(4) 辟易とする

 朱音は、古い能力者の血筋の産まれだった。その血筋は、ある時を境に公から隠されているため、その血筋が今もなお、この世のどこかで暮らしていることを知っているものは、ほんの一握りしかいないだろう。当事者の朱音はそのひとりだ。

 朱音が乙木野町にやってきたのは、ちょうど幻想学園で行われていた「幻想祭」の前日。兄のでこの町にやってきた。その仕事内容について朱音は承知しており、その仕事を遂行するために朱音の力と、もう一人の兄の力が必要だということも心得ている。

 けれど、まあ。仕事には二人の兄が当たっているため、今のところ朱音の出番はなかった。それを良いことに、今日みたいに朱音は暇を見つけては散歩に出かけている。


 古い民家。どうやら兄の知り合いの能力者の実家だったらしいのだけど、もう何年も使われていなかった廊下の片隅に埃が積もった家。この町の滞在する間、兄妹三人で暮すのには十分の広さがあるその家の廊下を、朱音は鼻歌を歌いながら歩いていた。

 実は朱音はここ数日、散歩の途中にちょっと冒険をしていた。

 冒険というのは、この町の大きな病院に入院中の人物の病室に忍び込むことだった。朱音が一方的に知っているだけで、相手はこちらのことを認識すらしていないだろうが、どうせ一週間という長い間昏睡状態に陥っていたので、こちらの存在を知られる恐れはない。

 と、そう思っていたのだけど、今日たまたまその人物が目を覚ましてしまった。驚いたものの、自分の存在を知ってもらういい機会だと思った朱音は、名字を伏せて自らの名前を名乗ることにした。果たして、彼は自分の名前をちゃんと覚えてくれたのだろうか?


 朱音は今、とても気分がよかった。

 鼻歌を歌いながらスキップしたっていい。


 ガラリと、横の扉が開く。

 朱音の上の兄が姿を現した。てっきりまだどこかに出かけていると思った朱音は、片足を上げた状態で固まる。はしたない姿を見られてしまった。


「どこに行っておった、朱音」

「あら、織兄しきにい。帰っていらしたの?」


 上の兄――織武しきぶの問いに答えることなく、ちょっと頬を染めた朱音は、コホンと咳をして姿勢を正す。


「……調査はもうすぐ終いだ」

「ということは、青兄あおにいも?」

青秦せいじんは、お前以上に奔放だからな。今日の用事が終わったら、どこかに出掛けた。行先は知らぬ」

「そうなのですか」

「で、朱音。どこに出掛けていた?」

「ただの散歩ですわ。本当ですのよ? せっかく別の町にやってきたのですから、観光したいじゃありませんか。ね?」


 同意を促すと、なぜかため息を吐かれてしまった。

 そのタイミングで朱音は気づく。識武がとても疲れた顔をしていることに。


「もしかして織兄、お休みの途中でしたか? 起こしてしまったのであれば、申し訳ないのですわ」

「いや。丁度帰ってきたところだ」

「なら、しっかりとお休みになるといいのですわ」

「そうもいかん。確かに調査はほとんど終わりを告げているが、この町にやってきてから新たな問題も生まれた。それに、がどれだけ関わっているのかは知らぬが、いまのこの町の状態を放ってはおけぬだろう?」

「それもそうですわね」


 乙木野町は、ここ数日ですっかり姿を変えてしまった。

 いま町全体に、薄い霧がわだかまりを作っている。その霧は、どうやら能力者以外の人間には害になる産物らしく、朱音たち兄妹には害がないことは幸運だろう。

 そしてその霧を発生させた犯人も、もうわかっている。

 『怪盗メロディー』。数十年前からこの町を中心に、賑わせている怪盗だ。

 それまでただ物語のように持て囃されていた怪盗も、今回の事件により、その存在はこれまで以上に危険視されるようになった。それまで酒の肴のように人々の道楽の一つになっていた怪盗は、いまでは立派な犯罪者だ。いや、もともと泥棒ではあるのだが。


 兄は、仕事とは別にその怪盗についても調べている。

 兄曰く、どうやら仕事で追っていると関わりがあるのではないかと疑っているみたいだ。少しでも気になることがあるなら明かさねば気か済まない。兄らしいといえば兄らしいのだが、その探究心に朱音は少し嘆息してしまう。


(これじゃあ、あたしの自由時間が減ってしまうではありませんか)


 散歩の時間が減るのは嫌だなぁ。と思ったが、口に出しはしない。


「私はこれから別の調査に赴く。お前も散歩するのは結構だが、家名に泥を塗るような真似は、控えるのだぞ」

「もちろんですわぁ」


 ふんわりと可憐な笑みを浮かべると、朱音はその場を後にした。

 暫くして兄の視線が自分から逸らされたのを感じとると、今度は声に出して嘆息する。


(いつも家名、家名って。口すっぱく言わなくてもよろしいのに)


 織武が口癖のように言うその言葉は、いつも朱音を辟易とさせる。

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