(4) 捜索


「琥珀がいなくなった?」


 翌日。廃墟マンションの三階の片隅、水練が住処としている一室に、唄の疑問の声が響いた。ヒカリも驚いた顔をしている。

 情報をもたらした人物である風羽は、軽くため息を吐いた。


「どうらや、兄さんが瓦解陽性と知り合いだったらしくてね……。昨夜、病室から姿を消した琥珀を探して欲しいと、瓦解陽性たち――『風林火山』の三人から依頼があったそうだ」

「……そう。妙なつながりがあったものね。どうして、琥珀は病室から姿を消したのかしら」

「わからないらしい」


 淡々と事情を語る風羽。


「さ、探した方がいいよな!」


 いまにも飛び出していきそうなヒカリを見て止めると、唄は琥珀が消えた疑問より気になっていることを訊く。


「で、どうしてそれを私たちに話すのかしら?」


 風羽の兄――喜多野千里が情報屋を営んでいることは、唄も知っている。

 けれど、そんな情報屋がいくら知り合いからの依頼だからと言って、こうも簡単に弟に依頼内容を話して、その弟があっさりと仲間に話すだろうか?

 守秘義務が第一の情報屋としてはありえないだろう。

 何か理由があるはずだと、唄は思った。


「ああ。実は、この依頼で僕たちにも協力できないかな、と頼まれたんだ」

「協力?」

「うん。しかも、風林火山から直々にだ。どうやらあちらは兄さんと僕の関係もある程度知っているらしくてね。探す人数は多いに越したことないから、僕たちにお願いしてくれって言われたらしい」

「……そう。納得はできたけど」


 それ以上は、唄はわざわざ口にしなかった。


(いま、私たち「怪盗メロディー」がどんな状況になっているか、知っていて言っているのかしら)


 いやもしかしたら、知っているからこそ、なのかもしれない。


 何者かが「怪盗メロディー」という名前を名乗って盗んだ宝石の影響により、現在乙木野町には「異能力者以外に有害となる霧」が蔓延している。唄たちには全く身に覚えのないその事件の所為で、それまで一部で活動を楽観的に騒がれていた「怪盗メロディー」は一気に地に落ちてしまった。唄の両親から譲り受けたその名前を、あまりにもあっさりと汚されてしまった。

 いま唄たちは「怪盗」として活動できないでいる。できることと言えば、水面下で足掻くように「真犯人」を探すことぐらいだろう。


 要するに、いま唄たちは「怪盗」をできずに、ほとんど暇をしている。人探しをする時間ぐらいはある。

 唄は不満を吐きたい気持ちもあったが、押し留めるとまずは目前の問題を解決することにした。


「――けど、どこを探せばいいのかしら? 手掛かりもなしに、あてずっぽうに探しても見つかるとは思わないわ」

「そうだね。けれど、探さなければ見つかるものも見つからないのも確かだ」

「そ、そうだよな! そうと決まれば、すぐに探しに行くぞ!」


 考えたらすぐ行動のヒカリは、いますぐ探しに行きたくってうずうずしている。


「待って。まずは、この周辺にいないかを探りましょう」


 ヒカリを制してから、唄は目を閉じる。

 異能力者には独自の気配があるらしく、ある程度上位の能力をコントロールできる異能力者は、他の異能力者の「気配」を抽象的に感じ取ることができる。

 ヒカリであれば、ピリッとした辛子のような「気配」。

 風羽であれば、真空の風のようなつかみどころのない「気配」。

 水練であれば、氷のように冷たく他者を寄せ付けないような「気配」。

 そして今回、探している人物、琥珀の気配を唄たちは一度だけ感じ取ったことがある。

 闇に染まったような、紫色のにがくるしい――とてもじゃないけれど、唄たちには耐えることのできない重苦しい気配。

 神経を集中させて、もう二度と感じたくないと思った気配を、唄は探した。


 この廃墟マンションの周囲、気配で探れる範囲をくまなく探してみたけれど、あの特殊「気配」は感じられない。気配を押し殺しているわけでもなければ、このマンションの近辺にはいないということだろう。

 唄は目を開くと、ヒカリを見た。


「この周辺にはいないわ。一度、風林火山と連絡を取って、手分けして探しましょう」


 その会話中、水練は話題に興味を見せることなく、ずっとパソコンを弄っていた。



    ◇◆◇



 一方、件の琥珀は、学校の周辺を歩いていた。


 夢の世界の少女からもたらされた情報――「陰陽師」が乙木野町にいるということが本当かはわからないが、それを聞いてしまった琥珀は、夜遅くに目を覚ますとまだうまく能力も使えない身体を無理やり動かして、病衣のまま人目の付かない路地裏を中心に町中を彷徨っていた。

 どこを探せばいいのかはわからない。けれど、探さずにはいられなかった。

 朱音という少女がまた訪ねてくるのを待つという手もあったが、一度姿を見せた彼女が再び琥珀の前に現れるとも思えなかったので、やはり夢の世界の少女の言う通り、自らの足で探すしかなかった。


 疲れた体を、路地の壁に預ける。こんな人のいないところを探していても無意味だとは思っている。けれど病衣姿の自分が大通りを歩いていて騒ぎになるのも面倒だし、人気のない場所ぐらいしか歩き回れるところはない。


(そうだ)


 ほとんど勢いで病院を抜け出してきた琥珀は、なんの書置きも残してこなかった。

 もしかしたら、今頃、琥珀と一緒に暮らしている彼らが琥珀のことを探しているのかもしれない。

 悪いことしたな、と思う。

 不器用だけど琥珀のことを思っているらしい水鶏や、礼亜の婚約者だった強力な火属性の能力を操る陽性はもちろんのこと、もう能力を扱えない白亜を頼るという選択肢もあったというのに、琥珀はそれを選ばなかった。最初から選択肢しか上がっていなかったことを、混ざる思考の中で考える。自分は、彼らと一緒に暮らしていながら、まだ純粋に彼らのことを信頼できていないのかもしれない。


 意識不明の重体で入院していた琥珀は、一週間の長い眠りから一昨日に目覚めた。まだ安静にしている段階で、体の節々が痛むから、リハビリはもとより、外出はできない状態だ。

 そんな琥珀が、昨日の夜から飲まず食わずで町中を歩き回っていたら、とうに限界がくるのも当然だろう。

 朦朧とした意識の琥珀は、目を閉じて、疲れた体を休めるためにいったん寝ようとした。


 その一瞬の睡眠は、近づいてくる足音に邪魔をされる。琥珀は目を開くと、足音の主を見ようとした。その前に、声をかけられる。


「小僧。……こんなところで野垂れ死にする気か?」


 低く、囁くような男性の声だった。

 顔を上げると、その眼光に琥珀の朦朧とした意識は一瞬で覚醒した。


 黒い瞳が琥珀を見ている。動きやすい和装に身を包んだ、長身の男性だ。

 彼は、長い黒髪を一つ白いリボンで結び、後ろに垂らしていた。その髪の毛が、風で弄ばれると同時に放たれた殺気に、琥珀は身動きがとれなくなる。

 異能力者である琥珀にはわかる。この男は、並みの能力者ではない。上位――それも、高く能力を極めたものが持つ、澄んだ気配を持っている。


 男性は、ジッと琥珀を見下ろしている。身の竦むその眼孔から目を逸らしたい衝動を、琥珀は全力で阻止する。

 この男の目から、視線を逸らしてはいけない。そう、心が訴えているのだ。


 しばらく値踏みするかのように琥珀を見下ろしていた男性は、ふいっと顔ごと目を逸らした。遠くを見るように、路地の先に視線を向ける。

 鋭い殺気と緊張感から解放された琥珀は、思わず安堵の息を吐いた。


「そんな体で、こんな人気のないところを歩くべきではない。倒れたら、それこそ野垂れ死にだ」


 ぼそりと呟くと、男性は名乗ることもなく、その場を去っていこうとした。


「お、お前ッ!」


 その背中に、琥珀は無理やり声を張り上げる。


「もし、かして……ッ」


 ジロリと男に睨まれた。その瞬間、琥珀は言葉を紡げなくなる。まるで、それ以上口にするなと、言っているかのようだ。

 再び前を向いた男性は、そのまま下駄の足音を立てて今度こそ姿を消していく。


 見えなくなった後姿を追いかけるのをやめて、琥珀は思わぬ収穫に、はやる心臓をおさめるのに必死になっていた。


(いまの服装……。もしかして)


 似た、匂いを感じた。




 本当に意識を失ってしまったらしい。

 自分の手を握る温かさと共に琥珀は目を覚ますと、白い天井よりも先に自分を見下ろす複数の視線に気づいた。


 ピンク色の髪をツインテールに結った少女が、真っ先に口を開く。


「アンタ、なにしてたのよ」

「まあまあ、水鶏。琥珀もまだ意識を取り戻したばかりなんだよ。質問はあとからにしよう」


 いまにも口調を荒げそうになった山原水鶏を、隣にいる赤髪の青年――瓦解陽性が宥める。水鶏は口を尖らせて、「心配かけんな」とそっぽを向いた。


「琥珀さん。もう、勝手にどこかに出掛けたりしないでください」


 琥珀に温もりを与えるように、琥珀の手を握っていた白髪の女性――山原白亜が真剣な眼差しで言う。

 その瞳に、琥珀は懐かしいを重ねてしまい、思わず顔を逸らした。

 そして、その顔を逸らした先にいた、三人の人物に眉を潜める。


「なんで、貴様らが」


 栗色の髪を三つ編みに結った少女が、ため息を吐く。


「あなたを見つけたのは私たちなのよ。まずは、お礼を言うのが先じゃないかしら」


 黒髪の少年が、メガネの下から前より明るく見える黒い瞳を閉じると、少女の言葉に同意する。


「あと一歩で、君は野垂れ死にするところだったんだよ」


 そして、最後のひとり。いやに明るくテンションの高い、毛先のはねた茶髪の少年が、琥珀のベッドに近づいてきた。


「でも無事でよかったぜ! 気を失ったお前を見つけたとき、ほんとヒヤヒヤもんだったんだぜ」


 そんな三人を一瞥すると、琥珀はボソリとごちた。


「……余計なお世話だ」

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