第一曲 名前という自己証明

(1) 乙木野町に漂う霧

 校門を出ると、野崎唄のざきうたは、家に帰る道ではなく、別の道を歩き始めた。


 空を見上げる。 

 朝方の天気予報では、一日中晴れだと言っていた。そのはずなのに、澄み渡っているはずの空には、薄い霧がわだかまっている。

 幻想学園で行われた、幻想祭から数日後。乙木野町は、突如現れた霧により覆われた。あれから霧が晴れたことはない。


 その霧の正体を、能力者である唄は知っている。この乙木野町に住んでいるのはほとんどが能力者なので、この町に住む者であれば知らないはずがないだろう。

 薄くわだかまる霧は、能力を持たない普通の人間に対しては毒となる。

 だから現在、乙木野町にいるのは、幻想学園に通う生徒を初めとした、異能力者以外いなかった。異能力者以外の者は、町の外に避難している。


 この霧は、遥か昔からこの町に存在したらしい。

 それなのにいままで霧が現れずに、能力を持たない人間も暮すことができたのには理由があった。

 世界的に有名な、骨董収集家の佐久間美鈴。彼女が所有する、宝物庫となっている洋館が乙木野町にある。その外観が白いことから『白い園』と呼ばれている洋館に、とある宝石が展示されていた。

 『麒麟の鱗』と呼ばれる水晶である。

 その水晶には、霧を封印する力があるらしく、能力を持たない人間に対して毒になるこの霧は『麒麟の鱗』により封印されていた。


 けれど、十一月七日から八日に日付が替わった境目の時。

 『白い園』から、『麒麟の鱗』が何者かに盗まれてしまった。



 犯人は、わかっている。というより、犯人は駆け付けた警備員に自ら名乗ったという。

 ――『怪盗メロディー』、と。


「馬鹿みたい」


 悪態をつくように、唄は呟く。


 彼女は知っている。

 『怪盗メロディー』が、水晶を盗んでいないことを。

 他ならない彼女だからこそ、知っていた。

 なぜなら『怪盗メロディー』とは――


「よう、唄! いまから水練のとこに行くのか?」


 背後から、唄に声をかける元気な声があった。

 足を止めると、視線だけで振り返る。

 毛先のはねた茶髪の、唄より少し背の低い男子生徒がそこにいた。

 にひひと笑う中澤なかざわヒカリを黙殺すると、唄は歩みを再開した。


「え、て、なんで無視するんだよぉー。もう学校から結構離れてるから、俺と話しても大丈夫だよな? な?」

「うるさい」


 一蹴すると、項垂れたヒカリは静かになった。

 しばらく足音だけが響く。

 あ、と思い出したかのように、ヒカリが声を上げた。


「そうだ。水練に買い物頼まれてたんだったッ! 俺、ちょっとコンビニ行ってくる」

「水練のパシリだなんて、あなたも大変ね」

「俺が買い物してやらねぇと、あいつ引きこもりで外でねぇから、仕方ねぇんだよー」

「そう」


 じゃあまたな、とヒカリが笑顔で走り去っていく。

 唄はそちらを見ることなく、目的地に向かった。


 数分後、目的地にたどり着くと、唄は錆びてギイギイいう階段を上る。

 廃墟となっているこのマンションの階段は、いまにも崩れそうなほど危なげな声を上げていた。それを気にすることなく、唄は静かな足取りで昇って行く。

 三階の片隅。そこだけ妙に生活感のある扉をしばらく眺めると、唄はノブを掴んで扉を開く。

 玄関に入って前を向けば、必然と一人の人物を見つけることになる。奥まで筒抜けとなっているからだろう。


 回転椅子に腰を掛けて、パソコン画面を楽しそうに見ている少女に近づいていく。

 回転椅子をくるりとしたことにより、水色の髪の毛が宙に浮く。透き通るような水色の瞳が、入ってきた唄を見つけて、さくら色の唇が面白そうにほころんだ。黒いシンプルなワンピースの上から白衣を纏った、美少女といっても過言ではない少女――七星水練しちせいすいれんが、ニヤニヤとした視線を唄ではなく壁際に向けた。


「なんや、風羽の言った通り、先に唄が来たんやなぁ」

「……ヒカリじゃなくて残念かい?」

「そういう意味じゃない」


 水練は笑みを消すと、面白くなさそうに口を尖らせる。

 唄はそんな水練から視線を逸らし、壁際を見た。

 そこには幻想学園の冬服に身を包み、壁に背を預けている男子生徒がいた。ヒカリより身長は高く、百七十センチは超えているだろう。黒髪に、イケメンと言っても過言ではない顔立ちに、黒い眼鏡をかけている少年――喜多野風羽きたのふうは、唄を見て少し微笑む。


「ヒカリは一緒じゃなかったんだね」

「途中までは何故か一緒にいたけど、あいつならコンビニに走っていったわ。もうすぐ来るんじゃないかしら」

「ああ、睡蓮のパシリか」


 納得したように風羽が頷く。

 水練が少し眉を潜めた。


「あんた、絶対あたしのこと、水練じゃなくって睡蓮て呼んでいるやろ」

「事実、君の本名は七星水練ではなく、七ッ星睡蓮ななつぼしすいれんだろ。何もおかしくないんじゃないかな? 読みは同じだし」

「ほんと、あんたの皮肉屋なとこ、嫌いやわ」


 水練が方言交じりに吐き捨てる。

 それから少しして、ヒカリもやってきた。

 コンビニ袋を片手に、ヒカリはにひひと笑う。


「今日もみんな揃ってるな!」


 嬉しそうなヒカリに、水練が冷たく言う。


「あんたはおらんでもいいけどなぁ」

「なんでだよ! 俺も仲間だろぉ! なぁ、唄ぁー!」

「うるさい」


 本当にうるさいので唄がそう言えば、ヒカリは頭を抱えて大人しくなった。


「さて、本題に移ろうか」


 何事もなかったかのように、風羽が話題を移す。

 唄は頷いた。


「水練、進歩はどうだい」

「んー。ぼちぼち、と言ったところやなぁー。調べても調べても、情報はそんなに出てこんのよー」

「少しでも何かわかったことがあるのなら、教えてちょうだい」


 回転椅子をくるりと回しパソコンに向き直った水練に、唄は言う。

 その瞳は真剣そのものだった。


「なら言うけど、きっと唄も知ってることだよ。――『麒麟の鱗』を盗んだ人物は黒ずくめで全身を覆っていて、警備員もその顔は確認できていない。声もヘリウムガスを吸ったかのように人間離れしていたらしいから、男か女かもわからない。けれど、その犯人は、こう名乗ったらしい。自分のことを『怪盗メロディー』って」

「違うわ」


 思わず唄は言った。言わずにいられなかった。

 唄は、『怪盗メロディー』が『麒麟の鱗』を盗んでいないということを知っている、数少ない乙木野町の住人である。ヒカリも風羽も、もちろん水練も『麒麟の鱗』を盗んだのが『怪盗メロディー』ではないということを知っている。


 なぜなら、乙木野町を中心に賑わせている『怪盗メロディー』の正体は、野崎唄自身だからだ。ヒカリと風羽と水連は、唄の仲間である。

 いま町を覆っている霧は、『怪盗メロディー』を語ったかの仕業だった。


 唄たちは、ここ数日で、その犯人が何者なのかを探っている最中だった。

 『怪盗メロディー』に、怪盗らしからぬ汚名を着せてきた犯人を、このまま野放しにしておけるわけがない。


 唄たちは、ここ数日探っている。

 犯人が誰なのか。その正体を暴いて、懲らしめるために。

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