第18話 黒鉛〈コクエン〉

 その他にも『遊部あそぶ』とかなんとか、頭の悪そうな文字列が書かれている。


 そのルーズリーフをまじまじと見ていると、職員室の扉の開く音が聞こえてきた。


 眼球に糸でも取り付けられているかのように、視線が入口のほうへ引っ張られる。


 白色はくしょくの扉が半分ほど開いていて、本来であればここから確認できるはずの廊下の風景が、異様な存在感によって遮られていた。


 堂々たる姿の女子高生が、俺の視界を支配する。


 そして、俺は絶句した。


 渋谷駅で電車にはねられかけた瞬間の光景が走馬灯のように蘇ってくる。臓器が浮き沈みするような気持ち悪い感覚に再び襲われ、背筋に悪寒おかんが走った。


 つやのある綺麗な黒髪はまるでなまりのようだ。きりっとした目は整った顔立ちの中でも特に存在感を放っていた。


 俺はこのりんとした女子高生を知っている。


 渋谷駅のホームから転落している最中に、憐れむような目でこちらを見ていた……おそらくあの女性だろう。あのときは私服で髪飾りも付けていたけれど、この端正な顔立ちは間違いない。


「あぁ!」


 俺のちょっとした回想は東雲の甲高かんだかい高音によって打ち切られた。


 馬鹿でかい声は職員室内に響き渡り、この空間にいる誰もが反応を示す。


 それは入り口付近を歩いている黒髪女子高生も例外ではないようで、彼女も顔だけこちらに向けて、いぶかしむような視線を飛ばしていた。


 東雲は大きく目を見開いて、何か重要なことを思い出したかのような表情をしている。


 持田も入口のほうに視線を向けているけれど、心なしか眉根が下がっていて、あの人がどうかしたの? という風な表情を浮かべていた。


「東雲さん、知り合いなの?」


 持田はいつも通りの淡々とした口調で東雲に問いかける。東雲は口角を下げて、むっとした。


「昨日話したウェイトレスさん。わたしに暴言をまくし立てた人だよ!」


 あぁ、そういえば変な人がいるとかなんとか言ってたな。……あの話、本当だったのかよ。だとすると、あの黒髪女子高生、かなりやばい奴じゃねぇか。


 うぅ、と唸り声をあげている東雲に対して、黒髪女子高生は全く気にする様子もない。俺たちのほうに向けていた視線をぷいっと外し、男子教師の目の前まですたすたと歩いていった。


「おい、お前たち。部活動の話はもういいのか?」


 背後から声が投げかけられて振り向くと、斎院先生がなんとなく疲れた雰囲気を醸し出しながら椅子にもたれかかっていた。


「とにかく4人れば部活は作れるんですか?」


 持田の冷静な声音に対して、斎院先生はさらっと答える。


「まぁ、不可能だろうな。活動内容がしっかり書かれていないと、まず生徒会に申請書を受け取ってもらえない。仮に受け取ってもらえたとしても、その後の部活動会議でシュレッダー行きだろう」


 いや、生徒会ってどんだけ権力持ってんだよ。一般的にスクールカーストの頂点はリア充とされているけれど、真のスクールカーストにおいては生徒会が頂点なんじゃねぇの? というよりか、生徒会所属のリア充が最強であって、結局リア充が史上最強の選抜モノタチでした、ということになるのか。


「生徒会、怖ぇー」


 ボソッと漏れ出た俺の言葉を軽く受け流すように、斎院先生が口を開いた。


「まぁ、しかし、限りあるお前たちの青春生活にわざわざ水を差す理由もないしな……」


 そう言って、斎院先生は机の上の棚に綺麗に整頓されているファイルを一つ取り、一枚の紙を東雲に差し出す。この人、意外と几帳面なんだよなぁ。斎院先生のくせに生意気だぞっ! みたいなジャイア〇みた言葉は間違っても口に出せない。


「これが部活動新設しんせつ申請書だ。記入欄は多いが、書くだけ書いてみたらどうだ?」


 その紙を受け取った東雲は、目を輝かせて満面の笑みを浮かべている。


「せんせー! わたし、やるよ! 頑張るよ! ありがとー!」


 言葉を言い終わるや否や、東雲は斎院先生の体に飛びついた。先生の豊満な胸あたりに顔をうずめて、すりすりと体を密着させている。周りにお花畑でも浮かんできそうなその光景からは、謎のいやらしさが放たれていた。


 お、おい、目の前に男がいると分かっていての行動なのか? やはりこいつ……強い。


「東雲、わたしはお前の母親ではない。離れろ」


 斎院先生の黒い瞳が微かに下へ動き、瞳よりも黒々とした声が東雲の頭上へ落ちた。


 ……やべぇ、怖すぎる。熱湯のような熱い怒鳴り声よりも氷のような冷たい声音のほうが、恐怖というものをより強く感じるけれど、今の声は氷とかそんなレベルではない。ドライアイス、いや、もはや液体窒素といっていいだろう。


「もー、ツンデレなんだからぁ」


 そう言って斎院先生から離れた東雲の顔には、相変わらず笑みが浮かんでいる。その笑顔からは、何事に対しても屈しないと言わんばかりの強靭な精神が感じ取れた。


 身勝手みがってな想像だけれど、東雲の心中しんちゅうに潜む『高校生活を楽しむ』という信条は、誰にも揺るがすことのできない神的かみてきな何かなのかもしれない。……やだ、中二病出ちゃってる。


 東雲とは対称的に、斎院先生はこめかみの辺りを押さえたまま深くため息をつき、口を開いた。


「とにかく、4人目を確保するのが大前提だ。その上で、どういう活動をするのか固めてから、もう一度その紙に記入して持ってこい」


「りょーかい!」


 東雲は爽やかな声を発し、くるっときびすを返した。

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