どこまで行けるか確かめる方法は唯一つ。すぐにでも出発して歩き始めることだ。
詰んだ。流石に手無しの筈だ。粘るのもここまでだと言わんばかりの気迫を持って駒を摘む。
「……2七金。」
放った手は、逃げる玉を仕留めに行きつつも、敵玉を縛る歩兵をも守る一手だ。金の左下のコビンには角が効いている。これで上は飛車、下は金、左右は歩とその守駒で囲む様な形になった。この上、僕の王様は隅で穴に入っている。詰ませることは勿論、王の首に刃を向けることすら許さない。完璧な玉形だ。
逃げ場無しと悟った様にふむ、と嘆息し、
「これで完全に四面楚歌と。流石に無理かな、投了するよ。」
言いながらも目線は盤面に注がれている。対局中にどこに勝敗を分ける場所があったかを探っているのだ。
「流石に飛車香落ちで勝てなかったら泣けますからね。にしても流石です。平手では歯が立ちませんから。」
僕も同じように盤面を観察する。
これは3局目だ。1局目では平手でなす術なく負け、2局目では角落ちで負けた。なんと言っても堅実な小駒捌きと戦法に対する知識だろうか。矢倉を目指せば端をブチ抜かれ、戦型から高美濃に囲えば下から掬い上げる様に詰まされてしまった。美しいのだ。しっかりと読みを入れている。何段位の実力だろうか。僕も戦略ゲームは好きな方だし、麻雀やチェスは勿論、カタンからトランプのイカサマまで覚えた。しかしここまでの差を感じると積み上げてきた自信を揺さぶられる。
「大した年も経てないけど、年の功かな。それに……」
互いの手で局面を10手、15手と戻していく。
中盤と終盤の間ほどまでに戻しても、決して所長にとって、良い。と言える盤面は見えない。序盤中盤でのミスだっただろうか。
「私には君を侮る気持ちは無かったんだけどな。将棋だろうと、勝利は自尊心や驕りを助長してしまうのかも、知れないな。」
随分戻した所でふっ、と息をつく。
時刻は午後の2時過ぎ。午前中は軽いデスクワークをした。ホームページの更新や調査報告書の見直し等しか無いが。そして昼は向かいのコンビニで適当に済ませ、今に至る。
「にしても、来ませんね。」
駒を盤から応接用のテーブルにひっくり返し、盤の裏のスペースにジャラジャラと仕舞っていく。
普通の探偵事務所なら上司とこんな事をしたら即刻クビだ。その点はウチなら大丈夫だ。誘って来たのは所長。仮にも心理士にメンタルゲームで、駒落ちと言えども、1度でも負かせたのは僕の戦い方の傾向を変えたからだろうか。なんとか所長に勝てたのは単純に嬉しい。所長の言う通りか、驕らざるを得ない。
勝つという事それ自体に大きな意味があるのだ。手加減されようとも、侮られ、普段の力を出してなかろうと勝ちは勝ちなのだ。それには言い測れぬ価値がある。
「そうだなぁ〜、新聞に広告も出しては居るんだけどねぇ。ここの所、天気も良くないからねぇ。」
大きく伸びをしながら言う。新聞と言っても折込の隅の隅だったハズだ。それこそ一般人の読む将棋欄よりわかりやしない。ここ3日間は曇りと晴れの境目を漂う様な天気だ。10月も半分を過ぎた。寒くもなってくるし、依頼人も来なくなってくる。いや、ここは関係ない気が。
盤を片付け、手早くコーヒーとエスプレッソを淹れに行く。依頼が欲しい。労働は好きではないが張り込みは嫌いで無い。探偵業務の過酷な面として長時間の張り込みや、泥沼化する浮気現場などは鉄板になっている。コミュニケーションが苦手な僕としては、精神を鎮められる無の時間は余り苦痛ではない。
それに──不意に階段が鳴った。僕は手を休めずに顔だけを所長に向ける。返して来た目は、もう1杯のコーヒーを要求していた。
────────────────────
「ごめんください、こちらの探偵事務所さんに頼みたい事があるのですが……。」ノックをせずに言った、そのドア越しの声は凛々しさを感じた。年配の女性か。また浮気調査か?修羅場は対して観たくない。
所長は比較的大きな声でどうぞ。お入りください。と声を掛ける。僕は自分の分のコーヒーをデスクに起き、所長と来客者の分は先程まで手に汗握る対局をしていた応接用セットへと運ぶ。
「こんにちは、今日はどう言ったご要件で我が小倉探偵事務所へ?」
所長は営業スマイルを発揮しつつ、手でソファへ座るように促す。
失礼致します。と言い女性は座った。ドア前のシルエットで分かったが、女性にしては身長が高い。所長よりも少しだけ低い位だ。そして、その長身にピッタリと合った赤と白の花柄の着物を着ている。両手で持つバッグも綺麗な白だ。白の統一性は気品を漂わせる。
「コーヒーで大丈夫でしたか?」
僕も軽く頭を下げ、問う。着物にコーヒーは不味いか。早計だったのではないか。
だが女性は笑みを浮かべつつ返してくれた。
「お気遣いなく。早速ですが依頼のお話をしても?」
成程、どうもお固い印象があったがそうでも無さそうだ。話しやすさは依頼解決のモチベーションに繋がる。品の無いオバサンはどうも自分の事情だけ叩き付けていけない。
待望の依頼に期待を寄せつつ所長の側にお盆を抱え立ち、話を伺う。
「どうぞ。我々に御相談下さった依頼は迅速に解決させて頂きますよ。」
そろそろこの事務所にも迅速や丁寧以外の売り文句があっても良いのではと思う。どこの事務所でも言ってそうな、探偵テンプレート言葉という印象以外に無いのではないか。
「ありがとうございます。」
少し間を置き、言葉を選びつつ言ってくれた。
「依頼の方は、掻い摘むと、
──人探しか。状況によっちゃあ探さない方が円満に終わる場合もある。他に女を作って無言で逃げるか、会社でやらかして蒸発してひっそりと首吊りってのが最近来た人探しの依頼の結果だ。あまり良い結果とは言えない。その分報酬も他の仕事に比べて大きいのだが。
所長は神妙な面構えだ。さっき迄の勝負師の顔とは違う。【大人】特有の顔に見える。
「成る程。ではお名前と事情の方を、出来るだけ詳しくお願いします。」
「はい。私は、
小池、舜だって?数年前に発表した『沈黙』以来音沙汰が無かった人物じゃないか!彼の著作は4冊程読んだことがある。独創的な内容だが、登場人物に迫る闇の描き方が読者の恐怖を掻き立てるのだ。文学賞や直木賞も取ったことがあるはずだ。そんな人が失踪だって?あるはずが無い。口を開け、問いただしたいが依頼人の説明に一々口を挟む訳にはいかない。それに所長の顔を見れば何も言えなくなる。
「夫は口数は少ないですが真面目で、私を、息子を愛していました。けれど、9月の終わり頃だったと思います、急に家を空けることが多くなったんです。夫は全て取材だと言っていました。でも、家に戻る度に、顔が満ち足りたような、鍬形を見つけた子供のような顔をするんです。それで、私も何も言えなくて……。」
早口気味に捲し立てる。小倉所長はメモも取っていないが、表情を変えないこの人はしっかりと記憶している。
「段々とおかしくなっていくんです。夫は好奇心は強い子供時代だった話は聞いていたのですが、それにしてはおかしいって……。」
所長が訪ねた。
「それは具体的には、どのようにおかしくなったんですか?」当然の疑問だ。今の話を聞く限りではよく分からない。
「多い時は月に2週も、取材と言って家を空けていました。ホテルを借りているから、大丈夫だ。って言って。夫は浮気はしません。ですが、作家の性なのか、好きな事には他に目もくれず打ち込むんです。」
何の取材なのかは何時も、作品に支障が出ると言って、教えてくれませんでした。と付け加える様に言った。
話を聞く小倉所長の目つきは至って真剣だった。この場の誰もがそう感じている。
小池舜と言えば、研究者基質でもその界隈では名がしれている。特に文学における黄金比率等の研究論文は学会からの評価が高く有名な話だ。
狂気なまでにひたむきに。と、雑誌のインタビューに答えていた。そんな人だから書けるものがあるのだと思う。
所長の横顔を見る。頭にメモを執っているのだろうか。集中して話を聞いているようだ。
──ふと、口角が上がった様に見えた。思案しているのだろう。
小倉は、仮面の下は零れんばかりの期待と好奇心で一杯だった。綻びがあれば。笑みで崩れ落ちそうだ。まるで悪魔が耳元で囁いている様だ。早く探れと。
今回のはきっと。勘だが、わかる。
ハッキリと。
とても──私の好みだ。
好奇心猫を殺すその心理 一生初心者 @Take_a_cat
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