(2) 動き


 まじまじと、少女の顔を見てしまう。無理もないだろう。誰もいないと思っていた対面のソファーに、どこからともなく少女が現れたのだから。

 いや、実際に現れたところを見たわけではない。ただ、そこから意識が離れていたのか、対面のソファーに誰もいないと思っていただけで、もしかしたら少女はずっとそこに座っていたのかもしれない。


 小柄な少女だった。真っ黒い炭のような髪の毛は前髪でぱっつんで切られており、ぱっちりとした瞳にきりっとした眉。口元をマスクで覆い、忍者のような黒装束を身に着けていた。

 少女は、じっとこちらを見つめていたかと思うと、プイっと顔を逸らしてしまった。


「風羽、どうしたの?」


 湯気がのぼるカップが三つ乗ったお盆を片手で持った千里が、傍までやってくる。


「いや、この子」

「ああ」


 千里は対面するソファーの間にある机に湯気がのぼるカップを並べて置きながら、当然といった様子で答えた。


「はっちん……日加里蜂にっかりはちちゃんだよ。一緒に暮らしているんだ」

「一緒に暮らしてる? 女の子、と?」

「うん。……三年ぐらい前だったかな。依頼の関係で知り合ってね。この子、行く宛ても力もないくせにひとりで生きていこうとか考えていたから、俺が引き取ることにしたんだ。ちなみに、幻想学園の一年生だぜ。風羽も先輩として、学校で見かけたらやさしくしてあげるんだぞー」


 ウィンクしながら言われたので、風羽はとりあえず頷いた。

 睨むような瞳で蜂が千里を見ているが、当の千里は慣れているようで知らん顔だ。


 風羽の向かい――蜂の隣に腰かけると、千里はカップを持ち上げて真っ先に口をつけた。風羽は目の前に置かれたカップの中身を見る。茶色というほど濃くはない、赤っぽい色合いの飲み物だ。琥珀色にも似たこれは紅茶だろうか。

 口をつけると、口の中に独特な風味が広がった。ひとえに紅茶といっても数々の種類があるので、味だけでなにかはわからないが、馴染みのある味わいだった。


「それで調べてほしいことってなんだい? 乃絵ちゃんのことを聞きに来たわけじゃないんだろ?」

「うん。さっそくだけど、【麒麟の鱗】が盗まれた事件は知っているよね?」


 風羽が問うと、千里は重々しく頷いた。


「それについて風羽に詳しく訊きたかったんだけど、時間が取れなかったんだ。こっちも、ごたついていて」

「兄さんは、僕たち……怪盗メロディーが、【麒麟の鱗】を盗んでいないって言ったら、信じてくれるかい?」

「ああ、もちろんだとも。弟の言葉なんだからな。兄として信じるのは当たり前だろ」

「……くそったれ」


 整った顔でにこやかに微笑み答える千里に、そばで小さく少女が何かを言った様子だったが風羽はうまく聞き取れなかった。明るい顔の千里が、「あははっ」と頬を掻く。「ふんっ」と蜂が鼻を鳴らした。


「で、調べてほしいことって、もしかしてその犯人かい?」


 千里の言葉に、風羽は頷く。


「うん。そうなんだ。こっちでも調べているんだけど、少し予想外のことが起こっていてね、なるべく早めに真犯人を特定しなくては行けなくなった。忙しいところ悪いけど、合間でもいいからお願いできないかな?」

「おうともさっ」

「クソヤロウなちーちゃんだ。いまふたつの依頼を抱えてるくせして、これ以上依頼を増やしてどーすんだよばーかぁ」


 こんどこそ、蜂は高い声色で口汚く罵った。


「ちょっと、はっちん口悪いぞぅ。もうほんと女の子なんだから、もっとかわいらしく喋ろうぜい」

「うるせぇ、ばーかぁ」


 呆気に取られてふたりのやり取りを見ている風羽の前で、またもや驚くことが起こった。

 少女が消えた。

 確かにいまのいままでその目で見ていたはずなのに、忽然と少女はいなくなっていたのだ。

 その誰もいないはずの空間に、千里が声をかける。


「はっちん、どこ行くの? て、あ、行っちゃった」


 扉が開き、閉じる音が聞こえた。事務所兼応接間に隣接している寝室にでも入ったのだろう。でも、その姿は全く見えなかった。

 風羽は突然のことに、驚いた顔のまま千里を見る。

 千里は、ははっ、と困った様子で頬を掻いた。


「はっちん、不貞腐れているから、またしばらく口を聞いてくれなくなるなぁ」

「兄さん、いまの」

「いまの?」


 千里の言葉からすると、彼は少女が消えたことに気づいていない。


「いま、そのはっちん? が、消えたんだけど」

「あ、風羽、見ちゃったか。まあ幻想学園に通っているから能力者なのはわかると思うけど、彼女もまた特異な異能を持っていてね」


 寂しそうに視線を落とし、千里は日加里蜂の異能を口にした。


「はっちんの異能はね、気配を消すこと、なんだ。透明人間みたいに透明になるわけじゃなくって、自分そのものの気配をその場から消す。音とか、匂いとか、人間として持っているはずの、気配そのものをね」

「気配を、消す?」

「だから、透明になっているんじゃないんだよ。気配を消したことによって、俺ら人間が認識できなくなるだけなんだ。そこにいるのに、そこにいる存在そのものを認識できない」

「だから、さっきいきなり現れたように見えたんだね」


 日加里蜂は気配を消していたから、風羽はソファーに座って対面を見るまで少女の姿に気づかなかった。突然現れたように見えたのはそのためなのだろう。


「でも、兄さんは見えるんだ」

「俺が持っている異能は、千里眼、だからな。一度視たものなら、遠くにいようと、どこに隠れていようと、それこそ気配を消していても、視ることができるぜ」

「そう、だったね」

「だから風羽のことも、たまに元気にしてるか視ているから、いざとなったら助けに行くぜ」

「いや、それはやめて。なんか怖いし。それに助けが必要だったらこちらから連絡するから、そこまでしてもらわなくてもいい」

「いやいや、弟を助けるのは兄の役目だろ? それだけは、兄として譲れないな」


 真剣な目で言われた。

 風羽は観念して、ため息を吐く。


「ほどほどにね」


 まさか日常が兄に観察されているとは思ってもいなかったが、よく思い出すとこれまでの会話にも、「いつも視てるぞ」的なものが含まれていた気がするので、自分が兄に対して警戒心がなさ過ぎただけなのだろう。これからはなるべく気を付けよう。対策も考えたほうがいいかもしれない。

 千里はこれから依頼人に会う予定があるらしく、話もそこそこに風羽は事務所を後にした。千里が「犯人は絶対に見つけてやるからな!」、と自信満々に口にしていたので、安心できるはずだ。



    ◇◆◇



「で、よかったのかよ、兄者。霧の本当の正体を教えないで」


 結局、「怪盗メロディー」一味には、霧の本当の正体は伝えなかった。穢れ、と伝えれば、あの四人の行動はもっと真剣なものになったのかもしれないが。


「ああ。混乱が起きると、動きにくくなる。あくまでこの霧をおさめるのはついでだ。私たちの今回の目的ではない。あの男――夢幻泡影とか名乗っているネクロマンサーが盗んだを取り戻すのが一番の目的だ」

「まあ、この町に住んでいる能力者たちが死ぬ前に解決すればいいだけだからな。……それで、そのネクロマンサーにはどう対処するんだ?」

「居場所はもう掴んである。あとは、どう攻めるかが問題だ。厄介な結解がある」


 陰陽師である自分たちにも突破するのは難しい結界だと、織武は口にした。

 結界自体を突破するのは容易だ。けれど、それで起こる副作用が面倒だった。

 監視はつけてあるので、あのネクロマンサーが外に出てくるの狙う予定なのだが、引きこもり体質の研究者の男は、なかなか外に出てこない。出てきてもすぐに研究室に戻るので、相対するタイミングを掴めないでいた。ずっと張っているのには、体力も気力も使うし、なによりも霧も面倒だ。結界を貼れば、あっちの能力者に感づかれる可能性もある。


(あの男から目的のもとを奪取して、それからこの霧を収める。まだ、帰るのには時間がかかるな)


 織武は、できることなら早くこの乙木野町を跡にしたかった。長居をすれば、昨日みたいに出会ってはならぬ人物と相対することになるかもしれない。

 青秦が顔を上げる。


「兄者。やつ、動くみたいだぜ」

「ああ、気づいておる」


 ネクロマンサーには複数の監視をつけている。織武だけではなく、青秦の式神にも協力をしてもらっていた。

 町を散策しているのとタイミングを同じにして、あやつが動き出した。三姉妹を連れたネクロマンサーが、研究室の外に出てきたのだ。


くか」

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