第1話-③

 3


 それからまた数日経って、その日の朝、僕はいつもと同じように《特都庁》に出勤した。形式だけの朝礼を行い、アンドロイド達を起動させると後はモニタをじっと見つめるだけだ。モニタには三百機ある《エマ》の位置情報が窓口やらデータデータ管理部やらに点在して、十五機の《セバスチャン》の《通信思考》の内容がターミナルの黒い画面を次々と流れている。《マスター》は我々のデスクより少し離れたところで動かずじっとしている。

 僕達のデスクは、本庁の窓口に繋がっている細長い部屋の端っこに小さく位置されている。隅を背にして目の前には、アンドロイドの充電ポイントの方が大量に用意されていて、手前側には《マスター》の、奥に行くにつれて低級のアンドロイドの充電ポイントが設置されている。その向こう側で《エマ》がたまにせわしなさそうな動きで通過していくのが見える。丁度アルファベットのTを思い浮かべて貰えばわかりやすいだろう。窓口やらサーバーやらが大量に置かれ広い横線から、通路じみた垂直線を、充電ポイントを横目に下に進んでいくと、隅の袋小路に人間のスペースだけがある。

 それで十一時半現在、課には僕含め三人しかいなかった。僕と同じ年の穂坂と、見た目五十代でいつも居眠りをしている目白さんだ。この課に勤める人間は僕を含め六人いたが、僕達は密かに交代で長い休憩を取る事にしていたので(そうしないと頭がおかしくなるからだ)、この時間を担当している三人だけがここにいるわけである。

 目白さんは相も変わらず机に突っ伏して居眠りしていて、隣にいる穂坂は難しい顔をしてタブレット端末を睨んでいた。おそらく株式の勉強でもしているのだろう。因みに現在公務員は副業は禁止されていない。昔はそうでは無かったらしいが共和歴三十二年には既に公務員の副業は良しとなったという。

 投資が果たして副業に入るのかというとその収入の加減によるのだけれど(穂坂にそんなセンスがあるとは到底思えない)、兎にも角にも僕達はそういった息抜きをしていた。僕は特に副業をしていないので薄い板のような端末PAPERを片手に小説を読んでいると、ふと穂坂が話しかけてきた。

 「藤井、何読んでんの、それ」

 「ああ、梟坂譲司の『冬の時計仕掛けと時計仕掛けの冬』だ」

 「ふむ……それって面白いのか?」

 「まあね。七十年前の情勢とかが垣間見えて、当時の風俗を学んでいる気分になれる」

 「珍しいものだな、小説を読むのが趣味だなんて」

 穂坂は《PAPER》をしげしげと眺めながら言った。確かに一般的には小説を読む人は少ない。《拡張ネット》をはじめ小説以上の娯楽はたくさんある。

 「古臭いものを取扱っているのは君も同じだろう? 資本主義経済は終焉を目の前にしているっていうのに、株式投資なんてものをやっているんだから」

 「ん? ああ、そうだな……まあ経済を学んでおく事に悪い事は無い。投資という概念がこの先変わるという事はあまり考えられる事ではないから」

 そこで穂坂は机にあったマグカップを手に取って中の飲み物を一口啜ってから、また口を開いた。「ところで藤井。何か悩み事があるんじゃないか?」

 僕は目を見開いた。それはもちろん、僕の恋人のユァブが転生したいと言い出した事に他ならなかった。――度々、穂坂の洞察力には驚かされてきた。彼には人が内側に隠していたり、心変わりの違いだったりを見抜く能力が、強く備わっていたのだ。

 僕は少し悩んだが、結局は打ち明ける事にした。

 「実はその通りなんだ。僕が同棲している女性がいる事は以前話しただろう?」

 「ああ、この前会ったあの女性か」

 「彼女が急に転生したいと言い出した。仕事も僕に相談せずに辞めてしまって、今にも転生できるという状態にある。それで僕にもついて行って欲しいと言われたんだ。猶予期間として一ヶ月あって、それまでに決めろとの事だ」

 「それで、君は転生したいのか?」

 「よく分からない。考えた事もなかった」

 穂坂は腕組みし、少し押し黙ってからまた言った。「まあそれも悪くないかもな。少なくともこんな糞みたいな社会や生活からは、抜け出す事が出来る」

 「そうかもしれない」

 「女の尻に敷かれてるのが良くない」

 僕達は同時に振り向いた。向こうの机にはいつの間にか、目白さんが顔を上げ僕の事を睨み付けていた。白髪の混じったオールバックに右側の頬は赤くなっていて目尻は深く皺が刻まれている。

 「女に命令されたから死にますっていうのがまずおかしいんだ。お前は主体性が無いのか。そもそもとして、お前は女に言いなりになって恥ずかしくないのか」

 言いたい事だけ言って満足したのか、また目白さんは机に突っ伏して居眠りを始めたようだった。穂坂はやれやれと首を振って、外に出ようというジェスチャーをした。僕は頷いて立ち上がった。眠っているのか話を盗み聞きしているのか分からないような人がいる傍で込み入った会話はやりにくい。

 


 総合管理課から出てエレベータで十七階までいったところに、広い休憩スペースは設けられていた。広々とした間取りに所々にソファやら椅子やらがあって、壁は全面ガラス張りでそこから東京が一望できた。柔らかな色合いのLESライトの光で照らされていて、自販機も充実していた。僕達はそこでココアとコーヒーを作って、ソファに深々と座り込んだ。

 「目白さんほど旧態依然な考え方をしている人も珍しいな。一体どんな人生を歩んできたらあんな主義に至るのか」

 「課をほったらかしてきてよかったのかな」

 「三人がそろそろ帰ってくるし大丈夫だろう。それに頭のいい老梟もいる」

 僕は笑った。

 眼前には巨大なガラス窓と、そこから見える新東京の風景が広がっていた。今日は比較的良い天気で、ようやく引っ張り出した冬用のコートが無為になるくらい気温も上がった。真っ白な雲が切れ切れに浮かんでいて、それはゆっくりと移動しながら太陽を見え隠れさせた。

 しかし何故か、新東京の街はそれでもどこか没個性だった。ここ百年に建てられたビルはどれも、どこかに個性を持たせようと努力されたデザインで、建築家の様々な苦労が見えて飽きる事は無い。しかしどれにも何か足りないものがあった。様々な形や色の巨大な建物が眼前に広がる光景は一瞬圧巻されるが、すぐに全てが灰色に戻ってしまった。それは、この街ではなく僕自身に問題があるからかもしれない。

 「それでさ、転生の件だけど」

 穂坂がそう言ったので僕は彼に目を戻した。彼はコーヒーの紙コップを手に、僕と同じように新東京の街並みを眺めていた。

 「目白さんに同調するわけじゃないが、おれも君が転生するのは反対だな。恋人が転生するからついて行かなければならないという道理は無い」

 「確かにその通りだ。でも、君の論理はもっともだけれど、どうにも問題はそこではないように思える」

 「というと?」

 「僕達は――僕とユァハは離れるべきじゃないように思えるんだ」

 穂坂は笑った。「それは君が彼女を愛しているからだよ。でも、俺達は死ぬにはまだ早すぎる」

 「『俺達は死ぬにはまだ早すぎる』」

 僕は復唱した。穂坂は言った。

 「そうだ。まあいい歳した中年に半ば足を突っ込んでるのは自覚してるしさ、この世があんまりいい雰囲気じゃないってのも知ってるんだよ。幸福になる方法を誰も教えてくれず、自分で見つけるしかないって世界は、自由かもしれないが息苦しすぎる」

 「難しい話だ、目の前に見えていた道しか歩いてこなかった僕にとっては」

 「本当は生きるはもっと簡単なはずなんだ。君も無理に死に急ぐ事は無いって事さ。今は個人主義の時代だしな」

 「個人主義。彼女もそういう人間だ」

 「なら尚更だ。君はついて行く必要もないし、彼女にそれを禁止する義務も権利もない」

 「でも止める事はできる」

 「ああそうだ」

 穂坂は頷いた。「その恋人が考え直すのが一番のハッピーエンドだ」

 

 

 その後は一件のトラブル以外には何も起こる事は無かった。トラブルというのは一体の《エマ》の不調が発覚したのだ。調べてみたところ部品の一部に問題があるようだから、我々はELLEN社の定期点検にそのアンディを引き渡す事にした。定期点検の日までにはあと一、二週間はかかるがその機器トラブルも大した事は無く、その日までに十分間に合うとの事だった。僕は事務課にその旨を連絡して《エマ》の引き渡しを登録した。それ以外には特に何事も起こらず、僕は無事に六時ニ十分に下りの電車に乗る事が出来た。

 新湘新ラインの二十車両目二階の窓際に僕は座った。そこから見える東京はまるで巨大な宝石を囲い込んで護る要塞のようである。そしてその要塞の頂上の少し先に、弱弱しく紅い光を放つ光の集まりがあった。

 あの、まるで夜空のそばかすのような光点群が、地球に向かってきている巨大隕石群カタストロフィ・ボーイだった。何故隕石が光を放てるのかは知らないが、百年前に発見された忌子が、ついこの間から僕達の前に顔を現すようになった。

 その光らより少々右下に、青や緑色の光を放っている光点群がある。よく目を凝らせば、それが空に浮かぶ巨大な建造物のシルエットである事が分かるはずだ。あれこそが、WTSOが計画し造り上げた《カタストロフィ・ボーイ》に対抗する人工衛星ザ・ゼロだった。

 それが何故光を放っているのかは分からないが(あるいはただその存在を我々に知らしめるだけかもしれない)その二つの相反する存在を見るのが、僕の習慣となっていた。それらは段々と常に我々の身近にある日常的な存在となってはいたが、彼等が真に役割を果たす日の非日常さを考えると、僕はそれらにどこか惹かれるものがあった。少なくとも特都庁よりは魅力的だ、巨大という点では同じだが。

 やがて進行方向の都合でそれらが見えなくなり、三十分程度僕は居眠りした。その間少々の夢を見た。僕は霧が深い新東京を歩いていていつものように出勤していた。だが、そこにいる僕は悲しみにくれて、ずっと鬱屈とした感情に包まれていたのだ。まるで荒地に佇む一本の大木のうろに、何か大切なものを捨てて戻ってきたみたいに。目覚めた時にはもう、僕はその光景を忘れてしまっていた、その苦しい気持ちだけは覚えたまま。

 

 それから、特に何事も無く一週間が過ぎた。特に何事も無い、というのはつまりこれまでの生活と変わらない時間が過ぎたという事だ。仕事の方も特に異常は起きず、穂坂や別の課の人間と適度に息を抜きながら役割を果たしていた。ユァブとも転生の事について話す事はなく、何事も無かったかのように日々を消化した。

 ユァブは毎日朝遅くに起きてずっと家にいるようで、帰宅した時には部屋着で寝っ転がっている事が多かった。家で何をしているかは分からないが、大方拡張ネットで神経に悪いドラッグでも購入しているのだろう。だがハメを外してはなさそうだった。――これから死んで現世の身体を捨てるというのに、彼女が健康に関してある程度の意識を保っているというのはどこかおかしかった。



 その一週間の間に僕は、ベッドに潜り込む前にある少しだけの余暇を使って、少しずつ調べものをした――自分がすべき事になるかもしれない事象について。それは僕の気持ちを少なからず暗くさせたし、もしかしたら寝る前にするべきでは無かったかもしれなかった。しかし、仕事中や通勤中、あるいは起きたばかりに転生の――つまり自殺の――概要やら手続きやらを検索するのは考えられなかった。

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転転転生 -the reincarnational lifeplanning-【休載中】 月山 馨瑞 @k_tsukiyama

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