第10話 呼称〈コショウ〉

 そう言って、落ちていたファイル一式を拾い上げる。それを見た東雲しののめも何か思うところがあったのだろう。いやーやっちゃたなぁ、と呟きながら文房具一式をがばっとわしづかみにした。……いや、雑すぎるだろ。スーパーの詰め放題に鬼の形相で挑むおば様かよ、お前。


 うしろにたはずの持田もちだもいつの間にか片付けに参加している。


 俺だけ手伝わないなんて暴挙ぼうきょに出れば、あとで何倍にもなって返ってくるだろう。


 疲労感がずんっと押し寄せてきた。重力に引っ張られるように、足元の教科書に手を差し伸べる。

 

 そのとき、手先にあたたかい感触がした。


「あっ」


「あっ、悪い」


 条件反射で手を引っ込める。視線を上に向けるとそこには……持田もちだがいた。


「なんだか今の、青春っぽかったね?」


 ほんのわずかに口角をつり上げて言い放たれたその言葉には、一切の青春っぽさが感じられなかった。


 片付けはものの一分ほどで終わり、本筋ほんすじへ戻すように斎院さや先生が口を開く。


持田もちだ松前まさき。こちらは明日からこの学校に通うことになった東雲しののめ芽々埜めめのだ」


 斎院さや先生の言葉を受けて、東雲しののめがはきはきとした声で言った。


「どうも、東雲しののめ芽々埜めめのです。一年間同じクラスだから仲良くしてね!」


持田もちだはるかです。よろしくね、東雲しののめさん」


 さらっと自己紹介を終えた持田もちだに続くように、俺も淡々とした口調で言った。


松前まさき咲夜さくやです。よろしく」


「いやぁ、二人とも美男美女だぁ」


 東雲しののめ屈託くったくのない笑顔を浮かべている。美女なら両脇りょうわきに立っているけれど、美男は? 万が一にも俺のことを言っているのであれば、それは大きな誤解だ。弁明する必要がある。


東雲しののめ。本気で言ってんのか?」


「もっちろん! 冗談だよ! はるるんは美女だけど、さくやんが美男だなんて……ぷぷっ」


 東雲しののめは手で口元を覆い隠し、ぷるぷると震えていた。必死に笑いをこらえているようだ。


 こいつ……殴りてぇ。


 ここ最近のなかではトップレベルの勘違いを起こし、恥ずかしさが心を侵略していく。


 横をちらっと見ると、斎院さや先生も心なしか顔をほころばせ、肩を揺らしていた。


 俺の動揺した様子を気にかけることもなく、持田は口を開く。


「は……はる……るん?」


「そう、はるかだからはるるん。この呼ばれ方、嫌だった?」


「全然、嫌じゃないよ。突然でびっくりしちゃって」


 持田もちだは、えへへっと微笑んだ。


 本人ほんにん直々じきじきに許可をもらい、東雲しののめは『はるるんっはるるんっ』と連呼している。ものすごくルンルンな様子だ。


 それを遮るように俺は喋りかけた。


「俺は嫌だから、即刻そっこく変えてほしい」


「えーなんでぇ? さくやんって響き、超よくない? めっちゃやんやんしてそうでかわいいじゃん」


「かわいさなんか求めてねえよ」


 いや、そもそもヤンヤンってみしかないじゃん。『デレ』のない『ヤン』なんてただの闇だぞ。


「もーう、なんだよそれー。んーじゃあ、まさきんってどう?」


「お前、語尾に『ん』をつけないといけない宿命でも背負ってんの? 普通に名字でいいじゃねえか」


「えぇ?」


 東雲しののめはむうっとしかめっ面を浮かべ、鋭い眼光でこちらを睨んでいる。……あぁ、あのときと同じ目だ。はからずも女子の胸をタッチ、タッチ、そこをタッチ、したときのあの目。


 あれから一週間は周囲のひそひそ声が止まらなかったんだよなぁ。


 過去のトラウマが頭の中をちょこまかと動き回る。もういっそのこと不慮ふりょの事故じゃなくて故意こいの事故だったことにすれば、清々しい気持ちになれるかもしれない。……いや、ありえねえな。そんなかもしれない運転は危険きけんきわまりない。


 この場では全く無関係な問題について自己完結したところで、斎院さや先生が口を開いた。


「お前ら、雑談なら外で好きなだけやってくれ。持田もちだ東雲しののめは明日から学校に通い始めるから、校内を軽く案内してやって欲しい。頼んだぞ」


 まくし立てるように言葉だけ残して、斎院さや先生はそそくさと自分のデスクへ戻っていった。


 わざわざ職員室へ呼び出して転校生の案内を任せた、その相手がなぜ持田もちだなのかという疑問は一切湧いてこない。頼みごとをしようと思ったときに、ちょうど持田もちだが近くにいたのだろう。その現場を目撃したわけではないけれど、容易に想像がついた。


 俺は逡巡する。


 持田もちだから転校生の案内とは聞いていたけれど、こんな金髪女子高生を案内するとは聞いていない。文字通りに毛色の違う少女と並んで歩くなんて、間違いなく目立つだろう。はぁ……校則? 何それ美味しいの? 状態だな。


 半ば強引に連れてこられたという事実が、俺の背中を後押しした。


「じゃあな、持田もちだ東雲しののめ


 なるべく余韻を残さないように消えようとする。けれど、左の袖口あたりに感じた力が、俺の動きを止めた。

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