花火の下で
とみぃ
熊蝉の鳴く頃
山手線。暑さで気怠さが蔓延する七月下旬、冷房の効いた車内は都会のオアシスだった。
僕はがら空きの車内の席に腰掛ける。隣に座るこの女の子は僕の彼女だ。彼女に、
「何にやけた顔してんの?」
とか言われる。僕は、君の可愛いさに見惚れちゃってさ、なんて答える……。
……ふぅ。本当はそんな人なんていない。いたらいいんだけどね。全部妄想。山手線に乗ってるのだけは本当。ただ、皆さんには僕が決して妄想だけが趣味みたいな哀れな男では無いことを皆さんにはご理解いただきたい。これは高校での部活である文芸部の活動の一環であって……
「何にやけた顔してんのって言ってるじゃん――!」
「えっ……?」
妙に聞き覚えのある女の声を向けられ全身が硬直する。そして、誰かに見られていたといいう焦りと羞恥が僕を襲う。混乱させないために一応言っておくと、この声は確かに今隣の席から聞こえた声だ。
「何考えてたのかわかんないけど、今の顔相当気持ち悪かったよ」
声のする方に顔を向ける。声の正体は女だった。
「な、何でもねえよ、てかなんでいるんだよお前!」
やっと聞き覚えのある声の正体に気付いた。この女との事実的な関係を一言で表すなら隣人という言葉に落ち着く。この隣人、上原蘭とは、十数年隣同士の家に住んでいるが、幼馴染と言うには少し気恥ずかしさが残る、そんな関係だ。
僕の妄想の彼女と違って、この上原蘭という女と話すということは、僕にとってただただ気の引けることだった。
彼氏の惚気話を延々としてくるのだ。案の定、暫くすると蘭は彼氏の惚気話を始めた。もういつものことなので適当に聞き流す。
「ねぇ、この写真みてよ」
そう言うとスマートフォンの画面をこちらに向けた。見なくてもわかる。彼氏とのツーショットだ。一瞥してから、惚気話に適当に相槌を打つ。結局、蘭の話は電車を降りた後、二人の高校に着くまで続いた。
「なんでなんの興味も示さないの、そんなんだから彼女できないんだよ。」
蘭は呆れ顔でそう言うと、校庭を駆け抜けて行った。
悪かったな、妄想でしか彼女いなくて。
夏休みの校舎は不気味なほど静かだった。 蘭と校門で別れて僕は自分の部活の部室へ向かった。僕の所属する文芸部という部活は来ても来なくてもいいような典型的なゆるい部活だが、外で暑い中過ごすのは嫌い、でも家でニートしてるのも嫌という我儘な欲求を二つとも満たしてくれる空間だった。
ガチャ、バタンッ。鉄製のノブを回して扉を開ける。かなり大きな音が鳴ったのに、中からの反応はほとんどなかった。
俺の所属する文芸部はお察しの通り運動できるやつは皆無に近い。勉強ができるやつも多くない。おまけに部活の大半はだべったりトランプしたりして終わる。ところが一度ペンを持たせると三日でも一週間でも休まず書いてる。ここにいるのはそんな連中だ。
「おはよ」
「おっ、涼か」
こっちに目を向けたこいつは和瀬智樹だ。智樹はそんな集中力の塊みたいな連中の中でもとりわけ集中力が高く、創作意欲も高い。でも今日は「OFF日」みたいだ。ペンを握る気分でもなかった自分にとってこういう存在が一人でもいるのは有り難かった。
「何ニヤついてんだよ」
「いやぁ?青春ですねぇ、羨ましいですねぇ」
どうやら蘭と二人で歩いていたところを見られたようだった。
「そんなんじゃねぇつってんだろ」
「はいはい、幼馴染ですか、良かったですねぇ」
そう言ってなお殴りたくなる笑みを浮かべてやがる。
蘭は幼馴染として見ても可愛い。そこは認めざるを得ない。案の定そのルックスから男子生徒にも人気がある。和樹だって蘭のことを少しは気になってるはずだ。
部室には、和樹の他に女子部員が一人執筆に勤しんでいただけだった。パソコンの画面に真剣な目を向ける小村凛は文芸部には珍しく頭脳明晰な少女だ。彼女の書くミステリーは天才的だ。完璧な箇所に配置された伏線と誰にも予想できない展開を書き上げる彼女の作品は小村さんの頭脳の結晶だ。頭の悪い僕にはおそらく一生書くことができないであろう彼女の作品が僕は大好きだ。ちなみに彼女は蘭の親友でもある。
午前中は執筆に集中する小村さんを横目に本を読んだり、和樹とトランプしたりして過ごした。
「そろそろ帰るか」
読んでいた文庫本を閉じた和樹が俺に声をかけた。
「いいよ」
すると 突然、清書用のペンを持って原稿用紙に向かっていた小村さんが顔を上げた。
「みんなで花火大会行かない?明後日あるんだけど」
いきなり顔を上げた彼女に少々面食らったが、彼女の誘いを断る理由もなかった僕と和樹は、揃って賛同した。
「じゃあ決まりね。」
そう言うと、再び原稿用紙に目を落とした小村さんを尻目に、僕と和樹はアスファルトが溶けそうな暑さの街へ繰り出した。
「小村さんなんで俺たちしかいない時に誘ったんだろうな」
「さぁ」
智樹が突然ファミレスの前で歩みを止めた。
「あれ?あそこにいるの蘭ちゃんじゃない?」
「かもな」
遠くて顔まではよく見えないが、ウチの高校のセーラー服を着た女子高生が私服の男と話している。
「ちょっと寄ってみない?」
「興味ねぇよ」
「まあそう言わずにさ、腹も減ったし」
確かに昼食を取っていなかったので、そう考えれば悪くない提案でもあった。
「しゃあないなぁ」
「そう来なくちゃ」
僕達は冷房のよく効いた店内腰かけた。
蘭が座る席に目をやる。蘭の向かいに座る彼氏であろう男に若干の違和感を抱いたが、そんなものはすぐに消えてしまった。あるいは、消えざるを得なかった。
突然、蘭が泣き出した。そして、財布から何枚かの札を取り出し、テーブルに叩きつけてすぐに去って行った。
その数十分後に、二人も食事を終え外に出た。
「なんだったんだ、あれ。」
和樹がふと漏らした呟きは僕の気持ちを十二分に代弁していた。その日はもやもやした気分のまま、和樹に別れを告げ家路についた。
翌日、僕はファミレスで覚えた違和感の正体に気づいた。蘭はおそらく二股していた。
花火大会は、予想通り家族やカップルで賑わった。小村さんは浴衣を着ていた。眼鏡を外した彼女は品のある大人の艶を持っていて、少しドキッときてしまったのは内緒だ。僕と和樹はというとTシャツに短パンという中学生みたいな格好でなんだか場違いみたいで恥ずかしかった。
今思えばあの時は自分の感情を必死に忘れようとしていたように感じる。爆発しそうな僕の中の何かしらを抑制するのに、花火大会に行くことは都合がよかった。
ふと上を見ると蘭がビルの屋上に立っていた。蘭の姿を見て、自分の中の何かが弾けた。すぐに激しい怒りが込み上げてくる。
「ちょっとわりぃ、すぐ戻る」
「え、ちょ、待てよ」
あいつに一言言うことができるのは自分だけだ、そんな気がした。駆け足でビルの階段を上る。
「あ、涼。え、どうしたのそんな顔して。」
「どうしたの、じゃねえんだよ。謝れよ、お前が相手にしたことを。」
「あい……て?」
「なんで見せてきた写真の男とファミレスにいたやつが違うんだよ!」
蘭は手で顔を覆い蹲った。その体は小刻みに震えている。そのことが僕の怒りを更に増幅させた。
よく見ると蘭の口角が上がっている。蘭の体の震えは徐々に大きくなり、やがて大きな笑い声を上げた。僕は面食らって、怒る気力も無くしてしまった。
「なんで笑ってんだよ意味わかんねぇよ。」
僕が諦めたように呟くと、蘭は急に真顔になってこちらに向き直った。
「私今彼氏いないんだよ。」
「はぁ?じゃあ写真の奴は?ファミレスに一緒にいたのは?」
「ファミレスにいたのはお父さん。多分見られただろうから言うけど喧嘩してお金叩きつけて帰って来ちゃった。写真の子はね……昨日別れた。」
唖然として、しばらく何も考えられなかった。花火が打ちあがって、開花するまでの一瞬の静寂が僕には数分のことのように思えた。
「なんだよ、じゃあ俺が勘違いしてただけってこと?」
そう言ってから、次第に自分の顔が紅潮していくのがよく分かった。
「そういうこと。でもありがとね」
このありがとうは何を意味するんだろう。恋愛経験がない僕にとって、幼馴染のその言葉を解読するのはとてつもなく難解なことだった。
「じゃあここにいたのもそのせい?」
「うんん、凛ちゃんがなんかしきりに花火大会の日ここにいろって言うから」
「え?どういうこと?」
「私もよく分からない」
蘭が目を背けながら言う。それにしてもどういうことだろう。小村さんに何か目的があるのだろうか。
下を見ると和樹が例のニヤニヤを顔に浮かべながら、こっちに手を振っていた。その後ろに小村さんが悪戯っぽい笑みを遠慮がちに浮かべながら立っていた。
「私花火大会で涼とこんな事してるなんて思いもしなかったなー」
俺で悪かったな、と悪態を吐くと何故か蘭は本気で怒ってしまった。
「そういえばこんなに近くに住んでるのに二人でどっか行くのって無かったよね」
「確かに」
「また、一緒にいろんなところ行きたいな」
なぜ蘭がこんな事を口に出すのか見当もつかなかった。つかなかったけれどなぜか鼓動が速くなるのを感じた。
「うん」
「あ!見て見て!」
返事をした時にはもう蘭は花火の方を見ていた。
ヒュー、、パッ。夜空に満開の花が咲いた。
うん、夏はまだ始まったばかりだ。
「あーあ、なんだよリア充しやがって」
「なんか置いてかれた気分だね」
「つまんねーな、なんか茶化せそうな雰囲気じゃなくなっちゃったし」
「あ、見て、綺麗」
「すげぇな」
「ねぇ」
「ん?」
「私もっと綺麗に見えるところ知ってるんだ。一緒に行かない?」
花火の下で とみぃ @tom_cello
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