(6) 陰陽師、襲来
七星水練は目を覚ますと、ぼんやりとした頭で室内を見渡す。もともと廃墟となっていたアパートの一室を内側だけ改装して住んでいるところである。身の回りの片づけをほとんどしない性格も相成り、室内は到底綺麗とは呼べない状態となっていた。
ベッドがあるにもかかわらず、机の上で伏せって寝ていた水練が、固まった体を解すために大きく伸びをする。
「やっぱ、ちゃんとベッドで寝んとなぁ」
ぐっすり眠れんわ、と自業自得にもかかわらず水練はごちる。
スリープモードになっていたパソコンの電源をいれると、とりあえず水練は顔を洗うことにした。
バシャバシャと適当に水で顔を洗い、ついでにうがいと歯磨きを済ませておく。冷蔵庫を開けると、自らパシリを買って出てくれているヒカリが常備してくれているペットボトルの水を一本取り出して、三分の一ぐらい一気に飲み干す。
寝ている間にどこに水分が消えているのかはわからないが、よほど喉が渇いていたのだろう。水練は「ふぃー」とだらしなく息を吐くと、ペットボトルのキャップをしめて、特等席となっている回転椅子に腰をおろそうとして、すぐにやめた。
周囲の気配を探るように耳をそばだてる。
時計を見ると、まだ昼過ぎで、不登校児である水練とは違ってちゃんと学校に通っているあの三人がやってくる時間には早い。
水練は首を傾げると、小さく呪文を唱えた。
どこからともなく水でできた鞭をだらりと垂らすと、静かにその場に佇む。
「――ッ!」
警戒はしていた。
けれど、相手のスピードがそれを上回っていた。
どこから現れたのかわからない白い蛇が、束縛するように水練の体に巻き付いてくる。
身動きがとれなくなった水練の前に、玄関の扉を開けてひとりの男が現れた。
「話してもらうぞ。麒麟の鱗の
◇◆◇
「水練からの連絡。『重要なことがわかったから、今日授業が終わったらウチにきて』だそうだ」
「重要なこと? 麒麟の鱗を盗んだ真犯人がわかったのかしら」
「とりあえず行くしかねぇよなー」
「……ヒカリ、何であなたがいるの?」
「いやあ、さっき俺も水練から同じメール貰ってさ、唄に教えようと思って追いかけていたら、校門から出たところで風羽と落ち合っているのが見えたから、つい」
何故だかうれしそうに笑うヒカリを、唄は冷ややかな目で見返す。
「とりあえず向かいましょう」
「じゃ、また後で」
早速とばかりひとり歩きだすと、風羽は近くの建物の屋根の上に飛び上がり、そのまま風に乗るように消えて行った。
風羽のうしろ姿を見届けてから、唄は歩きだす。
すると、当然といった顔でヒカリもついてきた。
「一緒に行こうぜ」
「……嫌よ」
「別に校内じゃないからいいだろ? 幼馴染なんだしさ、たまに一緒に下校したって」
「……なら好きにしなさい。話しかけるんじゃないわよ」
「いいのか! よっしゃ!」
ヒカリが嬉しそうにガッツポーズをする。唄はそんなヒカリを無視して、スタスタと歩きだした。
水練が住んでいる、廃墟となっているアパートが見える範囲にやってきた時、突如として上から風羽が降りてきた。まるで飛んでいたかのように見える光景だったが、実際は近くの建物から飛び降りただけだろう。風遣いの風羽は、幻想祭の以前よりも能力の扱いが上手くなっており、最近はよく風に乗って移動することが多くなっている。なにか心境の変化でもあったのかもしれない。
地面に着地した風羽が、メガネの下から周囲を警戒するように見渡しながら、唄に声を掛ける。
「唄。ここから先、結界が張ってあるから気を付けて」
「結界? どうして、こんなところに?」
「どうしてかはわからないけれど、どうやら水練のアパートを囲うように貼ってあるみたいだ。しかも、通常結界にしてはあまりにも強力すぎるし、妙だ。おそらく、僕ら精霊遣いとはまた別の異能力者の仕業だろうね」
人とは違う異能力を持つ者の中には、風羽のように結界を扱えるものがいる。風羽の場合、風の精霊シフルと契約をしているおかげで、精霊の力を借りて結界を張ることができるみたいだが、例外もあるらしい。特に通常結界の場合、使い手により結界の強弱が変わる。
唄はふたつの異能力を持っているけれど、そのふたつとも結界を作るのに適していない能力だった。だから結界に触れれば気配を感じられる程度で、風羽のように結界がどこに張ってあるのか目視できるわけではない。
「水練が張ったというわけではないわよね。いままでこんなことなかったし、そもそも水練は精霊遣いだわ」
水の精霊ウンディーネと契約している水練が結界を張れるのかどうかを唄は知らない。というのも、引きこもり体質である水練はほとんど廃墟アパートから出ることなく、よほどのことがない限り異能力を使おうとはしなかった。光の精霊ルナと契約をしているヒカリも精霊遣いではあるものの集中力が散漫になりやすいヒカリは、結界を張るのに適していなかった。
「ああ。きっと、別の奴だろうね」
「心当たりがあるとすれば」
唄の顔見知りに結界を扱える人物というと、「風林火山」の連中だろうか。四人の内ふたりは精霊遣いで、もうひとりはあの時に能力を失っているらしいので除名しておいてもいいだろう。
残りのひとり――最古と云われている陰陽師の力を操る少年、琥珀。彼は一昨日の夜に重体の身で病院を抜け出して、昨日の夜に見つかったものの、いまもまだ病室で寝ているはずだ。あの体では、能力を使って結界を張ることはできないだろう。それに、いまの「風林火山」が、唄たちに手を出す理由はない。
わからない。
一体、誰が結界を張っているというのだろうか。
真剣な顔つきの風羽が、ボソリと囁く。
「……この結界に似た波動、どこかで感じたことがあるんだけど、よく思い出せないんだ」
「波動って、なんだ?」
ヒカリが尋ねるが、考え込んでいるのか風羽は反応しない。
いきなり風羽が顔を上げた。
「唄!」
焦った顔で、唄の名前を呼ぶ。
すると、同時に唄の背後から聞きなれない声が上がった。
「おいおいおい、そんなところで如何したんだ? 行くなら、早く仲間を助けた方がいいんじゃねぇか?」
煽るような物言いに振り返ると、そこには奇抜な恰好をしている人物がいた。
短い黒髪にはところどころ青色のメッシュを混ぜ込んで、着こんでいる狩衣は洋装を取り入れているのか、和洋折衷のどこか風変りに見える格好をしている、まだ若い男だ。
男は何が楽しいのかニヤニヤとした顔で近づいてくる。
「あなたは、誰?」
警戒を怠ることなく、唄は問いかける。
「俺が、誰、か。くくっ。そんなこと訊くよりも、自分の身を守ることを優先したほうがいいんじゃねぇのか? なあ、怪盗メロディーさんよぉ」
「――ッな」
警戒はしていた。けれど、巻きつかれるまで、その気配を感じなかった。
奇抜な服装の男が、ぼそぼそとなにやら呪文を呟いている。それと連動するように、その青色の蛇は唄の上半身まで這いあがってくると、腕を絡めとるように結びつき、縄となった。
「唄ッ!」
「待て、ヒカリ」
唄を助けようと近寄ったヒカリを、風羽が制する。
男はまだニヤニヤとした顔をしていた。それは唄たちを侮っているというよりも、格下だと確信している笑みだった。
唄は身動きがとれずに、睨みつけるように男を見る。
「どうして、私たちの正体を」
「ははっ。コソ泥なんてなぁ、俺たちの情報網で簡単に見つけられるんだよ。そんなことよりも、教えてもらうぜ。麒麟の鱗がどこにあるのか。その在処をよぉ」
「……知らないと言ったら?」
「あ? そんなの吐くまで丁寧におもてなしをするだけだろぉ?」
「唄に手を出すな!」
小さく呪文を唱えたヒカリが、掌に光輝く杖を持ち、それを男に向ける。
「だから待てって言っただろ、ヒカリ」
「風羽は黙ってろ! 唄が襲われてるんだ。助けるに決まってるだろ!」
「そうだけど」
風羽は若者から視線を逸らし、別方向を見る。
「どうやら敵はひとりじゃないみたいだ」
くすくすっ、と可愛らしい笑い声がした。
「あら、気づかれていましたのね。あたしの出る幕はないかと思いましたが」
動きやすい赤色の着物に身を包んだ少女が、男の後方から現れる。長い黒髪を一つに括り前に垂らしていた髪の毛を、少女は後ろに払うと、どこからか一枚の紙を取り出した。否、それは前に唄たちも見たことがある、式神と呼ばれる呪符の類いだった。
「青兄。どうやら織兄の方も、麒麟の鱗の在処を吐く様子はないようですわ。ここは一度集まってもらいましょう、とのことです」
「あん? 三対一で楽しもうと思ったのによぉ。兄者もせっかちじゃねぇか」
「それにここは結界内ではありませんもの。いつまでも、この毒の霧を浴びるわけにはいきませんわ」
命は惜しいですわよね? と少女のその言葉に、鼻を鳴らしながらも男は頷いた。
「フンッ。まあ、兄者にかかれば、こんな小娘どもなんぞ、相手にもならんだろうしなぁ」
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