3. シッコク・レイコク

第16話 予兆〈ヨチョウ〉

 普通棟の廊下はいつも通りの喧噪けんそうではなく、異様な空気に包まれていた。


 登校に対する気だるさが二倍に増幅されて全身を襲ってくる。俺は横の金髪をちらっと見て、大きなため息をいた。


「なんでお前、俺の横について歩いてんの? ストーカー?」


「なっ、失礼だなー! ストーカーじゃなくて守り神だよ!」


 ……こいつは重症だ。言葉を交わすだけで疲労が蓄積されてしまう。守り神? そんな崇高なボディーガードを雇った覚えはないぞ。


 周囲からのざわめきが鳴りやまない。ひそひそと聞こえてくる声が、まるでもやのように全身を覆った。


 周囲からの鋭い視線が次から次へと刺さってくる。小さなボディーガードさん、守られてないどころか、傷を負わされてるまでありますよ?


「職員室は逆方向だぞ? 転校生様は先生に連れられて教室にやってくるのが定石だろ」


「職員室はさっき行ってきたよ! 先に自己紹介しておきますねーって言ったら、斎院さや先生が『おう、好き勝手やってくれて構わないぞ。机は一つ増やしておいたから、持田もちだ松前まさきにでも聞いてみてくれ』って」


「うっわー、さじ投げっちゃってるよ、あの人」


 俺は楽観的な斎院先生の言葉に呆れつつ、スマホを取り出して時間を確認した。


 SHRショートホームルームが始まるまで、あと3分か。


「悪い、トイレ行ってくるわ。教室間違えるなよー」


 そう言い残して、俺はきびすを返す。


 これだけ目立ってしまえばもう手遅れかもしれないけれど、それでも東雲しののめと教室に入るのは気が進まない。


 逃げるようにこの場から消えようとした俺の行動は、可愛らしい高音によって止められた。


「あ! じゃあ、わたしも行こー」


「は!?」


 いや、冗談だよね? 女子と連れションとか笑えないぞ。そもそも男子と連れションでさえ俺には理解しがたい行動様式なのに。というか、友達がいないから一緒に行くもクソもないんですけどね。トイレだけに。


「なぜか、尿意が失せたわ。さっさと教室行こうぜ」


「うわっ、ものすごい手のひら返し! まぁ行かないなら行かないで、いっかー」


『うわぁ、なんじゃこりゃあ』


 東雲の声と重なるように、持田の声が脳内に響いてきた。なにかハプニングでも起きたのだろうか。頓狂とんきょうな声音が脳内をけ巡る。


『これ、どうしようかなぁ』


 何があったんだ? 疑惑の念が徐々に好奇心へと変わっていった。


『あ、松前くん。ラブレター……じゃ、じゃなくて、やばっ、今の聞こえちゃったかな。久しぶりだなぁ、ラブレター……じゃじゃ、じゃなくて』


 珍しく持田は慌てふためいているようだ。その様子は音声のみでも伝わってくる。


 なるほど、持田の身に青い春が到来しているらしい。


 考えないようにしようとしているのがひしひしと感じられた。けれど、その思惑おもわくが逆効果となっているようだ。持田の声が次から次へと俺に届いてくる。


 事態の概要を理解しつつ、同時にこの現象に対して嫌悪感が押し寄せてきた。


 持田がこの件について知られたくないと思っているのかどうかは分からない。けれど、俺としては知りたくない事実だった。


 色恋沙汰は面倒ごとへの引き金になる場合が多いように思う。知らなくてもいいことをわざわざ知る必要はない。自ら爆弾を抱えるなんて愚行ぐこうだ。


『そ、そっか……なんだかごめんね、松前くん』


 いつも通りの冷静な声音が響いてきた。


 あぁ、これだ。この現象において危惧きぐしていたのはこういうことだ。


 持田の言葉が俺に届くのと同じように、俺の言葉も持田に伝わってしまう。


 俺の思考は持田を辟易へきえきさせるだろう。それを分かっていても止めることができない。一昨日おととい、この現象のことを『神のいたずら』なんて例えたけれど、あながち間違いじゃないのかもしれない。極悪ごくあく非道ひどう。まさに人の道にあらず、だ。


 お互いの言葉でお互いが気に病むようなことは、今後も頻繁に起こるだろう。そんな場面を想像すると、心なしかどんよりとした空気が肌を撫で上げた気がした。


『わたしは松前くんの言葉、気にならな——』


 持田の冷静な声音は突然、途切れた。


 『2-B』と書かれた教室ふだが視界に入り、横の金髪が口を開く。


「よっしゃあ! 高校生活、楽しむぞー!」


 おっと、妙に張り切ってるなぁ、この子。好き勝手やっちゃうつもりなのだろうか。斎院さや先生の言いつけを忠実に守っちゃうんですかねぇ、さすが、自称守り神様。


「おい、もうちょっとクールダウンし——」


 俺の言葉もむなしく、東雲は勢いよく入り口の扉を開けた。忠告なんてもちろん聞く様子もなく、堂々とした姿勢で東雲は教室へと入っていく。


 その後ろ姿を確認し、すぐに俺は後ろ側の入り口までそそくさと歩いた。


 ゆっくりとドアを左にスライドさせ、泥棒染みた姿勢で教室へと入る。

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