第28話 現れる
耳から手を放し、ディアボルスの頭を地団駄するように踏みつけながら、プエラは叫ぶ。
「「おい冗談だろふざけんな! 無理ってなんだ大魔王だろ!? 馬鹿言ってないで早くしろ!」」
ディアボルスは、半開きの口のまま目を落とす。その視線の先には唖然とする俺がいるが、目と目が交わることは無い。
プエラはさっきのモミジみたいに喚きだす。
「「嘘だろ嘘だろやめてよほんと!? やっと邪魔者がいない状況になったんだよ! こっちの苦労を知らねーだろ? 速く言うこと聞け! 一つ目の願いは炎上したけん――」」
「ン……ンンン……………………デテ……」
ディアボルスは、微妙に口を動かすだけだ。声みたいなものが漏れてはいるが、それは低すぎて、重すぎて、発音しているとは思えない。何か喋っていたとしても、ディアボルスの頭をぽかぽか殴りながら、「メープル来ちゃうだろーが!」と騒ぎ立てているプエラの耳には、絶対に届かない。
俺は目の前の光景を眺めながら、炎上する兼六園を思い出していた。
360度炎に包まれるってのは、もちろん初めての経験だった。自分は消防士でもなければ、火事が起きたアパートの二階へ逃げ遅れた少年を助けに入った武勇伝もない。熱風が西から東から巻き起こるあの無法地帯。俺は走っていた。逃げるために走っていたのだ。
あれは結局夢だったのか? だとしたら、どこからが夢だったのだろう。
メープルに主客未分を教えてやったところまでは、どうやら現実らしい。今プエラが得意げに教えてくれた。じゃあその後だ。走っている最中に火炎の熱に当てられて、そのまま倒れてしまったのか? そして、夢の中で俺は、池の中から現れた、あのディアボルスに遭遇したのか?
ディアボルスは俺に言っていた。「入れない」「出て行け」。すると俺の胸から出てきたのは、俺の顔をそのまま借りた、2頭身で羽の生えた、訳の分からない妖精だった。するとディアボルスは、俺に近づき、ありがとうといって、手を差し伸べた。そこからが、本当の意味で記憶にない。
スマホを持ったまま、自分の胸に、手を当てる。
そして俺は教えてやった。
「おい」
プエラはイライラをこちらにもぶつけて来る。
「「なんだよ! ハルヒも説得しろよ! このままじゃお前の可愛い妹の願いが――」」
「魔法使いから、人間と妖精に戻ることやな。ディアボルスはシェ○ロンじゃない。ただお願いしたって、勝手に叶えちゃくれねーんだよ」
プエラの苛立ちは収まらないが、首を傾げて訊き返してくる。
「「シェ○ロン? なんだよ」」
「おたくら魔法使いの実態はよく知らんけどな。ディアボルスも一応『妖精』なんやとしたら、人間の体に入らねーと力は発揮されない。プエラの体に入ってるフラーマが邪魔だっつってんだよ」
電池が切れたおもちゃのように、プエラの口はピタリと止まった。まったく、普段からこのくらい直だったらいいものを。
穏やかに表情が柔らかくなり、声をルンルン弾ませやがる。
「「そ……そっか! そうだった! そうじゃんか! 前にロロにも言われてたのに! ハハ、慌てんぼさんだなぁ全くもう♪」」
そう言ってプエラは、ディアボルスの頭の上で這いつくばって、額の上から身を乗り出し、片腕を目いっぱい伸ばして、俺の方に近づけた。急に手を差し出された俺は、首を傾げる。
「ん? なんや、ありがとうの握手か?」
「「馬鹿だろ……。人間と妖精に分かれたら俺は魔法使いじゃなくなる。お前にかけられてる魔法も解けて、そこに浮いてられなくなるぞ?」」
俺は素早く手を伸ばし、プエラの腕に掴まった。
ディアボルスの頭に乗る。初☆ライド・オンだ。
蒼白の頭の皮膚。案外人間のように柔らかい。人差し指で何度もぷにぷに押してしまう。愛着までわいてきやがる。手を伸ばせば届く位置に、大きな巻貝のような、紫色の角がある。俺は右腕を伸ばし――
「何してるの?」
隣に座るプエラが、ぐいと顔を覗き込んでくる。俺は伸ばそうとした腕を引っ込め、さらに上半身を全体的にひっこめ、プエラの顔から距離をとる。プエラも合わせて近寄って来やがるが、途中でピタッと止まり、黒髪を耳の上へ掻き上げ、俺の顔をじっと見て来た。
「なんか、顔赤くない?」
と言ってきた。俺はすぐに俯いて、ぶんぶん首を横に振る。別に否定してるわけじゃない。この暗闇のなかでそう言わせるってことは、プエラの言う通り、俺はメロスみたいにひどく赤面してるんだろう。
しょうがない。こいつの顔がタイプ過ぎる。可愛い。ほんとに可愛い。やっぱり黒髪は正義だ。青髪赤髪クソくらえ。
「……赤くねーよ。そんなことよりさっさとしろ。もうメープルが来てもおかしくねぇ」
目を落としたまま俺が言うと、プエラは余裕ありげに、ひらひら手を振って返す。
「だいじょーぶ、さすがにまだ来ないわ。そろそろ地上のディアボルスを追い詰めてるところじゃない?」
ハルヒは顔を上げ、眉間に皺を寄せた。
「テキトーに言うな、メープルはすぐ来る。それに、ラルスとロロがどこまで行ったか知らんが、召喚した場所の近くにたまたまメープルがいたかもしれん。だとしたらとっくにディアボルスを炎上させ終え、全速力でこっちに向かってきとるはずや」
「ふふん♪ 何も知らないお子ちゃまはそう思ってればいいわ!」
むかつく。まあ、黒髪プエラのご機嫌な「ふふん♪」が聞けたから良しとする。そういえば、プエラと一対一で喋るのは、これが初めてだ。
「ハルヒ、何言ってんだ?」
すると、その辺で飛んで他フラーマが、パタパタ羽を動かして、ハルヒの顔の横まで来た。一対一じゃなかった。こいつがいた。
「モミジをぎりぎりまでここに留めといただろ?」
と言ってくる。素直に首を傾げてやる。
「モミジ? そういや渋ってたな? 嫌がらせじゃなかったのか?」
「だから、モミジはメ――」
「はいはいはいはいはいお子ちゃまは黙ってさない~~」
プエラが急いで這いよって、フラーマの体を鷲掴みにした。「ぐえ」と出してはいけない声を出すフラーマだが、全く気にせずにそのまま自分の方に持っていった。
意味不明なままひっこめられても困るんだが。
「まぁ心配しないで。もしメープルが予想以上に早く来ても、まだ奥の手が残ってるから」
フラーマを自分の肩に置きながら、俺に目を向けプエラは言った。「奥の手ってなんだ?」と訊くのが当然だと思うし、もちろん訊こうとしたのだが、それを見越してかプエラは素早く言葉を繋げた。
「と言っても急ぐに越したことはないもんね。いい加減始めるわよ。ディアボルス!」
流れるように叫んで、俺にケツを、向け這いつくばったまま赤ちゃんのように、ディアボルスの前頭部まで移動して、その青白い顔を上から覗き込んだ。
「どうすればいいの? 私は準備万端よ!」
言うとディアボルスは、まるで人間のように、こくりと頷いた。普通に普通の反応をしたのだ。ただ頷いただけなのだが、「おお」と俺もプエラも驚いてしまう。
そして禍々しい巨大な腕を、ゆっくり頭の方へ伸ばした。
「ん……」
プエラはたじろぎ、声を漏らす。
小さな万歳のような、学校の授業で内気な奴がする挙手のような、とにかくあまたの上にやられたその手。自分の顔より大きなその指先を、眼前に置いてプエラは戸惑う。
ちらちらと肩越しに俺を見て来るが、見られたからって何のアドバイスもしてやれない。プエラの肩に乗るフラーマも、ぼうっとディアボルスの指先を凝視している。
頼れない男ども、とでも思って諦めたのか、プエラの顔を前に向けなおした。手を伸ばして、白く細い中指を、厳めしい黒色の指先へ、恐る恐る近づける。
ピタリと両者が接触して、風は吹き荒れ、月が回った。
轟々風圧は全身を取り囲み、満月が羽虫のように、視界いっぱいにちょろちょろと動きまくっている。なんだろうと思って、そこでとうとう、浮遊感に襲われた。落ちている。
臓器が持ち上がり、ジェットコースターの急落下のあの瞬間のような気持ち悪さに苛まれる。落ちている。これは絶対に落ちている。唐突に足場がなくなって、今、完全に落下している。
「え……うわ……うわああ――」
やっと声が出て、力いっぱい叫び始めるその瞬間。
落下はすぐに停止した。
俺の肩甲骨と腰のあたりに添えられた、人の腕の感触に、すぐ理解できた。俺は誰かに支えられた。お姫様抱っこされている状態になっている。この状態で、俺の声帯は最高潮に広がって、
「ああああああああああァァァァァァァアアアアアアアアーーーーー」
おもくそ叫ぶ。
高校二年生。声変りなんかとっくに済んで、低く太いほとんどおっさんの声だ。自分で聞いて、この絶叫は気色が悪い。お化け屋敷でもなんでも、キャーキャーしょうもないことで叫び散らす女の子を見て不快感しかなかったが、女の子だからまだあの程度の不快感に収まっていたんだと知る。……。
俺はゆっくり目を開く。身体を支えてくれているその子を見上げる。
プエラじゃない。
見たことの無い少女だった。
「……え」
気持ち悪い絶叫の余韻は、音もなくどこかに行ってしまった。
少女は幼かった。といってもモミジほどじゃない。モミジより一回り大きいから、小学校高学年ってところだろうか。色白で、小さな顔。大きく丸い眼。綺麗な漆黒の髪。しかし前髪は雑に切られていて、目にかからないよう自力で仕上げたような不格好。後ろも肩にかからない程度にギザギザと言っていいほど揃っていない。……。
どんな髪型であろうと黒髪は素晴らしい。けど、誰だ。
「は……お前は……?」
少女は顔を上げたまま、目だけを落として俺の顔をじっと見ている。口は真一文字に結ばれていて、開きそうな様子はない。
黙って、互いに凝視し、十数秒。
先に目を反らしたのは俺だ。女の子と見つめあうなんて健全な男子が出来てはいけない。出来ていいのはプレイボーイか、ネットで出て来た画像相手の時かだ。
しかしおかげで、顔以外にも目をやれた。細い首。黒色無地、帽子付きの大き目なパーカー。灰色のミニスカート。女子にしては地味すぎ、暗すぎのファッション。そしてさっきから俺の右肩に当たっているのが、ほんの少しだけ出てきている、ムニムニした胸。出てきてはいるが小さな胸だ。彼女はプエラじゃない。これで確信した。これに加えて、根拠を言うとすれば、彼女は体格も顔も服装も、プエラとまったく違うということだ。
ここまで考えるころには、俺の心中は落ち着いていた。再び少女の顔を見上げ、静かな声で問いかける。
「……誰、でしょうか」
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