第29話 再会
「…………」
線のような口は動かず、目だけはしっかり俺を捉える。ちょうど真上に満月があって、少女の顔は陰っている。
「き、キャッチしてくれてありがとう。名前くらい教えてくれねーか」
「…………」
まぁ喋らない。黙秘だ。黙秘権がどうとか言い出す頭の悪い容疑者より、こいつの口を割るのは難しそうに感じてしまう。
周囲をぐるりと見渡す。相も変わらず月下雲上。さっきより少しだけ眼下の黒雲が近くなったくらいだ。そしてようやく気付けたのだが、少女と別方向の俺の頭の横には、パタパタフラーマが飛んでいた。フラーマは俺と顔を合わせてから、ようやく喋り出す。
「おい、大丈夫か。めちゃくちゃ叫んでたぞ……」
「忘れろ。それよりプエラは? ……そうだ、ディアボルスもどこいった?」
「こいつだよ」
訊かれる事なんて予測できていたんだろう。フラーマは間髪入れずにそう言って、顎でくいっと、俺の少し上を示した。見なくても分かる。そこにあるのは少女の顔だ。
少女は自分に注目されようが、されまいが、何食わぬ無表情で、じっと一点を、俺の目を見つめている。
「プエラの体にディアボルスが入った。そしたらこいつになったんだよ。まあ、原理としちゃ魔法使いと一緒なんだが、それにしては、こいつにプエラの面影がねぇ。まるで別人になったみてぇだ」
フラーマは腕を組みながら言った。
なるほど、フラーマが入ったプエラは赤髪八重歯になるように、ロロが入れば青髪丸顔になるように、ディアボルスが入ればディアボルスの性質が現れるんだろう。しかしここにいるのは、プエラでもなければディアボルスの影もない。どう見ても第三者。見ず知らずの女の子だ。
何が何だか分からないが、とりあえず、この女の子のことを「女の子」と呼び続けるのは小さくも負担だ。
「名前くらい、な? ……でも、ああ、そうか」
そこで俺はやっと気づいて、申し訳なさを込めて加えた。
「俺はハルヒだ。加賀ハルヒ。よろしくな。やっぱ女の子は黒髪だよな」
すると少女は、その口を、たった一秒だけ開いた。
「ハルヒクン――」
まだ何か言いたかったのかもしれない。しかし止まった。止められたのだ。
このタイミング。黒雲の中から飛び出した、オレンジ色の彗星に。
「あれ!? デビルンは!?」
出て来るなりにこれだった。汗を流し、肩で息をし、ぎょろぎょろ辺りを警戒している。ボリュームのある茶髪は首を振るたびに大胆に揺れ、黄、オレンジ、茶色を重ねたドレスのような恰好は、いかにもこいつのお転婆な内面を助長している。
魔法少女メープル、ここに見参だ。
大きな楓の葉っぱの上で、ちょろちょろ動き回って、やがてディアボルスの府愛を認めると、一つ息をつき、体をこちらに向けて来た。
「ほらほらそこのお兄さん! やっぱりあなたはデビルンに好かれてるみたいやよ。そこの妖精さんも大丈夫――って、誰!?」
顔見知りには例による反応。そして知らない人にはその通りの反応を、きちんとしてくれるメープル。少女を見て純粋に驚いている。この辺はまぁ好感が持てるのだが。
「それに、あれ? プエラさんは!? デビルンに食べられちゃった!?」
どうしてここにプエラがいたことを知ってるんだろう。
というか、どうしてこんなところに人間がいて驚かないんだろう。魔法少女だからだろうか。魔法少女なら何でもありか? でも確かに、大概の質問に「魔法少女だもん!」と答えられたら、もちろん納得はできないにしても、否定する言葉を見いだせない。なんだか卑怯だ。
すると。
「ん……?」
ぎゃーぎゃー騒いでいたメープルは止まった。腰に手を当て、上半身を曲げ、目を凝らしてこちらを注視する。十メートルほど距離が開いているので、こっちを向いているのは分かるが、誰を見ているかは特定できない。が、少なくとも、俺ではない。目が合ってる気がしない。メープルが見るのは、ハルヒの顔の少し上。
「お姉さん……」
何を思ったか。どこを見てそう考えたのか。メープルは少女を見つめ、目を離さずに、言い放った。
「……お姉さん、デビルンやね」
俺が反応するよりも、フラーマが反応するよりも、何よりも早く。
無表情の中、少女は口端を上げ、笑ってるような顔をして見せた。
メープルは、あまり驚きはしなかった。
「どうして女の子の姿なん? どうしてこんなところに出て来たん?」
「…………」
少女は口を開かない。瞬きだってほとんどしない。ハルヒをお姫様抱っこしたまま、その腕も足も、作り物のように動かない。
動くのは二つ。夜風に靡く漆黒の髪。そして、俺の右肩に当たっている、小さな胸のふくらみの奥の、心臓の確かな拍動だ。
「やっぱり答えんよね。デビルンはそうやよ。何を聞いても答えない。オータムリーブス」
メープルは、右手を顔の前に出し、ひらりと翻す。すると肌色の小さな手だったのが、真っ赤な炎のような、よく見るとモミジの葉っぱのような、異形のものに変化した。
「一応頼んでみるけど……そこのお兄さんから、離れてくれん?」
「…………」
少女は、答えない。一瞬だけ生まれた小さな笑顔はすでに消え、元の無表情に戻っている。そして、少しだけ、俺を支える両腕に、力を込めたようだった。
メープルは五秒ほど少女を見つめた。それがせめてもの慈悲だったのかもしれない。それ以上待たずに、小さなため息を漏らしてから、
「じゃあ、悪いね。これが私の務めだから!!」
叫び、右腕を振り上げ、カエデの葉っぱを急発進させ、鋭くこちらへ近づいた。
「な、なんで!?」
俺は咄嗟に叫んでいた。自分を支えてくれているこの少女を庇おうと思ったのかもしれないが、それは無意識のもので、間違いなく何も考えていなかった。ただ、気になることが一つだけ、
「なんでこの子がディアボルスってわかるんや!? どう見ても普通の女の子――」
言葉の途中。メープルは、バッサリと、こう返したのだ。
「なんでって、私は魔法少女だもん!」
クソが、と思い、舌打ちもしたかったが、その瞬間にはメープルは眼前に迫っていた。
迫力ってのを思い知る。今のところ、ただ近づかれただけのはずなのに、その勢いだけでもう殴られてしまったような、こちらが怯まざるを得ない衝動が、突風のように吹き付ける。身が縮こまってしまって、唯一自由が利く目で、メープルの姿をとらえようとするが、火炎が灯った右腕を斬るようにこちらへ向けられるのを間近で見るだけで、それは俺じゃなく、黒髪少女に放たれたものだってのに、どうしたってビビってしまう。思わず目も閉じてしまう。
しかし少女は難なく、ふわりと、上方に少しだけ飛び上がって、メープルの攻撃を下に見た。回避され、少女を見上げ、歯ぎしりしてメープルは返す。
「お兄さんを……返せッッ!」
そしてすぐに追尾した。メープル自身に浮遊力はないらしく、サーフィンボードのようにカエデの葉っぱを乗りこなしながら、発射という表現が似合う様子で飛び上がる少女の前へ舞い踊り、力を込めて足場から飛んで、右手を突き出し少女に突進する。少女は無表情のまま、メープルの右手を顔面に当たるぎりぎりまで、もう数センチ、一センチをきり、あと数ミリと言う距離まで引き付けてから、今度は降下して見せた。ほとんど瞬間移動のような、しかし確かに動いた軌跡は目で追えるような、人間離れした素早さだ。
足場を無くしているメープルは、嫌が応にも落下する。それでもタダで落ちたりしない。「オータムリーブス!」と小さく叫び、右腕と同じような魔法を右足首にも施して、空中で体を丸くするとくるくる二三回縦回転し、右足を突き出し、眼下の少女へかかと落としを繰り出した。
少女は残像を残すような圧倒的速度で後退し、メープルの全身を、渾身の蹴りを前に見た。
「おい……やめろって……」
俺に言えるのはこの程度。出来ることは一つもなかった。
それからしばらく同じような攻防が続く。かかと落としを避けられたメープルは、そのまま雲の中へ落ちていくのをカエデの葉っぱに掬われて、その勢いのまま少女へ詰め寄る。モミジ型の手足を乱暴に駆使して、主に少女の首を狙う。隙あらば足元へ突撃するも、少女は訳もなく、ただ素早く移動するということでいなしてしまう。メープルは諦めず、空ぶるたびに叫び続けた。
「お兄ちゃんをッ! さっさと返せえええええ!!!」
何度も繰り出される斬撃。少女はスピードで回避を繰り返す。抱えられている俺の頭をぐわんぐわんと揺れ続け、もう誰がどこにいるのか、なんて言ってるのかもわからない。
満月が訳の分からない動きで回る。酔う。吐きそう――
なところで、少女は止まる。
メープルは手を休めていない。斜め上方に移動した少女を、一瞬遅れで追っていて、右腕を鎌のように振りかざし、瞬きでもすれば最後、もうその鎌は首を刎ねてしまうほどに、近づいている。しかし少女は止まった。
口は横一線に閉じている。しかし、喉の奥から、
「ンン…………ング、ン」
と、呻き声みたいなものが漏れぎこえ、それから、不自然なほど唐突に、パッと口が開いたのだ。
「調子に乗ってるみたいね、ディアボルス――」
俺は初めて、言葉によって顔をはたかれたような、水をかけられたような、目の覚める思いをした。
続けて、
「モミジちゃんとの約束だもん意地でも叶えてもらうわよ」
無表情のその口が、大きく開いて、あいつの元気な声が出て来るのだ。
メープルの手もピタリと止まった。少女の細い首元に、その手は少し触れている。
少女はその眠そうな目をメープルに向けている。そして、そんな顔に似合わない、生き生きとした声を張り上げる。
「メープルちゃん、ごめんね、今から願いを叶えてあげるわ!」
それはプエラの声だった。
「ぐ……ッ!」
メープルは逡巡した。目の前にいるのは間違いなくプエラではない。魔法少女だから判別できる。この女の子はデビルンであって他ならないのだ。プエラの声を弄して、こちらを惑わしに入っている、と推量するまでに時間は無かった。彼女の首元にもう触れているこの腕を、振り抜き切ろうと試みていた。
それでも腕が動かないのは、それがプエラの声だからだった。
「さあ……奥の手のお披露目よ……ハルヒ!」
少女の視線が、すとんと俺に落とされた。
炎上の大魔王 @kurokurokurokuro
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