第3話 猫じゃない

 トコは猫らしくする練習を続けました。だけどどれもうまくいかなくて、夕方には疲れきっていました。もう少しでご主人様がごはんをくれる時間ですが、落ち着いて待っている気分ではありません。

「明日は、もっといい練習にしないと……」

 リビングでココに毛づくろいをしてあげながら考えます。悩みながらなので同じところを何度もなめてしまって、なかなか終わりそうにありません。できばえも今一つになりそうです。

「ねえ、ママ」

 ココが、もじもじしながら話しかけてきました。

「ママがじょうずなことをおしえてほしいの。トカゲのみつけかたとか。ママ、すぐにみつけちゃったの」

「そういわれましても」

 トコは今日何回目かのため息をつきました。

「あれは私が犬だからできるんですよ」

 ココが息を飲んでいるとは気づきません。

「私たち犬は、においをかいだり音を聞いたりするのが得意ですから。あなたたち猫は、鼻や耳が犬ほどいいわけじゃありません」

「じゃあ、どろぼうのつかまえかたは?」

「たしかに私は泥棒を捕まえたことがありますけど、あれも私が犬だからできたんです」

 トコは自分とココを見比べました。ココが目を見開いていることには気づきません。

「私たち犬は体力があって、泥棒をいつまでも追いかけられるんです。でもあなたたち猫は犬よりも体力がないですから、追いかけて捕まえるなんてムリですよ」

「そんなこと、ないもん」

 ココが声をふるわせている。トコがやっとそのことを悟ったとき、ココは目いっぱいに涙をためていました。

「あたし、ママみたいになりたいの! ママはどろぼうをつかまえたことがあって、かっこいいの!」

 駆け出して、少しだけ開いたドアのすき間をくぐりました。廊下へ出ていきます。

 トコはとっさに追いかけようとしましたが、体が大きいのでドアを鼻で開けないといけません。ようやく廊下に顔を出すと、ココが裏口から外へ出るところでした。

「待ってください!」

 ココはトコの声に足を止めてくれません。トコが裏口から出たとき、ヘイの穴を通って空き地へ行ってしまいました。

(さっきみたいに走って勢いを付けて、よじ登れば)

 トコは今度こそそうしようと思いましたが、ご主人様の家からではできないと気づきました。こっち側には走るほどの広さがありません。

「遠回りですか!」

 にがい気分になりながら、表へ。お店で今日のお仕事を終わらせようとしていたご主人様が、おどろいた顔で見ていました。

 トコは道路をぐるっと回って空き地に着きました。ココの姿が見えたのですぐに飛び込もうと思いましたが、ギリギリで立ち止まりました。

 空き地にいる猫はココだけじゃありません。野良猫の子ども三匹もいます。でも、何だか様子が変です。野良猫の子どもたちはココを取り囲んでじろじろ見ています。

「あいつがいるぞ」

「いつもいぬといっしょにいるやつだ」

 同じ子猫でも、あっちの方が半月くらい早く生まれています。大人の猫なら大した差ではありませんが、伸び盛りの子猫にはかなりの差ができます。三匹はココよりもずっと大きくて、ココを見る目はからかいでいっぱいでした。

 囲まれている側のココは三匹を落ち着きなく見ていて、押さえつけられた気分になっていそうです。三匹はココがそんな様子なので余計調子に乗って、わざとらしく顔を近づけて鼻をひくつかせたりします。

「こいつ、いぬのにおいがぷんぷんだ」

「しってるか? どうしておれたちねこが、いぬよりにおいしないのか」

「しってるわけないだろ。いぬは、そんなことしらないだろうし!」

 三匹そろって笑います。

「においをえものにかぎつけられたら、すぐにげられる! それじゃ、えものをまちぶせできないだろ!」

 そういえば自分はツメを切った後もトカゲに近づく途中で逃げられたと、トコは思い当たりました。ココもそれに気づいたのかうつむいてしまって、野良猫たちはもっと調子づきました。

「いぬのにおいがするねこじゃ、えものをつかまえられない!」

「ダメなねこだ!」

 また大笑い。ココは、ついに我慢の限界を迎えました。

「あたしはねこじゃない!」

 しっぽをふくらませて、背中の毛を逆立てて、ハーッ! とうなります。その怒り方は猫そのもの。『猫じゃない』という言葉の逆なので、野良猫たちは笑うばかりです。

「ねこじゃないなら、いぬか?」

 ココは、そういわれるとたじろいでしまいました。

「いぬ、でもないかも」

 しっぽもしょんぼりと下げて、離れて見ているトコもおろおろしてしまいました。

「あたしはきのぼりができる。せまいところではしれる。ツメもひっこめられる。ママとはちがうの」

「じゃあ、いぬでもないなぁ!」

 野良猫たちが、またはやし立ててきました。でも、元気のないココはそこまででした。

「どっちでもいいの! あたしは、ママからそだてられたあたしなの!」

 その言葉を聞いたトコは、夜中に玄関のドアをいきなり叩かれた気分になりました。

「ココ、あなたは」

 野良猫たちもココの勢いにおどろいたようでしたが、すぐに振り払いました。

「わけわかんないこというな!」

 一匹がココに飛びかかって、取っ組み合いが始まりました。お互いにかみついたりツメを立てたり後ろ足でけったり。

 ココは勝てそうにありません。野良猫たちは一匹が疲れても二匹目や三匹目と交代できて、ココを休ませません。そもそもあっちの方がココより大きいです。

 トコは飛び込んでケンカを止めようと思いました。ラブラドールは大型犬ですから、子猫がいくらかかってきても敵ではありません。

 ただ、どこか引っかかります。心の中でいろいろなことが乱れていました。ココが野良猫たちに何をいいきったのか。そして自分が何をしていたのか。

 それでもトコはお母さんでした。だから結局は物陰から出ようとしましたが。

「待つんだ」

 首輪をつかまれて、トコは振り返りました。後ろにいたのはご主人様です。

(いつからいたんです?)

 鼻も耳もいいトコなのに、ご主人様がいると気づいていなかったのです。どれだけ戸惑っていたのか突きつけられた気分でした。

 ご主人様は、トコを優しく見下ろしていました。

「子どものケンカにわりこむなんて、大人げないじゃないか。ねえ、お母さん」

 お母さん。その一言は、トコの心をつらぬくようでした。

 ご主人様は、道路に視線を移しました。空き地へ近づこうとしている車がいます。

「いつもここにとまっている車だね。あれが空き地に入ったら、野良猫たちは逃げる。ケンカも中断だよ」

 空き地をよく見ると、野良猫のお母さんも車と子どもたちを心配そうに見ています。

「きみは先に家へ帰っておくんだ。ココは、帰ってきたときにきみがいなかったらドキッとするよ。ケンカで負けるところを見られたのかなって。誰だって、そんなの知られたくないよね?」

 トコは回り道をしないと家まで帰れませんが、ココはヘイの穴を通ることができます。トコがゆっくりしていたら、ココが先に帰り着いてしまいます。

「心配しなくても、誰も引かれたりしないようにぼくがここを見ておくからさ」

「ありがとうございます……」

 トコはやっとそう答えて、空き地から離れました。とぼとぼと歩いて、しっぽもだらんとさせてしまっています。肉まん屋さんのにおいだって、気にするどころではありません。

(私、ココのことを何もわかっていなかったんですね)

 涙がぽろぽろとこぼれました。

(私は猫らしくさせなきゃいけないと思いこんで、ココがどうしたいかなんてちっとも考えていませんでした)

 そのあげくにいった言葉がココをどれだけ傷つけたのかと思うとつらくて、お母さんなのにと思うと自分が情けなくて、涙はどんどんあふれてきます。

 トコは歩きながらわんわん泣きました。すれ違った人間や犬がどんな顔で見ているかも、全然目に入りません。

(猫らしく育てないといけない、なんて考えていたのはきっと私だけだったんです)

 よく思い出してみたら、ご主人様も『立派に育てるんだよ』とはいっていましたけど『立派な猫に育てるんだよ』とはいっていませんでした。

 遠回りしても、空き地から家まで大した距離はありません。遅い足取りでもそんなに時間はかかりません。トコは、できるだけゆっくり家に帰りたいと思いました。合わせる顔がないという気持ちはこれなんだろうなと感じました。

 でも、トコは一番目の自慢が泥棒を捕まえたことで、二番目の自慢がたくさんの子どもを育てたお母さんだということでした。だから二番目の自慢にふさわしいお母さんでいるために、できることをしようと決めました。



 トコがリビングで毛づくろいをしていると、ココがおどおどした様子で帰ってきました。

 ヘイの穴を通れば、回り道したトコよりも先に帰れるはず。違ったのは、ココもトコと顔を合わせにくくてなかなか家へ入れずにいたからかもしれません。

「そんなにケガをして、どうしたんですか?」

 野良猫とケンカしたせい。トコはそうだと知っていましたが、口には出しません。ココに近づいて、傷をペロペロなめてあげます。

 ココもケガの理由をいいません。トコは問い詰めたりしませんでした。

「明日も練習があるんですから、ケガなんかしていられませんよ?」

 ココはしっぽをおなかの下に引っ込めました。ものすごく嫌そうです。トコは気づかなかったふりをしました。

「明日は、においをかぎわける練習。そして音を聞きわける練習です」

「え……?」

 ココがやっと口を開きました。トコは構わずに話を進めます。

「それとも、ずっとずっと走って追いかける練習がいいですか?」

「でも、ムリって」

「泥棒を捕まえたいんでしょう? 先に断わっておきますけど、木登りなんかよりもずっときびしくしますからね!」

 ココは、きびしいといわれたのにしっぽをピンと立てました。うれしいときの仕草です。でも、自分のしっぽをあわてて前足で押さえました。

「においをかいだりするのがうまいのは、いぬなの。あたしも、いぬっぽくするの。よろこんだときのいぬは、こんなふうにするんじゃなくて」

「どっちでもいいじゃないですか」

 トコはしっぽを振りながら答えました。

「あなたが思うようにする……それでいいんですよ」

 今のトコにはわかっていました。

 ココが猫っぽく育つか犬っぽく育つかは、ココ自身が決めること。お母さんのトコだって、飼ってくれているご主人様だって、決めさせることはできません。

「それならね、ママ」

 ココは、もじもじしながらいいました。

「あたし、ごはんはおさかながいいの」

「はいはい。ご主人様!」

 呼びかけると、ご主人様が待っていたかのようにリビングへ入ってきました。

「ごはんはもう用意してあるよ。お刺身じゃないけどね。もちろん肉まんでもない」

 床に置いてくれたお茶わんは二つ。トコにはお肉から作ったドッグフードで、ココにはお魚から作った子猫用離乳食です。トコはどちらからもおいしそうな香りをかぎ取りました。

「さあ、ご主人様にいただきますをいって食べましょう!」

 トコもココも出されたごはんを食べ始めました。ご主人様はそれを満足そうに眺めてから、自分のごはんを準備し始めました。

 ご主人様のおうちには、いいにおいがいっぱいです。


                                   完

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いぬねこおやこ 大葉よしはる @y-ohba

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