(2) 夢幻泡影という男
彼の生まれは、いたって平凡な家庭だった。夫婦は円満で、家族仲も大して悪くはない。
一つだけ他の家庭と違うところがあるといえば、能力を持たない両親から、人とは違う異能と呼ばれる能力を持って彼が生まれてきたことだろうか。
両親は生まれてきた彼のことを、疎み恐れることなく、平凡な愛情を注いで育ててくれた。彼も、平凡にその愛情を受けて育ってきた。
そんな彼を他と違うとたらしめるものといえば、やはり彼が生まれながらにして持っていた異能であろう。
彼は、幼いころから能力を持っているという自覚があった。
けれどそれが何なのか、いまいち理解することができていなかった。
なぜなら彼の能力は、ある特異な条件下でしか扱うことのできない能力だったからである。
中学一年生のある日、彼は近所の飼い猫の死をその眼で見た。
車に撥ねられたのだろう、血だまりの中息をすることなく死んでいた猫の体に、彼はそっと触れた。その時に気づいた。
彼はそれから自分の能力について研究をし、やはり自分は人とは違う特異な人間なんだということを、異能力者なんだとうことを、本当の意味で自覚することができた。
だからといって、彼の日常がそれから大きく変わったというわけではない。
彼はそれまでと変わらず、平凡な日常で、平凡に学校に溶けこみ、人とは違う能力をその手に秘めながら生活をしてきた。
いや、一つだけ変わったことがあった。
それは、彼の趣味が、到底人に話せるものではなくなったというものである。
彼は、その時から、死体に興味を持ち始めた。
平凡な名前をどこかに置いた
「ふむ。決めたのだよ」
「なんでございましょうカ、主様」
泡影の言葉にいち早く反応したのは、十二歳程の幼い少女だった。腰ほどまで伸ばした赤色の髪の少女は、片目を黒い眼帯で覆っていた。フリルのあしらわれた優雅なワンピースは、その美貌も相成り、人形のような可憐さを醸し出している。
「ふふん。ワタシはね、あれから考えたのだよ。お前たちに名前を付けるかどうかをね」
数日前、去り際に道化師から掛けられた言葉の意味を、泡影はここ数日考えていた。
泡影にとっての名前とは、自分を自分たらしめるものだった。
夢幻泡影というのは、本名ではない。本名はきちんと覚えているが、特別愛着を持っているわけではなく、別の名前を名乗るのになんら躊躇いはなかった。
夢幻泡影は、いわゆる研究者名――芸能人でいうところの芸名や、作家でいうところのペンネームのようなものだ。
偽る名前とはまた違い、この名前は、泡影を人とは違う異能とおかしな趣味を持つ変人から、人とは違う異能と類い希なる才能に満ち溢れた研究者――
「まあ、ワタクシたちに、名前を付けてくださるのですカ?」
「ふふん、実はな、もう考えてあるのだよ」
「何でござイましょうカ」
自信満々な笑みを浮かべる泡影に、他の二人も気づいて傍に寄ってくる。
「アタシ、腹減った、ゾ」
「次女は食い意地張りスぎ」
青空のように澄みわたる長い髪を片サイドでアップに結んだ、肩や谷間、長い足などを隠すことなく露出の多いゴシックロリータの服装で着飾った少女が、お腹をさする。
隣にいる、十五歳程の少女が、侍女に咎めるような顔を向ける。その顔はのっぺりとした白い仮面で覆われていて表情が伺えないが、もし彼女が仮面をつけていないのであれば、咎めるような視線をしていたことだろう。邪魔にならない程度に肩ほどで切りそろえられた黄色い髪に、カジュアルで動きやすい服装の少女は、のっぺりとした仮面を伺うように泡影に向けた。
やっと三人の視線が自分に向いたのと、これから自分の素晴らしいネーミングセンスを披露できるうれしさから湧き上がってくる高揚感により、泡影はますます楽しそうな笑みを深めるのだった。
「まずは、長女。お前は、
指を指された赤い髪の少女は、「まあ」と頬を朱色に染める。
「そして、次女。お前の名前は、
続いて指を指された青空色の髪の少女は、「うえ?」ととぼけた声を上げた。
「最後に、三女。お前は、
最後に指を指されたのっぺりとした仮面をつけた黄色い髪の少女が、こくんと頷く。
ふふんと、腕まで組んで自己満悦に浸る泡影に、他の三人はそれぞれの反応を見せた。
「迷夢。うふふ、素晴らしイ名前、ありがとうございマす。主さまぁ!」
「ふぁ、ファントム……。まぼろしという読みのほうがいいのだゾ……。でも主さまが気にいっているノなら、我慢するのだゾ……」
「泡沫。ウタカタ。ありがとウ、主さま」
かくして、ちょっと変わった三姉妹の名前がここに決まった。
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