永遠に響くレクイエム

槙村まき

序曲

 乙木野町の外れに、大きな館があった。

 世界的にも有名な骨董収集家、佐久間美鈴の所有する『白い園』と真反対な、黒で統一されたその館は、その見た目の不気味さから『黒き洋館』と呼ばれている。

 常に明りの灯ることのないその洋館の周りはうっそうと茂る木々に覆われており、実際にその姿を目の当たりにしたものはほとんどおらず、幽霊が住み着いている館と、周囲の人間は忌み嫌って恐れていた。たまに好奇心に駆られた若者が肝試しがてら木々の間に入っていくことがあるものの、一分も経たずに悲鳴と共に林から出てくれば、一晩中ガタガタとベッドに蹲るという。そんな彼らは、朝になると「なにも覚えていない」と憑き物が取れた顔で首を傾げ、呆けた顔になる。

 だから。

 街の人々は誰も知らない。

 その『黒き洋館』で、舞踏会が開かれていることを。

 毎月、七の付く日。

 その洋館で、異能を持たざる人間は参加することのできない、裏の『仮面舞踏会』が開かれているということを。


 十一月七日。幻想学園の、幻想祭二日目の夜も二十三時が過ぎた時のことである。

 今月も、今日とて。

 異能を持つ人々が、様々な趣の仮面で顔を隠し、舞踏会を満喫していた。


 因みにこの館、持ち主は――。



    ◇◆◇



「今日は、また一段と沢山の人がいるね。これも、幻想祭の影響かな。県外や他の地域からのお客さんもいるみたいだからね。ね、夜名チャン。それ飲まないの?」


 桜色の髪毛を一つに結び前に垂らした、女性のように整った顔をしている黒いタキシードを着こなした男が、隣で静かに佇んでいるパンツスーツ姿の女性に声をかける。

 後ろでふんわりと黒髪を結んだ女性――夜名よなは、その声を無視して、口をつけていないワイングラスを近くのテーブルの上に置く。


 赤くシンプルな仮面を付けている影響か、普段から能面の顔を崩すことのない夜名が何を考えているのか、一緒に居る男はよくわからなかった。

 派手な仮面で顔を隠した男――咲良さくらは、軽くため息をつくと、ワイングラスを傾けて口に含むみ、口についた赤いのを唇で舐めとった。

 それから、一人で楽しそうに口を開く。


「ふむ。このワインも中々だね。さすが、の隠れ家、と言ったところかな。――で、その先生はどこに行ったんだろうね」

「あちらに」


 淡々と、夜名が顔を右側に向ける。

 視線の先では、二人の人物が会話をしていた。

 咲良は、自然を装ってこそっと近づいて行く。


 赤い鼻のピエロを思わせる白い仮面をつけた人物が、ゾンビのようなグロテスクな仮面をつけた白衣を纏った男と会話をしている。ゾンビの仮面の人物は正装をしておらず、ただいつものように部屋着の上から白衣を纏っているだけのようだ。


「その仮面は、いつもの如く手作りなのかい?」

「ふんっ。なんでワタシが、他人が作ったつまらないものを、身につけなければならないのだね? 当たり前だろう」

「ふふ、それでこそ、君だね」

「ふんっ。そんなことはいい。例の件はどうなっているのだね? ワタシは、仕事の報酬を受け取るためだけに、こんな滑稽で陳腐で極まりない席に、出席してあげているんだ」

「悪かったね、滑稽で陳腐な仮面舞踏会で」


 くっくっくっ、と赤い鼻のピエロが笑う。

 口元を引き結び、不機嫌さを隠そうとしない白衣の男は、とうとうしびれを切らしたのか、背後で佇む三人の女に声をかける。


「もう、こりごりだ。覚えておきたまえ。――帰るぞ、長女、次女、三女」

「はい、主様」


 そう言って、立派な赤い髪の女――というにはいささか若すぎる、小学生ぐらいの小柄な少女が、ゆっくりと腰を折る。その顔に、蝶を思わせる優雅な仮面を付けている。


「うん? もっト、食べたいゾ」


 空のような青さの髪の毛を、一つでサイドに結んだ高校生ぐらいの少女が、首を傾げる。自身の露出の多いゴシックロリータの服装と変わらず、付けている仮面も黒く派手なゴシックの仮面である。


「三女、食べ過き」


 隣で、黄色い髪のボブカットの少女が、軽くため息を吐いた。その顔には、のっぺりとした目にしか穴の開いていない白い仮面を付けている。


 その三人の少女を興味深そうに眺め、ピエロは感嘆するようなため息を吐く。


「ほう、最初から気になっていたのだが、この少女たちは君の実験体なのかい?」

「さあね、お前に教える義理はないよ」

「長女、次女、三女というのは名前かな。それにしては年齢がバラバラだ。一号と、二号、三号、といった具合なのかな」

「さあね、君に教えたところで何の利益にもならないだろう。そんなことよりも、さっさと報酬を払いたまえ。本当に帰るぞ――いや、その前に、なに、この中に居る人間を一人残らず殺して、異能をバラバラにしてあげてやるのも楽しそうだ。くははっ、それがいい」


 タンっと足音を立てて、夜名が前に出ようとした。その肩を咲良が制する。


「夜名チャン、あの男の異能はこちらでも把握済みだからね、安心していいよ。あの男にそんなことは出来ない」

「――ふふっ、面白いね」


 ピエロの仮面を被った人物が、パンパンと手を打ち鳴らした。

 人混みの中でその音はよく響く。

 一瞬視線が集中して、すぐに霧散した。


「いやはや、本当に面白い。できるものならやってみるがいい」

「――いけ好かない奴だな、本当に。で、報酬は?」

「君は、お金にこだわりすぎだよ。そんなにも、お金が大切なのかね?」

「少なくとも、お前のような人間よりかは信用できるのだよ」

「そうだね」


 あっけらかんとした、それこそ道化のような仕草に、白衣の男は唇を噛み締めた。

 ピエロは、散々勿体ぶるのに飽きたのか、懐から分厚い封筒を取り出すと、それを男に渡す。


「ふんっ。最初から素直に渡せばいいものを。そうすれば、ワタシがこんな辺鄙なところに来なくて済んだのに。――帰るぞ」


 中身を確認することなく男が踵を返す。

 その背中に、ピエロは躊躇いなく声をかけた。


「ねえ、君。その少女たち、どうせ飼うのなら、名前を付けてあげたらいいと思うよ。そうしたらもっと懐いてくれるだろうし、呼びやすいだろう」


 ――愛情が、湧くかもしれないし。

 にぃと口を歪ませて囁いた言葉は、男に届いた定かではなく、白衣の男はそのまま振り返ることなく人ごみに紛れて消えていった。


 さて。

 ピエロが咲良と夜名を見る。

 仮面に隠れていて表情が伺えないが、どことなく楽しそうだ。

 それは今日が、待ちに待った仮面舞踏会だからだろうか。

 それとも――。


「夜名」

「はい、主様」

「こんな愉しい席でする話ではないのだけどね、次の仕事だよ」

「何なりとお申し付けください」

「ちょっと海外に行ってきて」

「かしこまりました」


 慕っている主からの命令なら当然といった様子で、夜名は深く腰を折る。それを、脇から咲良が微妙な表情で見ていた。

 くっくっと、この館の主であるピエロが、楽しそうに嗤う。


 夜名と咲良から離れると、お客人に一人一人に挨拶してまわるピエロの姿を遠くで見ながら、咲良は傍らに立つ感情の読めない女性の名前を呼んだ。


「夜名チャン……」

「何ですか?」

「……なんでもないよ」


 軽くため息をつき、咲良はそこで夜名と別れた。彼女は、このまま海外に行くのだろう。主の命令なら当然と、彼女は産まれて捨てられたあと、スラム街で一人生きているところをあのピエロに救われたのを忘れることなく慕っているため、たとえあのピエロが世界を滅ぼすといえば躊躇いなく、それこそ自分の命すら簡単に放り捨てて命令を全うするのだろうと。

 咲良は、先程夜名が置いたばかりのワイングラスを持つと、その中身を一気に飲み干した。




 館の片隅で、黒髪の優男が誰もいない空間に声をかける。


「ね、はっちん。俺、これからどうしよう」

「はんっ。てめえが一度足を踏み入れたんだから、てめえで蹴りつけろってんだい」


 誰もいないはずの空間から、少女の甲高い声が聴こえる。だがそれは男にしか聞こえていなかった。


「ちょっと、はっちん、マジ冷たい――って、きたよ」


 男は、友好的な笑みを口元に浮かべると、近づいてきたピエロの仮面をつけた人物に、自ら挨拶をする。


「この度は、お誘いいただきありがとうございます」

「こちらこそ。君が来てくれて助かったよ。――で、どっちだい?」


 同じような問いを、昨日の夜、黒髪の女からも言われた気がする。

 男は首を傾げると、誤魔化すように、茶化すような声を上げる。


「どういう意味ですか?」

「君は私の味方か。それとも、敵か」

「少なくとも、敵ではないと思いますよ。あなたの理想は、魅力的ですし」

「それなら味方だね。歓迎するよ」


 おどけたような声と仕草は、男を惑わせるのには十分だった。


 ピエロは満足したように頷くと、去って行く。

 姿が視界から消えたのを見届けてから、男はため息をつき、空間に声をかけた。


「はっちん、俺、どうしよう」

「はんっ。だからさっきも言ったじゃねぇか。てめえで蹴りつけろってッ!」

「手厳しい」

「甘い世の中だと思っている、この唐変木のちーちゃんはしょうもないなっ!」

「つら」



    ◇◆◇



 そして、この日の夜中。

 七日から八日に替わる堺の時に。

 佐久間美鈴の所有する――『白い園』から、とある宝石が盗まれた。

 犯人は、駆け付けた警備員に自ら名乗ったという。


 ――怪盗メロディー、と。

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