(3) 兄と慕う少女

 目を開くと、そこには見知らぬ少女がいた。

 長い長い黒髪は肩から前に垂れて、腰ほどまで艶めかしく伸びている。ぱっちりとした二重に、穏やかな表情。反面、その丸い瞳からは、勝気な笑みな覗いている。


 病室のベッドに横たわる、十五歳の少年――琥珀こはくは、その少女を見つけた瞬間、思わず目を疑った。

 琥珀とさほど歳が離れていない少女は、琥珀より年下だろう。

 見覚えがない。その美しいともいえる風貌は、一度見たら忘れられない魅力が秘められているのに、琥珀の記憶のどこを探っても見たことのない顔だった。そのはずなのに、どこかで見たことのあるような既視感を思わせてくる。


 体を起こそうとすると、全身を何かに打ちつけられるような激痛が奔り、身悶える。

 深呼吸をしながら落ち着けると、痛みも少しずつ引いていく。気持ちを落ち着けてから、琥珀は目線を少女に向ける。

 まるでずっと言葉を喋っていなかったように、琥珀の喉は粘り張りつき、思い通りの声が出てこなかった。かすれた低い声で、少女を半ば睨みつけながら、名前を問いかける。


「……き、貴様は、誰だ?」

「あらあら。。そんな敵意剥きだして興奮なされては、お体に触りますわよ。ほら、落ち着いてくださいまし」


 そっと、手を掴まれる。振り解く力が湧かずに、琥珀は灰色の瞳で少女の瞳を睨みつける。


「……いいから、答えろ」

「ええ。もちろんですわ。あたしの名前は、きちんと申します。――あとで、ですけれども」


 うふふ、と少女が年齢に負けない無邪気な顔で微笑んだ。

 とうとう、琥珀は話す気力を失った。少女から敵対心が伺えなかったからだろう。

 ただ、静かにベッドに横たわりながら、天井を見上げて、どうして自分は病室のベッドに寝ているのだろうかと考える。しかも、頭も腕も足も包帯だらけで、明らかなる重症だった。


 自分の誕生日。開催日の重なった幻想祭に、白亜はくあを誘ったことは覚えている。陽性ようせい水鶏くいなも含めた四人で露店や店を回ったことも。白亜が嬉しそうにはしゃぐ姿も。

 そのあとのことを考えようとすると、頭の片隅がズキッと痛む。

 うっすらとだが思い出せる。


 琥珀には、一ヶ月ほどだが一緒に暮らしていた女性がいた。その女性――白銀礼亜しろがねれいあは不運な事故でこの世からいなくなってしまったが、礼亜の面影を宿している白亜のことも、礼亜ほどではないが琥珀は慕っていた。白亜が喜んでくれている。それが嬉しくて、学校でほとんど笑顔を見せることなく黙々と勉学に励んでいた琥珀は、はじめて学校で笑顔を振りまいていた。同級生に奇異な目で見られたりしたが、そんなこと気にならないぐらい、琥珀もはしゃいでいた。


 そんな時だ。首筋に微かな痛みを発する視線を感じたのだ。

 気のせいだと思った。けれど確かにその視線は、琥珀に敵意をもって向けられている。

 琥珀はお手洗いに行く口実を作って白亜たちの傍を離れると、その視線に誘われるように近づいて行った。

 校舎裏。幻想祭の陽気な雰囲気からかけ離れた、静かなる場所。


『ふんっ。楽しそうだなァ、鬼っころ』


 琥珀は、背後から何者かに声をかけられると共に、全身に激痛が奔り、抵抗する間もなくその場に倒れて気を失った。

 そして気づいたら病院のベッドの上である。

 自分は一体誰に襲われたのか。それすらも分からないまま、琥珀はいまベッドの上で寝転がっている。

 少なくともこの少女は違うだろう。あの時聞こえてきた声は、確実に男性のものだったのだから。


(なんて言ってたっけ)


 思い出そうとする。確か、気を失う直前にも、男性は何かを言っていた気がする。


『……てめぇが、俺様の……』


 その先が思い出せない。なにか衝撃的な言葉だと記憶している。そのあと気を失った影響もあり、忘れてしまったみたいだ。

 琥珀の思考が一周するのを見計らっていたのか、少女が再び話しかけてくる。


「お体に触りますわ、お兄様?」

「……ボクに、妹はいない……」


 そのはずだ。琥珀は産まれて間もない頃に児童養護施設の前に捨てられていた孤児。そんな自分を「お兄様」と呼んで慕ってくる「妹」などいるはずがない。

 すると、少女は少し悲しそうに眉を寄せて、小さく息を吐いた。


「……お兄様は知らなくても、あたしは知っていますわ。まだ母様が元気だったころ、お兄様のお話しをお聞きしましたから。……一人で、さぞかし寂しかったことでしょう。珀兄。……あたしたちの兄弟を名乗ることはあなたにはできませんが、それでもあたしは。……いえいえ、これ以上お話ししてしまうと、織兄に叱られてしまいますわぁ。今日はこれまで。あなたは、あたしとは無関係の、赤の他人なのですから」


 そっと額を撫でられる。

 言い返したいことはたくさんあったが、急激に眠気が襲ってくる。それに抵抗しようと、うとうとする瞼をこじ開けようとしたが、虚しくも負けた瞼は下がってしまった。


「あらあら。あたしとしたことが、名乗るのを忘れておりましたわ。名字は伏せて、朱音あかねと申します」


 微かに聞こえてきた名前は、やはり聞き覚えがなかった。



 再び目を開くと、そこに少女の姿はなく、代わりに三人の男女の姿があった。

 一緒に暮らしている、瓦解陽性がかいようせい山原水鶏やまはらくいな。それから水鶏の姉、山原白亜やまはらはくあの三人だ。

 目を覚ますのにいち早く気づいた水鶏が、名前を呼ぶ。


「琥珀!」


 続けて、陽性と心配そうな眼差しの白亜に名前を呼ばれた。


「琥珀」

「琥珀さん! 一週間も寝ていて、心配しました」

「……ボク、そんなにも寝ていたんだな……」


 どおりで頭が痛いわけだ。体が強張っているからか、うまく動けない。無理に動こうとすると、節々が悲鳴を上げて、痛む。

 天井を見上げる。

 いったいあの少女は何だったのだろうか。自分を兄だと慕ったくせに、赤の他人だといっていた少女。名前は、確か朱音だったか。

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