に響く。


「あっ」


 こちらに向いている女性の顔を見て、俺は思わず声が漏れてしまった。


 わずかに吊り上がった目、小さく形の整った鼻と唇――この容姿端麗ようしたんれいな女性は、間違いなく上浮穴かみうけな怜奈れなだ。


 一時間ほど前に職員室で見たときは制服姿の女子高生だったけれど、今この瞬間はバーガー店員に成り代わっている。


「あの、ご注文でしょうか?」


 いぶかしむような表情でこちらを睨みつけるさまは、店員さんとして少し不愛想ぶあいそうではないだろうか、と思った。


 俺の顔を覚えていないのだろうか、振り向いてからここまで一切上浮穴かみうけなの動揺が見られない。


「あぁ、すみません。おひやを二つ、お願いします」


「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 軽く一礼した上浮穴かみうけなは紙コップを手に取り、裏へと歩いて行った。


 黒い帽子から垂れた黒髪がゆらゆらと左右に揺れている。そんなうしろ姿をぼーっと眺めていると、持田の声が響いてきた。


『んー、休み明けに返事しようかなぁ』


 返事……おそらく、今朝のラブレターのことだろう。まぁ、俺には関係ないな。


 意味もなく頭上のディスプレイへ視線を移す。今春こんしゅん限定の桜色キャンペーン商品が大々的だいだいてきに宣伝されていて、それを眺めながら俺は思考を巡らした。


 春休み最終日の夕方、渋谷駅ホームにいたあの女性は上浮穴かみうけなで間違いない。彼女は俺が電車と衝突する光景をの当たりにしているはずだ。果たして、そのことを覚えているのだろうか。望みはかなり薄いかもしれないけれど、だからといって確かめずにはいられない。


「お待たせしました」


 上浮穴かみうけなが二つの紙コップをトレイに載せて戻ってきた。相変わらずニッコリ笑顔とは程遠い冷然れいぜんとした表情を浮かべていて、太宰の有名タイトルをお借りすると、まさに店員失格と言えるだろう。


 俺はトレイを受け取る前に一瞬、うしろの出入り口に視線を向けた。誰一人、お店には入って来る気配がない。順番待ちをしている人もいない。というか、この場には俺以外にひと一人ひとりいやしない。


 俺はトレイを受け取ると同時に口を開いた。


「あの、俺、常柑じょうかん高校の二年生で松前まさき咲夜さくやっていうんですけど、上浮穴かみうけなさんですよね? 理数科の」


「え? ええ、そうだけど。あなた、誰?」


「誰って……いや、だから、同じ高校に通ってる同級生の松前まさき咲夜さくやです」


 なんで二回も名乗らにゃならんのじゃ、とボソッと呟くと、上浮穴かみうけなは眉間にしわを寄せて怪訝けげんな表情を浮かべた。


「なに? ナンパ師? ストーカー? 店長をお呼びしますので少々お待ちください」


「待て待て待て。そんなに丁寧な口調で店長を召喚されたら、俺がクレーマーみたいになるじゃねぇか」


充分じゅうぶん、クレーマーだと思うのだけれど。何の脈略もなく話しかけてきたのだから、自分が不審者であると主張しているようなものじゃない」


「名前と高校名をさらしたのに不審者扱いかよ」


 上浮穴は眉根を下げ、真っすぐな視線で俺を見つめてくる。その『え、不審者じゃないの?』みたいな顔、めてくれますかねぇ。


「とにかく聞きたいことがあるんだけど」


「あなたの目には、アルバイト中の私の姿が映らないのかしら」


 暇そうにしている上浮穴かみうけな怜奈れなさんの姿ならばっちり映ってますよ、と口から漏れそうになったけれど、なんとか抑えこんだ。


 いつお客さんが入ってくるかもわからない状況でせわしく会話をするよりも、後日ゆっくりと話したほうが有益な情報が得られるかもしれない。


「たしかに、バイト中だし迷惑だよな。ただ、どうしても聞きたいことがあって……月曜日に学校で話せないか?」


「まぁ、何か事情があるようだし否定する理由はないけれど。あなたの今のセリフ、背筋が凍るぐらいに気色きしょく悪かったわよ? 自覚ある?」


「おぉ、あるぜ。お前のその、今にもれいとビーム出しそうな目を見た瞬間に自覚したわ」


 なんだ、こいつ。話してるだけ、どっと疲れが押し寄せてくる。話す言葉に面倒くささが含まれているのは東雲と通ずるところがあるな、と一瞬思った。

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