第19話 鮮烈〈センレツ〉

 持田は斎院先生に対して軽く頭を下げ、俺も同調するように会釈えしゃくをした。東雲のうしろをついていくように歩き始める。


 先ほど視界に入った黒髪女子高生は、男子教師と話しているようだ。その場所へ徐々に近づいていた。


 記憶が正しかどうかわからないけれど、あの先生はたしかJクラスの担任、通称ゴリ先生だ。筋肉質な体格と色黒な肌からそう呼ばれているらしく、周囲でよく話題に上がっているのを耳にする。ゴリ先生という言葉を初めて聞いたときに、もう少し良い感じのあだ名はなかったのかよ、と思ってしまったのはここだけの秘密だ。


 常柑じょうかん高校はAからIの9クラスで構成された普通科と、Jのみで構成された理数科に別れている。普通科の偏差値が61であるのに対して、理数科が偏差値70……考えるのはめよう、悲しくなってきた。


 理数科の華々はなばなしい姿を見て少しつらくなるのは常柑じょうかん高校普通科生徒のあるあるかもしれない。他の人に聞いたことがないから分からないけれど。というか、聞くような親しい仲の友達がいないのだけれど。


 ちらっと東雲の顔を確認するとあんじょう、鬼のような形相で黒髪女子高生のほうをにらみみ付けていた。金髪ということもあって、まるで金獅子きんじしのようだ。オニとライオン……二頭を同時に飼いならすとか、この子、ハイブリットすぎませんかねぇ。


 そんなことを考えながら黒髪女子高生の横を通り過ぎようとする。そのとき、二人の会話が耳に入ってきた。


上浮穴かみうけなー、ウェイトレス姿で下校は流石に笑えないぞ」


「別に笑っていただかなくて結構ですが?」


 う、うわー、ゴリ先生と真っ向勝負してるよ。すげぇ、強烈だな。ゴングが鳴って数秒でボディーブローをお見舞いされたかのような衝撃が走った。 


 ゴリ先生は斎院先生と同じように右手をこめかみの辺りに押し当てて、困ったような表情をしている。


 教師って大変だなぁ、と適当に憐れみながら二人の横を通り過ぎ、出口のほうへあゆみを進めた。


 出口のドアを開けて廊下へ足を踏み入れた瞬間、ちょっとした過去の記憶が頭をよぎる。


 そういえば昨年のクラス内で一時期、上浮穴かみうけなというワードが飛び交ってたなぁ。『上浮穴かみうけな怜奈れなだけレベルが違いすぎるわ』とか『上浮穴かみうけなさんって理数科だろ? 相手にされないって』といった具合に話題が上がっていた気がする。


 特に興味は湧かなかったし理数科とは接点なんて皆無なので、上浮穴の容姿を見たことは無かった。


 なるほど、電車と衝突する間際に目に入った黒髪美少女があの上浮穴かみうけな怜奈れなだったのか……渋谷駅の事故について何か覚えていることはあるだろうか。持田の記憶からは消えていたし、望みは薄い気がするな。


「ねぇねぇ、さくやんとはるるんはこの後、用事あるの?」


 東雲が不意に質問を投げかけてきた。わずかに首をかしげて、俺と持田の顔を交互に見つめている。


「わたしは何もないよー」


「俺もないけど。なにかするのか?」


 俺と持田の返答を聞いた東雲は、口角をつり上げてにっこりと笑みを浮かべた。


「じゃあさ、じゃあさ! モスドナルドに行こうよ!」


 おっと、これは面倒だな。訂正するか。


「あ、用事を思い出した。悪いけど、俺は帰るわ」


「はぁ!? 嘘でしょ?」


 先ほどまでの笑顔は見る影もなく、東雲は眉間にしわを寄せてまじまじと俺を見てきた。訝しむ視線が俺の逃げ腰根性こんじょう拍車はくしゃをかける。


「ま、まぁそういうことだから。じゃあな」


 俺はきびすを返し、足早に立ち去ろうとした。意味のある『逃げ』はあくなどではない。『不利な状況からの勇気ある撤退』って一文は少しかっこよさが含まれているだろう。そう、これは勇気ある撤退だ。


 右足を一歩踏み出す。その瞬間、右のそであたりに、うしろから引っ張られるような感覚が走った。


 お、おい。このくだりはたしか昨日もあった気がするぞ。


 恐る恐る右袖みぎそでの付近に目をやると色白の可愛らしい手が背後から伸びていて、人差し指と親指で俺の制服をまんでいた。


 ロボットのようなぎこちない動きでうしろを振り返る。


 そこにいたのは……持田だ。あーはいはい、知ってた知ってた。


 身長の差によって持田は微か《かすか》に上目使いとなり、澄んだ瞳からは無言の圧力を感じた。心なしか口角が下がっていて、真剣な表情をしている。


 持田は全く口を開こうとしないけれど、言いたいことはひしひしと伝わってきた。いやおうでも現象を発動させたくないのだろう。当たり前だ。昨日のテレパシーでも、パンツが食い込んでいるとか聞いてしまったわけだし。


 廊下の窓は開いていて、春風がぴゅーっと吹き抜ける。その風によって俺の心は揺らされて、その振動がため息に変わった。


「はぁ……モスドナルドな。あー用事はもういいやー、ちょうどモッス食べたかったんだよなー、やべぇー、食べた過ぎて頭がおかしくなりそー、今すぐ食べないと死んでしまうかもしれないなー。さっさと行こうぜー」


「う、うわぁ、さくやんが急に変になっちゃった。気色きしょくわるー」


 その切り返しはひどくないですかねぇ。ハンバーガーのやけ食いで血糖値が上がるまであるぞ。

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