(3) 夢の世界の少女

 赤色の髪の毛が、目の前を舞っていた。

 気づいたら傍にいた少女の掌と、自分の掌が合わさって、指が絡まる。

 目を合わせると、その真紅の瞳が輝くように揺れた。

 まだ幼い少女だ。楓花ふうかよりは年上だろうけど、きっとまだ中学生にはなっていない。

 それなのに真紅の瞳は、子供には似つかわしい色っぽさを湛えているように思える。

 その瞳は、確かに優真を見ていた。

 少女の口が、小さく動く。

 見つけましたわ――と。



 寝ていたようだ。窓から侵入してきている陽の光が、灰色優真はいいろゆうまの顔を照らしている。

 ソファーから体を起こすと、近くから声が聞こえてきた。


「優真おにいちゃん。おはよー」


 楓花だ。優真のボサボサの茶髪とは違い、綺麗なストレートな金髪碧眼の少女は、優真の妹のような存在だった。

 部屋の中を見渡すと、もうひとりの姿は見当たらなかった。英は曲がりなりにもいまも探偵業を続けているため、この時間は仕事しているのだろう。たしか最近は、乙木野町に起こった霧の原因の捜査をしているとか。

 どちらにしても、優真には関係ないことだ。楓花が能力者ではないため乙木野町の隣町にホテルを借りて暮しているのだが、最近退屈ではなくなってきた学校に通えないのは少し寂しい気がするけれど、こうして楓花の遊び相手をできるのはうれしいことだった。


 ひとりでテレビを見ていた楓花が、優真のもとまで絵本を持ってやってくる。

 絵本を読んで、ということだろう。楓花は物語が好きだ。特に誰かに朗読してもらうのが、好きだと言っていた。

 机の上に絵本を広げた段階で、扉が開く音がした。


「おかえり、おとうさん!」


 いち早く楓花が反応して、玄関口に駆けていく。


「ただいま、楓花。優真も」

「……おかえり」


 優真もぼそりと、言っておいた。それぐらいは良いだろう。血は繋がっていなくとも、家族なのだから。

 けれど、このとき優真は英が地獄耳なのを一瞬だけ忘れていた。

 耳ざとく優真の言葉を聞きつけた英が、楓花の頭を撫でる手を止めて、驚いたように優真に目を向けた。


「優真。いまなんて言ったんだい!?」

「なんでもねぇよ」

「なんでもなくないよね? よく聞こえなかったからもう一度言って欲しいなぁ」

「うるせぇ、ハゲ」

「……ごめんね、楓花。優真いま不機嫌みたいだから、僕が絵本を読んであげよう」


 しくしくと悲しそうな顔になる英。


「あ? いま、オレが楓花に絵本を読んでんだよ。邪魔すんな」


 そのわざとらしい姿にいらっとした優真は、英を睨みつける。

 二人の顔を見渡して、愛嬌の良い無邪気な笑みを浮かべた楓花が、ふたりの手を掴んだ。


「じゃあ、おとうさんと、優真おにいちゃん。ふたりに、絵本をよんでもらう!」


 舌っ足らずな声でそんなことを言われたら、ひねくれた優真も頷くしかなかった。



「なぜ、おおかみさんのお口は大きいの?」

 と低く棒読みの赤ずきんの言葉に、

「それはね、おまえを食べるためだよ!」

 とやけに抑揚の付いた男の声が続く。


 そんな午後七時。

 絵本の朗読は、楓花のお腹が「ぐぅ」と鳴ったことにより一段落を終えた。

 やけに緊張していた優真は、思わずため息を吐く。


「夕飯は、今日も外食か?」

「そうだね。僕も優真も料理はできないし、ここはホテルで調理器具もないからね。楓花は、どこに行きたいんだい?」

「うーん」


 うーんと悩む仕草まで愛らしい。


「ふぁみれす!」

「よし、じゃあ今日もファミレスにしよう!」

「……またかよ」


 楓花に聞えないように、優真は呟く。ファミレスが嫌いというわけではないが、こうも毎日のように同じお店でご飯を食べるのは、気が退ける。たまには別の店に食べに行かないと、そろそろ味にも飽きがくることだろう。

 けれど、楓花がファミレスを選ぶ理由を優真は知っているので、横やりを入れる気にはなれなかった。


(まあ、飽きたときに考えりゃいいな)


 ふと顔を上げると、英が訳知り顔でニヤニヤとしていたので、思いっきりに睨みつけた。



    ◇◆◇



 病院のベッドの上で、琥珀もまた夢を見ていた。

 夢の中で、琥珀は暗闇の中にいた。

 周囲の暗闇に、ノイズが奔り、白いウィンドウのような画面が現れる。

 それを、琥珀はただ観ていた。

 白い画面に映る光景を、琥珀はすべて知っている。

 それは琥珀の過去だった。


 ちょうどいまの季節。秋から冬に移ろう、昼夜の気温差が大きい十一月のある日。まだ産まれて間もない赤子だった琥珀は、児童養護施設の前に置き去りにされていた。捨てられたのだ。赤子と一緒に、一通の手紙が置いてかれていたらしいのだが、いくら琥珀が強請ねだっても、施設の職員は見せてくれなかった。


 ふと、琥珀は施設での孤独だった思い出映像を眺めながら、その手紙のことを思い出す。

 赤子だった琥珀と一緒に置かれていた手紙ということは、それはもしかしたら琥珀の家族からの手紙なのかもしれない。どうして琥珀を捨てることになったのか。どうして琥珀は捨てられたのか。その答えが、そこに載っているのかもしれない。

 もう十五歳になった琥珀には関係ないことなのに。十五年という歳月は、子供中ではとても大きいことだから。

 それなのに手紙の内容がなんだったのか、ふと考えてしまう。

 過去はもう戻ってこない。赤子のときに施設の前に置いてきぼりにされたという出来事は、琥珀の中では捨てられたという事実になっている。

 やはり事実は、そうなのだろう。琥珀は捨てられたのだ。もし琥珀を預けるだけなら、いちいち夜に施設の前に置き去りにする必要はない。きちんと手続きをとれば、児童養護施設で暮らすことはできるのだから。まるで隠すかのように置き去りにされていた琥珀は、家族から捨てられたのだろう。

 そんなこと、もうわかりきっていることなのに。

 いまになって、また手紙の内容が気になり始めている。

 それはもしかしたら、いや確実に、昨日目を覚ましたときに会った少女が原因だろう。

 琥珀を「お兄さま」と呼んだ、少女。

 琥珀を知っているらしい、少女。

 朱音。

 彼女は、本当に、自分の妹なのだろうか。

 本当の家族なんて全く知らない琥珀の、本当の妹なのだろうか。

 気にならないといえば嘘になる。

 琥珀は、まだ十五歳の子供なのだから。本当の家族に、言いたいことの一つや二つ、抱えていたっておかしくはない。

 考え込んでいた琥珀は、声をかけられるまで、目の前に綺麗な赤色の髪の少女がいることに気づかなかった。


「まあ、悲しいがあるから帰り道にお邪魔しましたら、どこかで見たことがある方に会いましたわ」


 流暢な言葉遣いで、コロコロと笑う少女に、琥珀は全く見覚えがない

 はじめて会う少女に、琥珀は眉を潜める。

 腰ほどまで伸びた驚くほど艶の溢れた赤色の髪の毛に、更に可憐さを上乗せするかのような派手過ぎない愛らしいデザインのワンピースを着た少女は、瞼を閉じると、再び目を開けた。


「そう、なのですね。あなたもまた、数奇な運命を辿っていらっしゃるようですわ」


 十二歳程の少女だろうか。琥珀を兄と慕った少女と同じぐらいに見える。


「さぞかし、淋しかったのでしょうね」


 そのはずなのに、どこか年上に思える色っぽさを湛えた瞳に、悲しげに垂れる眉。

 琥珀は、いきなり自分の前に現れた見知らぬ少女に対して、警戒心を抱くことができなかった。

 どちらかというと、礼亜に似ている。施設を逃げ出して、公園で居場所なくブランコに座っていた琥珀を自分の家に連れ帰って、はじめて「家族」だと認めてくれた、黒髪が綺麗な女性。そんな大人の女性に似た、温かく包容力のある微笑みに、琥珀はすっかり弱くなっていたらしい。

 癇癪を起こすことも、訝しむこともなく、少女の言葉に簡単に頷いてしまっていた。

 一ヶ月ほど前、琥珀を家族だと認めてくれた女性――|白銀礼亜は、彼の前でこの世からいなくなってしまった。

 それを簡単に受け入れられるほど、琥珀はまだ大人ではない。

 よく思い出しては、言いようの知れない淋しさに、悲しくなることの方が多い。

 いまも、礼亜のことを思い出している。

 家族への手掛かりとなる、内容の知らない手紙。

 それから、もう会うことは叶わない、琥珀が大好きだった礼亜。

 琥珀は、知らないうちに涙を流していた。


「そう、悲しいですわね。知りたいですわね。会いたいですわね」


 まるで歌うように、少女が言う。

 突然、少女は琥珀の耳元に口を近づける。その口は、琥珀には見えなかったが、楽しそうに歪んでいた。


「これは他言無用の話なのですが。乙木野町に、?」

「――ッ!」


 咄嗟に、言葉は出てこなかった。

 どうして、なんで、そんなこと知っている。どうして、ボクが陰陽師だって、知っているんだ。――声にならない疑問が、一瞬で頭の中を駆け巡る。


 綺麗な長い赤色の髪の少女は、コロコロと笑った。


「はぐれ陰陽師さん。知りたいことがあるのなら、自分で調べるのが一番ですわよ?」

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